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第三章 ヴァルーシャ宮
7 魔法薬(ポーション)
しおりを挟む脱衣所で鎧を「解除」し、用意されていた夜着に着替えて部屋に戻ると、耳をぺたんこにしたレティが今しも、ライラに引きずられるようにして湯殿に向かうところだった。
でれんと首を垂れ、床を見つめたままのレティが何かぼそぼそ言っている。よくよく聞けば、口からこんな声が漏れ出ていた。
「ああ、鬼にゃ……。ライラっちは鬼にゃああ……」
「いやにゃ……死んじゃうにゃ……。お風呂なんてゴーモンにゃ……」
ライラは呆れた目をして彼女を見てから、俺に一度だけ目配せをして、猫娘の手を引いて歩き去った。
俺はレティの独り言については敢えて聞かなかったことにして部屋に戻った。まあ、「武士の情け」というやつだ。
「お帰りなさいませ、ヒュウガ様」
部屋に入ると、マリアが一人で俺を待ち構えていた。先ほどはどこかへ行っていたようだったが、いつの間にか戻ったらしい。
「ちょうど良うございました。今から少し、お付き合いいただけますでしょうか」
「はい。どこへでしょうか」
マリアはそれには答えず、俺の背後をちらりと見やった。
「ギーナさんは、まだご入浴中ですか? できればあの方もご一緒にと思ったのですが」
「あ……はい」
俺の顔色で何を察したものか、マリアは笑みを深くした。
「ヒュウガ様は、まことにご意思の強い方でいらっしゃるのですね。そのお年で、非常に稀有なことでしょう。あなた様の頑固さには、もはや正直、脱帽の思いでございますわ」
およそ「シスター」とか「聖職者」とも思えないセリフだ。俺は眉間に皺を寄せた。
「……大きなお世話です」
「まあ、結構ですわ。ギーナ様はまた、明日の朝早くでもお連れすることにいたしましょう」
いつも通りの笑みを浮かべて、すっとマリアが俺のそばにやって来た。
「さ、参りましょう」
◇
サッカースタジアムの何倍もあろうかと思われる王宮の中を、俺はマリアと二人でしばらく歩いた。例によって夜番らしい衛兵たちが廊下のあちこちに直立不動で立っている。
空はすっかり夜の色で、地球のものよりはるかに華やかな星空のあちこちに、色とりどりの月が浮かんでいた。歩を進めるごとに、巨大な円柱で切り取られたその幻想的な景色がゆっくりと動いていく。
(こんな時間から、どこへ行くつもりなんだ)
俺の疑問を見透かしたように、マリアがこちらを見もしないで言った。
「すぐそこでございます。あの方々は、むしろ夜のほうが活動的になられるようなので」
「あの方々……とは?」
「すぐに分かります。……さあ、こちらですわ」
言って彼女が立ち止まったのは、謁見の間のものに比べれば随分と小ぶり、かつ質素にすら見える木製の扉だった。マリアがその前に立っている衛兵の一人に声を掛けると、すぐに中へ取り次いでくれた。
扉が開き、即座に招じ入れられる。
一歩入ると、なにか独特の匂いが鼻を突いた。
どうやら、薬品かなにかを扱う部門であるらしい。曲線的で不思議な形をしたさまざまな容器が置かれ、それらが管でつながれて部屋中を覆い尽くしている。あちらでもうもうと水蒸気が立っているかと思えば、こちらでは容器の中で激しく七色の火花が散っているという具合だ。
部屋そのものは二十畳ほどはありそうだったが、置かれた器具と働いている人々でずっと狭く感じられる。なにしろ物がごちゃごちゃに置かれていて、壁際では天井まで書物やら何かの器具が積みあがっているのだ。
働いているのはみな同じ紫色の長衣を着た文官たちだった。「夜型」だと聞いたせいなのか、みな顔色が青白く痩せて見える。こんな穴倉のようなところでずっと働いているのだ。当然なのだろうけれども、いかにも健康に悪そうだった。
中には男も女もいる。種族もまちまちのようだった。かれらはローブのフードを被り、その下でもぐもぐと何かを唱えては容器に手をかざしている。するとその容器の中に光る透明な液体が現れるのだった。
俺がそうやってあれこれと観察しているうちに、マリアはさっさとそれらの人々の中に歩み入って一人の人物を連れてきた。
「ヒュウガ様。こちらはこの魔法薬部門の管理責任をなさっておられます、長シグルド様にございます。シグルド様、こちらが先ほどお話ししました青の勇者様、ヒュウガ様です」
シグルドという名のその老人は、見るからにかなりの高齢の人物だった。薄くなった髪も長い髭も真っ白だ。逆に肌は非常に黒い。ほかの文官たちが青白い顔なのとは対照的に見えた。まあそれは、彼が王宮内では珍しいダークエルフだからだと思われたが。
老人は皺と皺とでほとんどどこにあるのかも分からないような目をこちらに向けたようだった。そうしてひとつ頷くと、すでに準備していたらしい小さな革製の背嚢のようなものを手に近づいてきた。
「こちらが、シスターよりご注文いただいた品にござりまする。どうぞ中身のご確認を」
しわがれた声は思った以上に人間味のあるもので、俺は少しほっとした。一礼してそれを受け取る。言われるままに袋を開いて中を見ると、そこには紫や黄金色、ピンクやグリーンに光る小さな小瓶がいくつも入っていた。
マリアも一緒にそれを覗き込み、満足したように老人にうなずき返している。老人はまたひとつうなずいて、じっと俺の顔を見つめるようにしてから言った。
「基本的には治癒と回復、蘇生、さらに各種防御魔法のポーションをまとめてお入れしております。代金についてはすでにシスターよりお支払い済みにござりますれば。どうぞ大切にご利用くださいませ」
「『ポーション』……というのは、つまり」
「はい。魔法薬ということです」
答えたのはマリアだ。
「わたくしたち<治癒者>やギーナ様のような<魔術師>がおそばにいられないとき、また、いても魔力が底をついてお力になれない時……。戦闘時には、様々の状況が出来するものです。ヒュウガ様にも、いざという時のための備えが必要にございましょう。これらポーションは、そうした時のためにお使いいただければと思います」
「……なるほど」
「こちらの袋ごと、普段は鎧や剣と同じように見えぬようにして隠しておかれませ。また、これ専用の『呪文』をお決めくださればよろしいかと」
「了解です」
そこからシグルドが簡単にポーションの種類と使い方を説明してくれた。ポーションにもいくつかのランクがあり、高価なものほど持続時間や効果が高い。使用法は簡単で、この薬を飲めばいいだけということだった。
「あのギーナ様も、少しならこうしたお薬をお作りになれるはずです。もっとも、専門家であるこちら魔法薬部門の皆さまのようなわけには参りませんが」
マリアによれば、<魔術師>や魔道師といった職種の人間はこうした魔法薬精製のスキルも修めることができるらしい。もちろん自分の得意な魔法属性の薬ほど、レベルの高いものが作りやすいのだという。
「ただギーナ様は、長くああしたお仕事で人生の貴重な時間を費やしてこられすぎています。残念ながら、あまり高いレベルのものはお作りになれないでしょう。ですからこちらで、少しでもそのコツを掴んでいただけたらと思っていたのです」
「そうなのですか」
「はい。それはまた、後ほどと致しましょう。……ではシグルド様、お邪魔をいたしました。ひとまずはこれにて失礼を致します」
丁寧に一礼したマリアに倣って、俺も老人に一礼をした。
老人はゆっくりと目の周りの皺を深くした。笑ったようだ。
「ご丁寧に恐れ入ります。勇者様とシスターの旅路の足が、大いなる賢者の知恵と加護によって、より堅固なものとなりまするように」
老人は枯れ木のようなその体を少し折ると、ふたたび薬の蒸気の靄の中へと影のように消えて行った。
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