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第二章 帝都へ

11 ギーナ

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「……ちょっと待ちなよ」

 黙って事の成りゆきを見ていたギーナが、ここで初めて口を挟んだ。
 彼女はそれまで部屋の隅で、さも手持ち無沙汰な風情で灰色にすすけた壁にもたれていた。その間ずっと、あたかもあるじの気持ちを代弁するかのようにして、手にした煙管きせるがくるくると回っていた。

「あんたらさあ。さっきからあたしら無視して、何を勝手にぺちゃくちゃおしゃべりしてるんだい。バカにしてんのかね、『どうせこんな仕事をしてる女どもだから』ってさ」
「……いや。そんなつもりはないが」
「そうかねえ。とてもそうは思えないんだけどね」

 怒りのあまりにか、ギーナの言葉遣いは先ほどまでの丁寧なものから一変している。女がゆっくりと壁から離れると、髪にさしたかんざしがちらちらと煌めいた。

「ギ、ギーナ……」
 寝台の上ではハナを抱いたまま、病気の女がおろおろと俺たちとギーナを見比べるようにしている。
「要するに、こういうことだろう。そこのシスターは<ヒーラー>でいらっしゃる。それもどうやら、なかなかランクの高いヒーラー様だ。で、ご親切にもこの治療なおしてくださろうかっておっしゃってる。でも、タダじゃダメだというわけだ。……そういうことだね?」

 そこでギーナは足を止め、その場の皆を凄まじい目でめつけた。

「……ふざけんじゃないよ!」

(……!)

 びしっと頬を張られたような感覚があった。
 その怒気。あるいは、覇気。
 それが一瞬にして場の空気を凍り付かせ、狭い部屋の四方の壁をもみしみしときしませたようだった。
 あまりに苛烈な彼女の気に、皆も一瞬、固まった。
 皮肉なことだったが、ここまでの美貌の人が本気で怒りに燃える姿は、今まで見た中でも最も美しく見えた。

「それをバカにしてる、って言うんじゃないのかい。なんだいなんだい、この住処ヤサをちょっと見ただけで、勝手に見下してくれたもんさねぇ。あたしらには、そこのシスターにお支払いするお金銭あしもないだろうなんて、勝手に決めつけてくれてさあ」
「……いや。そんなつもりでもないが。しかし、もし──」
「あんたはいいの。黙ってなさいよ、お兄さん」
 
 俺としては、もしもそう思わせてしまったのなら謝らねばならないと思ったのだが。それは彼女がぴたりと上げたたおやかな手によって、あっさりと退しりぞけられた。
 ふん、と顎をあげてこちらを一度睥睨へいげいするようにしてから、ギーナはその細い腰を独特なリズムでゆらしつつ、ゆっくりとマリアに近づいた。足首にまつわりつく薄絹が、ひらりひらりと宙を舞う。

「あたしらが下々の者だからって、あんまり舐めたことをおっしゃらないでくださいませよ、シスター様。あたしらにゃあたしらの、矜持きょうじってもんがございますよ」

 声音だけは穏やかに取り繕われているものの、俺の目には彼女の背中から燃え上がる炎のが見えるようだった。

「痩せても枯れても、女一匹、誰に迷惑を掛けるでもなし、自分の食い扶持ぐらいはきっちり稼いで生きてきた身さ。ここらの女はみぃんなそうさ。別にあなた様のお綺麗な手を煩わせなくったって、そのの治療代ぐらい、もう少しで貯まるところだったのさ。それを、なんだい。あたしらを蚊帳の外にほっぽって、勝手に話をするんじゃないよ!」
「あら、そうだったのですか。それは失礼を申しました」
 マリアはと言えば、相変わらずまったく動じた風もない。ただころころと笑うだけだ。
「ご無礼の段は、平にご容赦くださいませ。それでは、わたくしどもはもう、ここに長居は無用でございますわね。お嬢様も無事に送り届けたことですし。ヒュウガ様、おいとまをいたしましょう」
 そうしてすっと立ち上がると、踵を返して戸口に向かおうとした。
「あっ。そんな……」
 途端、母親にすがりついていた少女がひどく悲しげな顔になった。ライラやレティも困った顔で、互いに目を見合わせている。
「って、待ちなよ!」
 マリアの前に、さっとギーナが立ちはだかる。小柄な修道女の目の前に、ギーナの立派な胸の先端が突き付けられたような形になった。
 マリアは静かな表情のまま、睨み下ろしてくる美女の視線を平然と受け止めた。
「まだ何か? そこを通して頂きたいのですけれど」
「だから、報酬は出せる、って言ってるんじゃないのさ。慌てるんじゃないよ、おバカさんだね」
「あら。そういう意味でしたの。でも今、少し足りないとおっしゃっていたのでは?」
「っていうか、いったいいくら出しゃあいいんだい。交渉ごとは、まずはそこからじゃないのかい? けど、先に言っとくよ。こっちの足元を見てめちゃくちゃに吹っ掛けるつもりだったら、死んでも許しゃしないからね」

 そこから少し声を落として、二人の女は簡単に値段の交渉をしたらしかった。
 ギーナが渋い顔になる。「やれやれ」とばかり肩をすくめ、目元にかかるその美しい髪をかき上げた。そんな姿さえもが場違いなほどになまめかしい。

阿漕あこぎだねえ。一応シスターだろう、あんた。哀れな庶民に対する憐みとか気遣いとか、そういうもんはないのかい」
「あら。ご自分に都合のいい時だけ、そこを持ち出されても困りますわ。先ほども申しましたとおり、これは飽くまで『仕事』ですから」

 話の流れから察するに、どうやら値段の折り合いがつかなかったらしい。
 寝台の上にいる母と娘が、途端に悲しそうにうつむくのが見えた。俺はたまりかねて口を挟んだ。

「シスター・マリア。いったいいくら足らないのですか? 俺がまた、どこかで合気道の指南でも、日雇いでもなんでもして──」
「だぁから! あんたは口を出さないでったら!」

 すかさずギーナに睨まれて、仕方なく口を閉ざす。
 不思議なことに、当のマリアは可笑しそうに笑いをこらえている風だった。ギーナはこちらを向いているため、彼女の表情は見えていない。

「わかったよ。じゃあ、こうしよう。足りない分は、あたしがあんたらと一緒に行って、その道中で稼いでやろうじゃないのさ。残りはそうやってちびちび返す。それでいいだろう? シスターのヒーラー様」
「えっ……?」
 マリアを除くその場の全員が、我が耳を疑ってギーナの妖艶な立ち姿を凝視した。

(一緒に、行くだと……? この女がか)

 ライラもレティも、ぽかんと口をあけてギーナを見ている。
 絶句している俺を見て、ギーナは口元を手で覆い、くすくす笑った。

「あらやだ。か~わいい勇者様だねえ」

 言いながら、もう隣にやってきている。
 あでやかな香りが鼻孔をくすぐり、肌理きめの細かい細いうなじが目の前にやってきて、俺は思わず顔をそむけた。

「こんな初心うぶそうな人にこういうこと、教えるのもなんなんだけどね。あたしらはあの店で、踊り子と酒の相手だけしてるわけじゃないのさ。つまり──」
「あ、ギーナ。それは……」

 病の女性が困ったようにギーナに言って、ちらりと我が子のほうを目線で示す。ギーナはわずかに苦笑して、「わかってるよ」とばかりに頷き返した。

「ま、そういうことさね。道中どこかで、その金をあんたに渡す。それで貸し借りなしってこと。どう? そんなに悪い話でもないだろうさ。……ああ、なんだったら──」

 そう言うなり、ギーナはひょいと俺の肩にしなだれかかった。それはいかにも、もの慣れた仕草だった。見るからに柔らかそうな唇が俺の耳に近づいてくる。

「お兄さんのに、ちょっと協力して差し上げてもよろしいのよ? それで手打ち。どう? 初心うぶな勇者様──」

 吐息に混ぜ込むように囁きながら、つうと俺の首筋から胸元のほうへと指を滑らせる。俺は思わずその手首を掴み、それごと彼女を遠ざけた。

「……やめろ」
「あ~ら。痛ぁい」

 ギーナがくすくす笑って、するりと俺から体を離した。
 と、戸口の方から小さな笑い声が聞こえて来た。

「う……ふ。うっふふふ……」
「えっ?」
「マ、……マリア、さま……?」

 そう、マリアだった。
 口元をおさえながら必死にこらえようとして我慢できず、とうとう笑い出したということらしい。しまいには目に涙をにじませ、マリアは体を折り、腹を抱えて笑い始めた。

「あは……はははは。お、おかしい……。も、もう、そのぐらいになさいませ、ギーナ様。茶番はもう結構ですわ」
「え……?」

 ギーナが怪訝な顔になってマリアを睨む。もちろんマリアは蚊に刺された程度の反応もしない。

「わたくしに分からないとお思いですか? あなた様はそんなお膳立てをしなくても、そもそもわたくしたちと一緒に旅をする運命のお方のはずでしょう? よほど悪戯がお好きなのですね。けれど、手間ひまを掛けるだけ時間の無駄というものですよ」
「え、それは──」

 今度こそ、場の全員が驚愕の目でギーナを見つめた。
 ギーナは小さく口の中で舌打ちをすると、ほんのわずかに肩を竦めた。笑いをおさめたマリアがすっと彼女に近づくと、威儀を正して向かい合い、静かに腰を落として貴婦人のような礼をした。

「わざわざこんなひと芝居を打っていただいて、まことにお疲れ様でした。……歓迎いたしますわ、ギーナ様。恐らくは<魔術師ウィザード>にして、、ダークエルフのギーナ様を」

「え、……ええええ──っ!?」

 ライラとレティの驚く声が、小さな部屋に響きわたった。

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