54 / 225
第六章 暗雲
2 物見櫓(ものみやぐら)
しおりを挟む「ギーナ……!」
俺は思わず、彼女の腕を掴んでいた。
別に強く引いたわけでもなかったのに、ギーナの体はあっさり俺の胸へと倒れこんできた。豊満な胸元がいやおうなしに押し付けられてくる。俺は急いで彼女の肩を押し戻そうとしたのだったが、ギーナの腕が俺の体のうしろに回ってそれを阻んだ。
寝台の上で、ただ抱き合うような形になる。
「だから……さ。もういいじゃない。ね? ヒュウガ……」
顎を上げてこちらを見上げてくるその桃色の瞳には、男を誘うためのあざとい色は何もない。それは不思議なぐらいに澄んだ目だった。
その目を見ると、俺の胸はきりりと痛んだ。
この女が少女と呼ばれる歳のころから、どんな人生を歩んできたかなんて俺は知らない。知らないが、その表情のずっと奥深いどこかには、いたいけでかよわかったはずの小さな少女が今もひそんでいるような気がした。
「もう、つまんない強情張らないの。女に恥かかせないでよ」
ギーナは人差し指で俺の胸に「の」の字を書くようにしながら甘ったるい声を出した。
「女はともかく、男がいつまでも『女なんて知りません』ってんじゃ、恥ずかしいだけなんじゃない? いつかほんとに大事な人ができたときにも、上手くいかなくてがっかりさせちゃうかもしれないでしょう。練習だって思えばいいのよ。これはただの練習。ほかにはなんにも意味なんてないの」
「いや。そういうことは──」
「いいんだよ。わかってんの。あんたがそういうこと、すごく大事にしてんだってことぐらい」
俺の言葉におっかぶせるようにしてギーナは言った。彼女は確かに笑っていたが、それが今にも泣きそうな顔に見えるのは、俺の気のせいなのだろうか。
「だからあたしみたいな女とじゃイヤなんだってことも。……わかってんのよ」
「いや。だから、そういうことじゃな……っ」
言おうとしたところを、ぐいと顎を掴まれて黙らされた。
そのまままっすぐ、柔らかそうな唇が近づいてくる。ここまで密着されていては逃げようがなかった。いや、本気でそうするつもりなら、いくらでもやりようはあった。渾身の力で彼女の体を突き飛ばし、身を避けることは簡単なはずだった。
しかし。
それをやってしまったのでは、彼女をいま以上に傷つけるだろう。
「やっぱりこんな汚い女は要らないんだ」と、また要らぬ誤解をさせてしまう。
温かく、甘い吐息が唇にかかった。
互いの唇の距離は、もう指一本ぶんもない。
(ギーナ──)
俺はもう、半ば観念しかかった。
その時。
「にゃーにーを、やってるんにゃ──!!」
まさに「ドカーン」とでも言いたいような音をたて、扉が激しく開かれた。そこにいたのは片足を大々的に上げたまま、鬼の形相をしたレティ。つまり扉は彼女に蹴りあけられたということらしい。
さらに彼女の背後には、完全に困って赤面しているライラと、ただにこにこといつもの笑顔を浮かべたマリアまでが立っていた。
「黙って聞いてりゃ、このエロウィザード! ヒュウガっちがマジメなのをいいことに、ここぞとばかりに女の色気で迫りまくりまくってんじゃないのにゃ──! レティの耳には最初っから最後まで、全部ぜーんぶ、筒抜けにゃ──っっ!」
「あら。そのわりには随分と遅かったわね」
ギーナはしれっと言ってさっさと俺から離れると、立ち上がって髪をかきあげる真似をした。まるで何事もなかったかのような身のこなしだ。女は呆気に取られている俺をちょっと見下ろして苦笑した。
「ごめんなさいね? ヒュウガ。この猫娘がいつになったら飛び込んでくんのかしらって、だんだん面白くなってきちゃって。ちょっとばかりやりすぎちゃったわ」
「……そう、なのか」
俺は完全に「鳩が豆鉄砲」な顔だったろう。
いや、大半は「ほっとした」というのが正直なところだったが。
「ほかに何があるってえのよ。やーねえ、もう。ちょっぴり赤くなっちゃって、かーわいい。ヒュウガもまだまだ、男としての修行が足らないってことよねえ?」
「…………」
つまりこれは、ギーナのただの「遊び」だったという訳だ。彼女がこれまでひた隠しにしていた内なる感情を、やっと少しばかり垣間見させてくれたのかと思ったが、どうやらすべて単なる演技ということだったらしい。
まことに、女というのは計り知れない。
俺は思わず、肩を落として息を吐きだした。
◇
まだ何だかんだと騒いでいる女性がたを置いて、俺はひとり、部屋を出た。
もう眠れはしないだろうし、どのみち早朝はいつもの鍛錬がある。俺は宿の裏手に回ると、井戸水をくみ上げて顔を洗った。
いつもどおりにそこでひと通りの合気道の鍛錬をし、さらに<青藍>の素振りをする。普段どおりのルーティンをこなしているうちに、波立っていた精神は澄みわたり、雑念は消えていった。
そうこうするうち、次第に夜が明けてきた。
「おーおー。相っ変わらずド真面目だねえ」
ちょっと伸びなどしながら裏口からでてきたのはガイアだった。今回は俺の「青のパーティー」と、あちら「赤のパーティー」とが同じ宿に部屋を取っている。
「なんか、そっちの女どもがガーガー言ってたみてえだが。なんかあったの?」
「……いえ。大したことではありません」
「あっそ」
多少眠そうな顔はしているものの、この男も一応は俺との「契約」なので文句を言ったことはない。ガイアはあれ以来、こうして毎日朝と晩に、俺の稽古に付き合ってくれているのだ。他の方々については、いたりいなかったりである。
合気道については早々に「なんだそりゃ。一旦忘れろ」のひと言で一蹴されてしまったため、この男から教わるのは主に剣と実戦向きの体技である。
さらにその数日後、俺と素手で一度やりあってみてから男は言った。
『ま、お前はその<アイキドー>たらいうので体幹がしっかりしてるかんな。若いわりには足腰がしっかりしてんし、体の中心も意識できてる。呼吸の使い方も相手の気を読むことも上手え。俺としちゃあ、手間が省けてラッキーだったぜ』
つまり戦闘技能において、基本の「き」は身についていると遠回しにお褒めの言葉をいただいたわけだ。
あちら「赤のパーティー」と合流してから、すでに十日あまりが過ぎている。その間、あちらのデュカリス、ヴィットリオの二人にも協力してもらい、俺は剣の基本的な扱いに加え、実戦に向けた訓練も少しずつ積んできた。ただ、まだ真剣では無理なため、大抵は木刀を使う。
木剣では日本刀のあの特殊な反りが再現されていないため、これはその後、木を伐りだして作ったものだ。
なにしろ傭兵あがりのガイアが師匠なもので、その「実戦度」はすさまじい。それは兎にも角にも戦場で「生き残るための剣」である。目つぶし、フェイクは当たり前。生きるため、相手を倒すためならどんな姑息な手段でも厭うなというのがガイアの基本方針だった。
正直、自分の奉じてきたものとは真っ向から対立する考え方だ。俺も一度腹を括ったのだとは言え、なかなかその考え方には慣れない。頭では分かっても、だからといって体が素直に反応してくれるとは限らないのだ。
しかし俺の表情からあっさりとそれを見抜いたこの男は、氷のような声で言い放ったものだった。
『それで死にてえってんなら勝手にしやがれ。まあそうなりゃあ、お前が大事にしてるあの女どももズタズタだけどよ』
『魔獣や魔族の中には、やたら女好きなのがいるかんな。それこそ大喜びで殺されたり犯されたり、食い散らかされたりすることになるわけだ。実際この目で、それを見てきた俺が言うんだ。間違いねえよ』
『で? てめえはそれでいいってのかよ。ん?』
『ま、それでいいってんなら文句は言わねえ。勝手にしな。どっちみち、そこから先は俺の仕事じゃねえかんな』──。
認めよう。背筋が凍った。
それは先日、あのデュカリスから言われたことの何倍も厳しく、何倍もリアルな話だった。
もしも俺がここで甘ったれたことを主張しつづければ、ライラやレティ、ギーナに恐るべき災禍がくだる。それはどうあっても避けなければならなかった。本来、いくら「奴隷」だからとは言っても戦場にあんな女性たちを伴っていくべきではないのだ。しかし、俺に与えられたのは彼女たちだった。
男ならいいと言えるものでもないが、やはり女性をそんな場所へ無理やりに引きずっていくのは承服しかねる事態だった。
と。
そのまま何合か、木刀でガイアと打ち合ったときのことだった。
まだ冷たい夜明け前の空気をぬって、少し遠くのほうからカンカンと板を打ち鳴らすような音が響いてきた。
「む。ちょっと待て」
ガイアが片手を上げると同時に俺たちはぴたりと体の動きを止め、音の方へと目を向けた。とはいえここからでは近隣の家並みのために問題の音の出どころまでは見えない。
「ありゃあ、物見櫓だな。なんかあったか──」
言うが早いか、ガイアは宿の外へと通じる裏木戸のほうへと走り出した。俺も無言でその後を追った。
0
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説
性奴隷を飼ったのに
お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。
異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。
異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。
自分の領地では奴隷は禁止していた。
奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。
そして1人の奴隷少女と出会った。
彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。
彼女は幼いエルフだった。
それに魔力が使えないように処理されていた。
そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。
でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。
俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。
孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。
エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。
※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。
※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。
スキルスティール〜悪い奴から根こそぎ奪って何が悪い!能無しと追放されるも実はチート持ちだった!
KeyBow
ファンタジー
日常のありふれた生活が一変!古本屋で何気に手に取り開けた本のタイトルは【猿でも分かるスキルスティール取得法】
変な本だと感じつい見てしまう。そこにはこう有った。
【アホが見ーる馬のけーつ♪
スキルスティールをやるから魔王を倒してこい!まお頑張れや 】
はっ!?と思うとお城の中に。城の誰かに召喚されたが、無能者として暗殺者をけしかけられたりする。
出会った猫耳ツインズがぺったんこだけど可愛すぎるんですが!エルフの美女が恋人に?何故かヒューマンの恋人ができません!
行き当たりばったりで異世界ライフを満喫していく。自重って何?という物語。
悪人からは遠慮なくスキルをいただきまーーーす!ざまぁっす!
一癖も二癖もある仲間と歩む珍道中!
ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。
yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。
子供の頃、僕は奴隷として売られていた。
そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。
だから、僕は自分に誓ったんだ。
ギルドのメンバーのために、生きるんだって。
でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。
「クビ」
その言葉で、僕はギルドから追放された。
一人。
その日からギルドの崩壊が始まった。
僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。
だけど、もう遅いよ。
僕は僕なりの旅を始めたから。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
スキル喰らい(スキルイーター)がヤバすぎた 他人のスキルを食らって底辺から最強に駆け上がる
けんたん
ファンタジー
レイ・ユーグナイト 貴族の三男で産まれたおれは、12の成人の儀を受けたら家を出ないと行けなかった だが俺には誰にも言ってない秘密があった 前世の記憶があることだ
俺は10才になったら現代知識と貴族の子供が受ける継承の義で受け継ぐであろうスキルでスローライフの夢をみる
だが本来受け継ぐであろう親のスキルを何一つ受け継ぐことなく能無しとされひどい扱いを受けることになる だが実はスキルは受け継がなかったが俺にだけ見えるユニークスキル スキル喰らいで俺は密かに強くなり 俺に対してひどい扱いをしたやつを見返すことを心に誓った
金貨1,000万枚貯まったので勇者辞めてハーレム作ってスローライフ送ります!!
夕凪五月雨影法師
ファンタジー
AIイラストあり! 追放された世界最強の勇者が、ハーレムの女の子たちと自由気ままなスローライフを送る、ちょっとエッチでハートフルな異世界ラブコメディ!!
国内最強の勇者パーティを率いる勇者ユーリが、突然の引退を宣言した。
幼い頃に神託を受けて勇者に選ばれて以来、寝る間も惜しんで人々を助け続けてきたユーリ。
彼はもう限界だったのだ。
「これからは好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時に好きな子とエッチしてやる!! ハーレム作ってやるーーーー!!」
そんな発言に愛想を尽かし、パーティメンバーは彼の元から去っていくが……。
その引退の裏には、世界をも巻き込む大規模な陰謀が隠されていた。
その陰謀によって、ユーリは勇者引退を余儀なくされ、全てを失った……。
かのように思われた。
「はい、じゃあ僕もう勇者じゃないから、こっからは好きにやらせて貰うね」
勇者としての条約や規約に縛られていた彼は、力をセーブしたまま活動を強いられていたのだ。
本来の力を取り戻した彼は、その強大な魔力と、金貨1,000万枚にものを言わせ、好き勝手に人々を救い、気ままに高難度ダンジョンを攻略し、そして自身をざまぁした巨大な陰謀に立ち向かっていく!!
基本的には、金持ちで最強の勇者が、ハーレムの女の子たちとまったりするだけのスローライフコメディです。
異世界版の光源氏のようなストーリーです!
……やっぱりちょっと違います笑
また、AIイラストは初心者ですので、あくまでも小説のおまけ程度に考えていただければ……(震え声)
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる