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第六章 暗雲

5 虚無

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 真正面から突進してきたはずの相手の体には、最初、何事も起こらなかったように見えた。<青藍>を振りぬいて背後を見れば、魔獣はそのままよろよろと二、三歩あるいた。

 と。
 つうっとその体の真ん中に亀裂が入り、ずるっと右と左がずれた。
 ダークウルフの大きな体が、美しいほどに左右対称に分かれてぺらりと開く。ゆっくりと左右に両断されていくその体を、俺は奇妙なほど冷えた感覚をもって観察していた。やがてべしゃりと音を立てて、魔獣の体は地面に落ちた。
 一拍おいて、どばっと黒い体液がそこから噴き出る。
 そのときにはもう、俺はそのむくろから距離を取っていた。

 その時点ですでに四、五匹は仕留め終わったガイアが振り向き、「おお」と低く感嘆の声を洩らしたのが聞こえた。
「なるほど、すげえ切れ味だ。さすがは<勇者の剣>ってとこか」
 ガイアの言うとおりだった。
 ダークウルフの断面は、薄い紙一枚で切り裂いたのかと思えるほどにつるりとなめらかなものだった。
 まさに、凄まじい切れ味だった。

「一匹終わったぐれえで気を抜くな! あっちにもこっちにもまだまだいんぞ。頼みましたぜ、『青の勇者』さんよ!」

 そんな皮肉まみれの軽口をたたきながらも、ガイアはまたとびかかって来た一匹をあっさりと両断してのけた。場合によってはその大剣の腹でぶち叩き、骨ごとぺしゃんこにしてのけている。他の男たちも同様だった。
 レティはそこいらを跳んだりはねたり、縦横無尽に動き回って、手当たり次第にやつらの喉笛から黒い血を噴き出させている。彼女もいっさい返り血は浴びていない。さすがの反射神経だ。
 門の向こうでも相変わらず、容赦ない魔法攻撃が繰り出されている。周囲は魔獣たちの血と肉の臭いが立ち込め、酸鼻を極める様相を呈した。足もとはどこもどす黒い血だまりでぬかるんでいる。ともすれば足を取られそうになった。
 そんな中、俺も手当たり次第に己が<青藍>を振り続けた。

 ただただ、手元に集中し、相手のを丁寧に読む。
 向かってくる敵意のその間隙かんげきを突く。
 相手が食欲と殺戮欲に酔ったようになっているだけに、慣れればそれを読むのは容易かった。

 そんな戦闘が数十分も続いただろうか。
 やがてとうとう最後の一匹をデュカリスが仕留め終え、得物の長剣をしゅぱっと振って刀身の汚れを払い落とした。
 戦闘は終了した。
 リールーとプリンが滑るように舞い降りてくる。それでも皆は気を抜かず、とりわけウィザードたちはそれぞれの魔法を使ってダークウルフの死骸を燃やし尽くし始めた。
 先日ガイアが言っていた通り、魔獣は最後の息を止めきるまでは油断してはならない生き物だ。魔力の弱い人間が残った血や肉に触れるだけでも、病に冒されたり目が見えなくなったりなどのひどい魔障をもらうのだという。後始末はきちんとせねばならなかった。
 フレイヤとサンドラ、ギーナとあちらのアルフォンソが手分けして、次々に死体を消し炭のようなものへと変貌させていく。最終的にはそれすらも蒸発させられ、体液も消えて、場にはまるで何事もなかったかのようにむき出しの地面が残った。

 それらがようやく終わってから、やっと町の人々は恐るおそるこちらへとやって来た。
 門の外にも何十頭もの魔獣の死骸が転がっていたのだったが、それらが「掃除」されたあとには悲惨な光景が広がっていた。あちこちに、明らかに人のものらしい頭部や足、手首の先などが落ちている。魔獣たちが現れた当初に襲われて、食い散らかされてしまった者たちだろう。
 人々は暗い顔をして、銘々大切そうにそれらを拾い上げて町へ持ち帰る様子だった。家族のところに運んでやるつもりなのだろう。
 ガイアの言っていた通り、腕を無くしたなどの怪我で済んだ者についてはマリアやマーロウらの優秀な治癒魔法で相当程度回復できる。しかし本当に死んでしまい、体そのものがほとんど残らない状態になってしまっては、さすがの彼らにもどうしようもないらしかった。

 空はすっかり朝の光で満ちあふれ、朝を告げる楽しげな小鳥の声が響いている。町なかの街路樹が風に吹かれて、さらさらと爽やかな音を立てていた。
 その風景は、いやに美しく見えた。たった今ここで起こった真っ黒な血みどろの争いが、まるで嘘であるかのようだ。
 俺にはそれが、なにかひどく虚しく感じられた。
 なぜだろう。
 理由はよくわからなかった。

(……ん?)

 ふと見れば、手元の<青藍>のやいばがぼうっと青緑色に光っている。

(なに……?)

 目をみはった。
 今の今まで魔獣の穢れた血や獣脂によって赤黒く汚れていたはずのそのやいばが、次にはもう、それらの穢れを音もなく空気中に蒸散させたのだ。それは俺が二、三度瞬きをするうちに、一点の曇りもないもとの輝きを取り戻していた。
 なるほど、これが<勇者の剣>の特徴だということらしい。実際の日本刀ならここからかなりの手入れが必要になるところだが、それは不要だということか。

(……世話になったな)

 俺は心の中でそう剣に語りかけると、静かに刀身を鞘に戻した。鞘がぱちりと小気味のいい音をたてる。そうしてそのまま音もなく、<青藍>は空気に溶けるように見えなくなった。


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