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第八章 魔王の謎

5 別れ

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 翌、早朝。
 まだ日も昇らないうちから、フリーダ率いる近衛騎士団の面々は帝都に向かって出立することになった。
 ライラとレティは彼らの乗るドラゴンに同乗させてもらうことになっていた。

 起きてきてからは二人とも、もはやひと言も昨夜の話を蒸し返さなかった。もう覚悟を決めたということらしい。それでも昨晩は、一睡もすることができなかったのだろう。レティもライラも、鼻の頭や目の周りを真っ赤に腫れ上がらせている。
 騎士団から「そろそろ参りますぞ」と声が掛かっても、すぐには動くこともできない。俺の前で一様にうなだれて、自分の足元ばかり見つめていた。

「ヒュウガ様。……これを」
 最後にライラが俺に向かって差し出したのは、いつかの町で手に入れた「ココスの実」の入った革袋だった。確か彼女が「高価だけれども非常に栄養がある」と言って購入したものだ。
「大切に食べてくださいね。どうか、お体には気をつけて」
 ライラの声はわずかに震えていたが、それでも彼女は必死に笑顔をつくろうと努力しているようだった。
「お食事のことは、あちらのアデルさんに色々とお願いしておきました。どうか、お……お食事だけは、きちんと──」
 そこでぶつりと言葉を切ったのは、もうそれ以上は耐えられないからだったろう。隣のレティも目を真っ赤にして黙りこくっている。
 これまでライラのしょっていた大荷物は、今や小分けされて居残り組の女性方が受け持ってくれている。みな魔力のこもった荷物袋を持っているため、見た目のかさは変わっていない。
 と、レティが不意にライラの手を引くと、大股に俺に近づいてきた。それはちょうど、腹を立てた小さな子供がわざとどすどす歩くような感じだった。

「えっ? レ、レティ……?」

 戸惑うライラの顔をそのまま、無理やり俺の胸に押しつけるようにしておいて、レティはライラの身体ごと腕を回して、俺に抱きついてきた。もの凄い力だった。
 そうして、本当に小さく聞こえた。

「……ヒュウガっちの、バカ」

 ライラもとうとう我慢できなくなったように、俺の胸のあたりに顔をうずめ、チュニックをぎゅっと握りしめた。レティは俺の肩のあたりに顔を押しつけている。
 二人の肩が震えていた。

「……済まない。ふたりとも」

 俺は少しだけ躊躇ためらったが、両手をふたりの後頭部に回し、そこを軽くぽすぽす叩いた。

「それから……ありがとう」

 うつむいてそう言ったら、とうとうこらえきれなくなったように、胸元から二人分の嗚咽が湧きあがった。
 少し離れたところでは、ギーナが樹の幹にもたれ、そっぽを向いて煙管きせるを吹かしている。その向こうでは、緑パーティーの女性三人が気の毒げな顔でうなだれていた。赤パーティーの面々は、さらに離れた場所からこちらを見ている。

 フリーダの乗る真っ白なドラゴン、シエラの背に乗せられて、二人は何度も俺たちのほうを振り返りながら帝都へ向けて飛び立っていった。
 残ったのは俺とギーナとマリア、そして緑パーティーの女性三人。さらに赤パーティーの面々だった。

「……行っちゃったわね」

 最初に溜め息まじりに言ったのはミサキ。彼女は先日からなんとなく態度がおかしい。だが、今のところその理由については、俺にもよく分からなかった。

「で? どうすんのよ、ヒュウガ。迂闊うかつに人里に近寄れないってなったら、宿とか食料はどうなんの?」
「それは、まあ……野宿でしのぐほかないだろうな」
「えーっ。やあよ。あたしはダンゼン、お風呂は入らせていただきますからねっ! そこは絶対、何があってもゆずんないから」

 途端にぷうっと頬を膨らませて叫んでいる。仁王立ちになり、腕を組んで俺を睨みつけるそのさまは、間違いなく「甘やかされて育ったお姫様」そのものだった。
 俺はげんなりして彼女を見た。
 この状況で、何が風呂か。いや、さすがにそれが女性にとって大きな関心事だというぐらいのことは理解するが。
 とは言え、あのギーナですら一筋も文句を言う様子がないというのに、この女はどういう立場でこんなことを、ここまで強硬に主張しているのやら。

 そもそも熱い湯を張った風呂なんて、この世界ではとんでもない贅沢品なのだ。都市から離れたこんな地域ではなおのこと、非常に珍しいもののはずだった。
 これまでに観察してきただけでも分かる。庶民は大抵、川や湖などでの水浴びが主流なのだ。まして重い水を桶などで大量にんできた上、わざわざ沸かして風呂桶や湯殿に張るなどは、貴族やなにかのお屋敷ででもなければ滅多に目にすることもない光景なのである。
 ライフラインの発達した現代の日本ならいざ知らず、こちらでまともに「風呂」を使おうとすれば、そこには何人もの使用人たちの労働力と時間、湯を沸かすための薪、さらに湯を張るための高価な設備が要る。
 いやもちろん、「勇者」である俺たちがその「特権」を行使するなら、どれも容易く手に入るものなのかも知れないが。
 あいにくと、俺はそんな真似はごめんだった。

「あ……あの。食料のことなのですが」
 恐るおそる口をはさんだのは、つい先ほどライラから「食料担当」を引き継いだばかりのアデルだった。
「こうして人数も減ってしまったわけなので、しばらくは大丈夫です。道中、狩りなどもできますし、ヒュウガ様の剣の鍛錬そのほかのことを優先していただいて構いませんので」
「ああ……うん。ありがとう、アデル」

 そう言えばそうだ。こう言ってはなんだが、このパーティーで恐らく最も大食らいだったレティがいなくなったことで、食料の消費率は格段に下がっただろう。ただまあ俺は、それを単純に喜ぶ気持ちにはなれなかったが。

「いや。もうめんどくせえんじゃねえ?」
 ガイアが一歩、前に出て言った。
「鍛錬だったら北壁ほくへきででもできらあ。傭兵だって騎士団だってわんさかいるから、練習相手にもこと欠かねえしよ。こっからもう、まっすぐそっちへ行ったほうが話が早えんじゃね?」
 この場合の「北壁」というのは、要するに北の<防御機構ガード>のことである。
「結局、ヒュウガはよ。どっちみち、魔王とやりあうしかねえんだろ。そんだけの因縁があんだ、そこはやっぱ、白黒つけなきゃ終われめえ。いや、逃げたところで無駄だろうがな。まーた今回と似たようなちょっかい出されて、パーティーメンバーられるだけだわ」

 俺は沈黙して、男を見やった。
 男は俺の目つきを見て、ことさらにニヤリと笑って見せた。

「だったら北壁一択だろうが。俺には、うだうだ回り道する意味がわかんねえ」
「ああ。……だな」

 答えたのはデュカリス。
 実は昨夜の話し合いで、フリーダもそう言っていた。「今後はあまり、そなたは魔力を持たない普通の人々に近づかないほうがよい」と。でなければこれまでと同様に、行く先々でまた「魔獣の種」の犠牲者を増やしてしまうことになりかねないからだ。
 それについては、俺もまったく同意見だった。
 が、それを遮る鋭い声があった。

「ちょっ……。なに言ってんのよ! ガイアも、デュカリスもっ……!」

 もちろん、ミサキだった。

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