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第三章 ヴァルーシャ宮

3 マリアの秘密

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「黙れ、小娘!」
「ひ……!」

 次の瞬間にはもう、フリーダの抜き放った長剣の切っ先がライラの喉元に突き付けられていた。

「『勇者』の持ち物に成り下がった奴隷風情が、この私に偉そうに説教をするつもりか。卑しい女奴隷めが。貴様とて、夜ともなれば大喜びで、そやつのしとねに侍るのであろう。ああ、汚らわしい! 貴様のような女を目にするだけで目がけがれるわ、恥を知れ!」
「にゃにゃ……!?」
「ちょっと!」
 思わずレティやギーナも顔色を変え、立ち上がりそうになって身を起こす。
 周囲の騎士たちが猛然と、フリーダを守るように前へ出た。みな、剣のつかに手を掛けている。
「控えよ!」
「貴様ら、それ以上体を動かすようなら、その喉、ここで掻っ切るぞ!」
「お待ちください」
 その時、俺はすでに立ち上がって、両者の間に割って入っていた。手甲をつけた手でフリーダの剣を遮り、ライラの前に立つ。

「どうか、お静まりを。相手は武器も持たない女たちです」
「…………」

 フリーダはじろりと俺を一瞥すると、しばし俺と睨み合った。が、やがてすっと剣を引き、ぱちりと鞘におさめた。俺はそれを確認してから、改めて相手を真正面から見つめ返し、そのまま一礼した。

「殿下。自分のことはどう申されようとかまいませんが。この者たちをさげすむようなお言葉だけは、なんとしても承服いたしかねます。……どうか、謝罪をお願いしたい。彼女らに謝ってやってくださいませ」
「なんだと……?」

 女の眉がぴくりと跳ね上がった。
 高慢そのものの王族の娘だ。下々の者から自分の矜持きょうじを傷つけられることなど思いもよらないのだろう。ましてその者らに自ら頭を下げるなど。
 しかし、そんなものは俺には関係のない話だった。

「もう一度申します。この者らに、どうか謝罪のお言葉を。彼女たちは、何も自分から勇者の奴隷などになったのではありません。無論、この自分が望んだのでもない。あなた様だってご存知でしょう。それがこの世界の決まり事であるだけのこと。そうではありませんか」
「ん、む……」
 フリーダが思わず言葉を飲み込んだのが分かる。
「彼女らに非などないのです。その責を負うべきは、斯様かような世界のことわりを作り出した、この世の造り主の方なのでは?」
「きっ、貴様。我らが創世神様を愚弄するのか。なんと畏れ多いことを──」

 ふと見ると、隣でマリアが困ったような顔で俺を見上げている。彼女の目の色から察するに、どうやらこの話題を出すのはまずいらしい。仕方なく、俺は話題の方向をずらすことにした。

「そうは申しておりません。彼女らに非はない、と申し上げているだけです。……ゆえに、彼女たちを見下し、蔑むのは筋違いと申すもの。どうか、謝罪を。お願いいたします」
「……ふん」
 フリーダは、それでも何ら反省した風はなかった。
 相変わらず侮蔑の山ほど載った視線でライラやレティ、ギーナを見下ろし、目を細めただけだ。
「本来であれば、この場で手討ちにしているところである。命を拾っただけで感謝して欲しいぐらいのものだな。……下賤の者どもめらが」

 言ってふぁさりと背後に垂らした髪を払うようにする。その姿は、彼女の気性とは裏腹にひどく気高く、ただ美しいとしか見えなかった。
 そのあとはもう、勝手にすっきりしたような顔だった。

「まあよい。せいぜい、そこな女どもを引き連れて北の防備に役立ってくれるがいいさ。ほかのバカ勇者どものように、あまり女の色香に迷わないでくれると助かる。そこの田舎娘の言を、せいぜい裏切らぬようにな」
「……無論です」
 唸るように言った俺の言など、女は軽く黙殺した。
「防衛線に到達する前に『闇落ち』などするバカも山ほど見て来たゆえな。まったく、勇者どもは使えんわ。一体なにが楽しくて、我らが貴様らのお守りなどせねばならんのか──」
 「なっ」とまたライラが噛みつきそうにしたのを、俺は再び手で制した。これ以上のごたごたは御免だった。フリーダの背後で殺気立っている騎士たちの視線も殺伐としたままであり、放っておけば本当に女たちの命をほふりそうな勢いだ。

「ともかくだ。死ぬまでに、一匹でも多くの魔族を狩ってくれよ。我らが貴様に期待するのはその程度だ。よろしく頼むぞ、『青の勇者』どの」

 皮肉まみれの捨て台詞。
 女はそれと共にぱっとマントを翻すと、あの皇帝さながらに、あとも見ないで大股に去った。彼女の率いる士官どもも、じろじろと不躾な視線で俺たちを──特に妖艶なギーナの肢体にそれは集中しているようだったが──眺めまわし、ぞろぞろとそれに続いた。
 彼らが見えなくなったところで、ようやく俺たちは息をついた。すぐそばに居た案内役の文官も、真っ青な顔に冷や汗をいっぱいに浮かべて、やっと胸をなでおろしたようだった。
「いやはや……。どうなることかと思いましたぞ」
「今のが、皇帝陛下の姪御様にして、近衛、聖騎士団団長、フリーダ様であらせられます」
 マリアはと言うと、まるで何事もなかったかのような顔だ。
「聖騎士団はみな、その名の通り<聖騎士パラディン>で構成されております。パラディンとは、<治癒ヒール>や<蘇生>魔法の使える、稀有な魔法騎士のこと。当然、フリーダ様ご自身もパラディンということになりますわね」

 彼女の説明を聞きながら、俺たちも一様に、彼女の去った方向をしばらくじっと見つめていた。





「ったく、なんなんにゃよ! あの女ぁ……!」

 珍しくぷりぷりと腹を立てているレティが、案内された部屋の大きなソファにぼすんと座って足をばたつかせている。が、ぷうっとマンガのように膨れたその頬を見ている限りは、そんなに深刻な怒りとは見えなかった。
 が、残りの二人はそうは行かない。ライラは涙をにじませてまだ怒りと悔しさに震えているし、ギーナもひどく無口になって、表情をこわばらせていた。

「まあ、皆さま。落ち着いてくださいませ」
 案内の者が去ってから、マリアはゆっくりと微笑んで言った。
「フリーダ様は皇帝陛下の近衛隊、隊長です。ですから普段、基本的には北方の防衛線、前線には出て行かれません。それでも大きなことがあった際には、強力な聖騎士団を率いて援護等に向かわれます。察するに、そこで見聞きする勇者様がたのあれこれについて、相当に承服されかねる事態がある……ということなのでしょう」
「なるほど……」

 この街にいたあの緑の勇者を見ていれば、それらもある程度は予測がついた。
 しかし、対魔族防衛の最前線である北の戦場にあっても、周囲に無理やりに<テイム>した奴隷女たちを侍らせて好き放題しながら、適当に戦闘に参加するだけの勇者がそんなに多いのだろうか? 事実は実際、そこに行って見てみるまではわからないが。
 それよりも、俺にはここでマリアに確かめておかねばならないことがあった。

「それより、シスター。先ほどのお話ですが。詳しくお聞きしても?」
「……ああ、はい。もちろんですわ」

 マリアは相変わらず微笑みを崩さないまま、「どうぞお座りください」と目の前のソファのひとつを示した。俺は先に、着ていた鎧を<解除>してもとのチュニック姿に戻ってから、言われるままにそこに座った。
 ライラとギーナもそれぞれに席につき、マリアはすぐに話し始めた。

「さきほど、フリーダ様がおっしゃった通りです。わたくしは、一般的なこの世界の住人というわけではございません」
「と、おっしゃいますと」
「簡単なことです。こちらのレティやギーナさんはご存知のことでしょうけれど、わたくしたち『シスター』はこの世界のあちこちに散在してはおりますが、みな同じ顔、同じ知識を共有する存在なのです」
「え……」

(なんだって──)

 俺は思わず、瞠目どうもくした。

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