上 下
68 / 225
第七章 恋人たち

8 黒い影 ※

しおりを挟む


 全身から、獣の叫びのような唸り声が響き渡った。
 俺が叫んでいるのではない。
 青き鎧そのものが、<挑発の叫び>をあげたのだ。

 途端、腐り落ちていきながらも、翼竜の赤い目がさらに燃え上がってこちらを向いた。体全体から鱗が剥げおち、内側の肉までもが紫色に変色して腐りおちていく。
 もはやなんの生き物に似ているとも言えない奇っ怪な姿になった獣は、もはや骨組みしか残っていない翼をばたつかせつつ、まっすぐに俺に向かって突進してきた。

「きゃあっ!」
「ヒュウガっち──!」

 ライラとレティの叫びが背後で聞こえた。
 今しもこちらの喉笛に食らいつこうとする、奴の嘴にぞろりと生えた尖った歯。
 俺にはそれが一本一本、くっきりと見えていた。
 はっきりと気の流れを感じる。俺の首に食らいつき、胴体から噛みちぎってやるぞという意思──いや、野生の本能のようなもの。

 俺はすいと体を傾けた。無論、軸はブレさせない。相手の攻撃をかわしつつ、吸い込まれるようにしてその首へ<青藍>が伸びていく。
 すべてはスローモーションのように動いた。
 この一瞬、俺の中で時間がどこまでも引き延ばされ、コンマ零秒が永遠にもなる。まことの集中限界、研ぎ澄まされたその境地に入ったとき、人はそうなるものなのだ。

 <青藍>の刀身が魔獣の首にするりとい込み、抜けていく。手ごたえは確かにあったが、抵抗など微塵も感じなかった。最後の皮一枚を絶ち、振りきったところで飛びすさる。魔獣はそのまま前方へと突っ込んでいく。首はそのままの状態だ。
 やがてその体が地面に激突した。その拍子に、まるで玩具が壊れるようにしてぼろりと胴体から首がもげた。ほんのわずかの間をおいて、どばっと黒い液体が噴き出す。
 レティはライラを庇ってすでに脇へ飛びすさっており、それらの飛沫を回避した。

「お見事です! あとはお任せを」

 フレイヤが高らかにそう言って、すぐに転がった魔獣のむくろへ火炎放射を始めた。あっという間にその体が燃え上がり、炭化していく。
 その時だった。

『……ふん。つまんないな』

 どこかからそんな声がして、俺は周囲を見回した。

(なんだ……?)

 なんとなく、聞き覚えのある声だった。
 見れば、燃え上がる魔獣の体の上方に、黒いもやのようなものが現れている。焼かれて炭化した死体が細かくなって舞い上がっているのだったが、それがいつのまにか集まって、何かの形をとりはじめていた。
 周囲の女性がたも呆然とそれを見ている。フレイヤが異変を感じ、手から炎を噴き出すのをやめた。

(なに……?)

 その「影」はゆらゆらと、とある形になっていく。どうやら人型のようだ。とはいえどこも真っ黒で、顔つきが分かるようなものではなかった。ふわふわと集まっただけの黒い煙が、どうにか人の形になったというだけのことである。

『ちょっと顔を見にきてやったっていうのにさ。こういうって、ひどくない?』

 少年のようにも、少女のようにも聞こえる声。

(やはり──)

 そうだ。この声は知っている。
 俺は確かに、この声をどこかで聞いたことがある。
 女性がたと村人たちを背後にかばう形になって、俺はあらためて<青藍>を構え直した。

「……お前は、だれだ」
『ハッ! 陳腐。わざわざ来てやったってのに、そんなことしか訊けないのか』
 声はせせらわらった。
『あーあ。でもダメだなあ。こんなザコ魔獣じゃ、やっぱり持たないよね。今度はもうちょっと考えるわ』

 さもつまらなさそうだ。その声には、自分が「使い魔」にしたらしい魔獣への一片の憐みもありはしなかった。
 まして、その宿主にした村人の男のことなど、抜け殻以下の認識に過ぎないらしい。
 俺はグラグラと胃の腑の煮えるのを覚えた。

「質問に答えろ」
『やーだね。聞きたきゃ、さっさとこっちに来いよ』

 「こっち」というのは、どっちのことだ。
 が、それは考えるまでもないことのような気もした。

『前から言ってんだろ? 早く遊ぼうぜ、ってさ。なのにお前、相っ変わらず甘いこと言いまくって、<テイム>もしてねえみたいだしさ。笑っちまうんだよ』

 ふらふらと、手であるらしい部分が揺れる。「もう話にもならない」と言わんばかりだ。

『何度もそこのシスターに忠告されてたんじゃないの? んなことやってたら、自分てめえが危ないってさあ。もちろん、そこの女どももなんだけど』
 言われて背後のマリアを振り向きたくなる欲求を、俺はどうにか抑えこんだ。何があろうと、目の前のこいつから目を離すわけには行かない。
『別に、犯しまくれなんて言ってねえだろ? たくさん<テイム>してはべらして、いざとなったら盾にでも踏み台にでもして、とにかく自分が生き残る。全部、そのためじゃんかよ。きれいごとばっか言うんじゃねえっての。気色悪いんだよ。おまえ見てると』

 いかにも不快極まりないといった口調で、吐き出すように言葉をつむぐ。背後の女性たちの「気」が戦慄したのが肌でわかった。

『ってことで。一回、レクチャーしといてやる。お前が甘っちょろいこと言えば言うほど、周りの女がどうなるか、ってことをさ──』

 世間話でもするような口調でそう言ったかと思うと、そいつの眼下の死体がごそりと動いた。

(……!)

 身構えた時には、もう遅かった。すでに落としたはずの魔獣の首が飛び出した。それは凄まじいスピードで俺の脇をすり抜けて、まっすぐ後ろへ向かって突進していた。

(しまった……!)

──奴らぁ、たとえ首だけになってもブッ飛んでくるぜ。

 一瞬、ガイアの声が耳の奥で鳴り響いた。
 ハッと後ろを向いたときには、首はもう、背後の一人に襲い掛かっていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性奴隷を飼ったのに

お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。 異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。 異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。 自分の領地では奴隷は禁止していた。 奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。 そして1人の奴隷少女と出会った。 彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。 彼女は幼いエルフだった。 それに魔力が使えないように処理されていた。 そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。 でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。 俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。 孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。 エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。 ※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。 ※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。

スキルスティール〜悪い奴から根こそぎ奪って何が悪い!能無しと追放されるも実はチート持ちだった!

KeyBow
ファンタジー
 日常のありふれた生活が一変!古本屋で何気に手に取り開けた本のタイトルは【猿でも分かるスキルスティール取得法】  変な本だと感じつい見てしまう。そこにはこう有った。  【アホが見ーる馬のけーつ♪  スキルスティールをやるから魔王を倒してこい!まお頑張れや 】  はっ!?と思うとお城の中に。城の誰かに召喚されたが、無能者として暗殺者をけしかけられたりする。  出会った猫耳ツインズがぺったんこだけど可愛すぎるんですが!エルフの美女が恋人に?何故かヒューマンの恋人ができません!  行き当たりばったりで異世界ライフを満喫していく。自重って何?という物語。  悪人からは遠慮なくスキルをいただきまーーーす!ざまぁっす!  一癖も二癖もある仲間と歩む珍道中!

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

スキル喰らい(スキルイーター)がヤバすぎた 他人のスキルを食らって底辺から最強に駆け上がる

けんたん
ファンタジー
レイ・ユーグナイト 貴族の三男で産まれたおれは、12の成人の儀を受けたら家を出ないと行けなかった だが俺には誰にも言ってない秘密があった 前世の記憶があることだ  俺は10才になったら現代知識と貴族の子供が受ける継承の義で受け継ぐであろうスキルでスローライフの夢をみる  だが本来受け継ぐであろう親のスキルを何一つ受け継ぐことなく能無しとされひどい扱いを受けることになる だが実はスキルは受け継がなかったが俺にだけ見えるユニークスキル スキル喰らいで俺は密かに強くなり 俺に対してひどい扱いをしたやつを見返すことを心に誓った

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

【書籍化】パーティー追放から始まる収納無双!~姪っ子パーティといく最強ハーレム成り上がり~

くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
【24年11月5日発売】 その攻撃、収納する――――ッ!  【収納】のギフトを賜り、冒険者として活躍していたアベルは、ある日、一方的にパーティから追放されてしまう。  理由は、マジックバッグを手に入れたから。  マジックバッグの性能は、全てにおいてアベルの【収納】のギフトを上回っていたのだ。  これは、3度にも及ぶパーティ追放で、すっかり自信を見失った男の再生譚である。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

金貨1,000万枚貯まったので勇者辞めてハーレム作ってスローライフ送ります!!

夕凪五月雨影法師
ファンタジー
AIイラストあり! 追放された世界最強の勇者が、ハーレムの女の子たちと自由気ままなスローライフを送る、ちょっとエッチでハートフルな異世界ラブコメディ!! 国内最強の勇者パーティを率いる勇者ユーリが、突然の引退を宣言した。 幼い頃に神託を受けて勇者に選ばれて以来、寝る間も惜しんで人々を助け続けてきたユーリ。 彼はもう限界だったのだ。 「これからは好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時に好きな子とエッチしてやる!! ハーレム作ってやるーーーー!!」 そんな発言に愛想を尽かし、パーティメンバーは彼の元から去っていくが……。 その引退の裏には、世界をも巻き込む大規模な陰謀が隠されていた。 その陰謀によって、ユーリは勇者引退を余儀なくされ、全てを失った……。 かのように思われた。 「はい、じゃあ僕もう勇者じゃないから、こっからは好きにやらせて貰うね」 勇者としての条約や規約に縛られていた彼は、力をセーブしたまま活動を強いられていたのだ。 本来の力を取り戻した彼は、その強大な魔力と、金貨1,000万枚にものを言わせ、好き勝手に人々を救い、気ままに高難度ダンジョンを攻略し、そして自身をざまぁした巨大な陰謀に立ち向かっていく!! 基本的には、金持ちで最強の勇者が、ハーレムの女の子たちとまったりするだけのスローライフコメディです。 異世界版の光源氏のようなストーリーです! ……やっぱりちょっと違います笑 また、AIイラストは初心者ですので、あくまでも小説のおまけ程度に考えていただければ……(震え声)

処理中です...