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第五章 蒼き聖剣

8 助け舟

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 もはや開いた口がふさがらない。返事のしようがないので、俺は吐き出したいものを飲み込みながらひたすら黙っていた。
 それを「OK」という意思表示だとみなしたのかどうか、ミサキはそこから延々と気を吐いた。

「大体、魔王を倒すのに意味なんてある? もし死んじゃったらどうしてくれんのよ。誰かが責任とってくれるわけ? なワケないでしょ。バカみたいじゃない。『死んだら元の世界に戻れます』って保証があるわけでもないのにさ──」
「だったらここで、好みの優しいイケメンたちにちやほやされて、一年だけでも面白おかしく生きていたいじゃない。そうでしょう? それの何が悪いってのよ」
「そもそも、元の世界なんて戻りたくもないしね、あたしは。セクハラ親父や痴漢野郎やパワハラ上司やらの相手なんてもうウンザリなのよ」
「男あさりのことしか考えてない、中身うっすい女の同僚だって、だれも友達ってわけじゃなかったし。どんなにキレイにしてたって、裏じゃ陰口とイジメとハブりのオンパレードだったしさ。キレイなのはお顔と服だけ。中身はそりゃもう、薄汚いったらありゃしなかったわよ~? あんたもせいぜい、女には気を付けなさい?」

 気を吐くというよりも、それはもはや「毒吐き」だった。
 しかしそれで、俺も何となく理解した。
 彼女は元の世界では、どうやらどこかの会社勤めをしていたらしい。一人暮らしで恋人もおらず、みんなには内緒にしていたがいわゆる「乙女ゲーム」やら、ハーレムものの漫画や小説にはまっていた。ネットと紙媒体、両方であったらしい。
 普段はそんなものを一人でこっそりと楽しむ以外、これといった楽しみも趣味もない。人生で特にやりたいと思うことも、もちろんない。
 たまの休みに実家に戻れば、両親は出来のいい弟のことばかり可愛がっていてミサキのことなど蚊帳の外だ。むしろ彼女の顔を見れば、二言目には「まだ結婚はしないのか」「なんのかのいっても、女の賞味期限は短いんだからね」というような鬱陶しいお説教ばかり。要はさっさと「かたづいて」、親に面倒を掛けさせないで欲しいだけ。
 ……と、大体そんなようなことを彼女はひたすらに言い散らかした。

「あたしなんか、リアルじゃだーれも可愛がってくれないんだから。わかってるわよ。あたし、可愛い女じゃないもん。美人でもなんでもないし、性格だってこんなのだしさ。わかってんのよ、そんなことはさ!」
 言いながら、どんどん激昂してきて彼女の顔は赤くなっていく。
「だからここで、せめてみんなにちやほやされたい。たったの一年じゃない。いいじゃないのよ! イケメンいっぱいに囲まれて、気分よく過ごしたいのよ。ねえ、それが悪いっていうの? なんでよぉ!」

 と、ミサキはぐいと立ち上がると俺に向かって詰めよってきた。見ればその両目には、確かに光るものが浮かんでいる。

「あんたに責められる筋合いなんかあるもんか! あんたみたいな世間知らずの高校生なんかに……しかも男に、何がわかるってのよ! なにさ、涼しい顔して偉そうにしちゃって。バーカ、バーカ! ふざけるんじゃないわよ!」

 俺は思わず、声をなくした。
 そしてそこで初めて、彼女がマントの下で手に握っていた革袋に目が留まった。どうやら葡萄酒か何かが入っているようだ。察するに、ここへ来る前からいくらか飲んでいたのだろう。

(……酔っ払いか、この女)

 げんなりした。
 酒の力を借りでもしなければ、一人で俺に会いにくることもできなかったということだろう。しかし俺にこうしてを巻いて、個人的な不満を洗いざらいぶちまけられても困る。
 俺は元の世界の男の代表でも何でもない。この女が言うとおりだ。ただの世間知らずの、未成年の高校生男子に過ぎない。

「大っ嫌い。男なんて……男なんて、あたし大っ嫌いなんだから……! どいつもこいつもあたしのこと、利用することしか考えてないくせにっ……!」

 見ればもう、ミサキはぐずぐずべそをかき始めている。
 下手に触れるわけにもいかず、慰めの言葉を掛けるのもおかしい気がして、俺はしばらく黙ってそこに立ち尽くしていた。

(……お手上げだ)

 こんなもの、俺の手には余る。余りすぎる。
 そもそも、同じぐらいの年齢の女たちに対してですら大した経験値もない俺に、一体何を求めてるんだ。そもそも何がしたいんだ。俺にどうして欲しいんだ。
 と、その時だった。

「……はいはい。あとはあたしが引き取るわよ、ヒュウガ」

 いきなり背後から声がして、俺は驚いて振り向いた。
 見れば俺のすぐ後ろで、空気から溶け出るようにしてギーナが姿を現していた。どうやら<隠遁ハイド>の魔法を使ってそこに潜んでいたらしい。一体いつからそこに居たものか。
 月明かりに晒された彼女は、いつもにも増して夜の匂いを纏いつかせている。

「いや。しかし、ギーナ──」
「あんた、酒は飲めないんでしょ? この時間からじゃあ、酒以外のもの飲ませる店なんて閉まっちゃってるしさ。このお嬢ちゃんの相手はあたしがやっておくから、あんたは部屋に戻んなさいよ。ほかの子がそろそろ心配してるからさ」
「な、なによ……? あんた」

 涙に濡れた目を上げて、ミサキがいぶかしげな顔になる。ギーナは妖艶なまでのいつもの微笑みをうかべて、ゆったりと彼女を見下ろした。

「初めまして、『赤の勇者様』。あたしはギーナ。あんたの言ってた『ヒュウガの奴隷』の一人ですわよ。以後、よろしくね」
「え……」

 ミサキの視線がこちらに注がれてきて、俺は軽く頷いて見せた。

「あんたも、こんな暗いところでいつまでもうちの女慣れしてない勇者様に因縁つけてないでさぁ。いい大人の女がみっともないことやめてちょうだい?」
「う、うるさいわよっ……! ほっといてよ、あたしはこいつに──」
 かっとなって噛みつくミサキを、ギーナは余裕のたたずまいでいなした。
「まあそう熱くなんないで? ちょっと飲み直しにいきましょうって言ってんのよ。大人の女同士でさ。さあさあ、立ってくださいな、赤の勇者さま」
「や、やあよ! あたしは、こいつに話があるんだもん……!」
「わがままは言いっこなし。大体、こんな青二才の坊やに巻いてたってしょうがないでしょうよ。こう言っちゃなんだけど、うちの勇者様は真面目ひと筋のおっそろしい朴念仁さまですからね。あんたがなに言ったって、ほとんどわかんないだけよ? 見てごらんなさいよ、この『俺にどうしろって言うんだ』って顔!」
「…………」

 言われてミサキはまた俺を見た。やがて「ぶっ」と噴き出す声がして俺は憮然とした。
 いい加減にしろ。俺で遊ぶな。
 おそらく眉間の皺は最大限の深さになっているだろう。ギーナは「ほ~ら、そうでございましょ?」と言いながら楽しげに微笑んでいる。

「むしろオトコへの鬱憤うっぷんをぶちまけるんだったら、あたしが適任だと思うのよねえ」
「ど、どういうこと……?」

 それでギーナはごく簡単に、ミサキにひとくさりの自己紹介をした。つまり帝都ステイオーラでどんな仕事をしていたかということだ。それを聞くうち、次第にミサキは大人しくなっていった。

「そんな仕事はしてたけど、って言うかだからこそ、あたしも男なんて大嫌いだからさ。生まれてこのかた、惚れたことなんて一度もないね。みーんな利用して、巻き上げるだけ巻き上げてサヨナラするだけさ。まあそうでなきゃあ、やってらんない仕事だったしねえ──」
「…………」
「この勇者サマのことだっておんなじさ。一応『奴隷』ってことにはなってるけど、媚びたりへつらったりなんて死んでもする気はないしさあ。……ま、それも、ヒュウガがこんな奴だからうまく行ってるだけだってのは分かってるんだけどね」

 戸惑ったようなミサキの視線が、俺とギーナの間で行ったり来たりしている。
 ギーナは後ろ手で、俺に向かって犬を追い払うような仕草をした。明らかに「あっちへ行け」と言っている。

(……すまん。ギーナ)

 俺は心の中でその背中に手を合わせ、軽く一礼すると、足音を忍ばせるようにして宿に戻った。
 ミサキもそれには気づいていたようだったが、呼び止められることはなかった。
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