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第二章 帝都へ
9 紫の女
しおりを挟む「緑の勇者」の姿が見えなくなってから、俺はやっと自分の体から力を抜いた。
それでもまだ、腹の底では炎の渦がどろどろと湧きたっている。
俺はゆっくりと呼吸を整え、少女たちに目を移した。腰のあたりまでしかない子供たちなので、俺は目を合わせるためにその場に片膝をついた。
大騒ぎをしていた周囲の人々は急にしんとなると、俺たちを遠巻きにして取り囲んだ。
「勇者、さま……」
涙に汚れてはいたものの、少女たちはみな整った美しい顔立ちをしている。いや、だからこそあんな男のお眼鏡に叶ってしまったとも言えるのだろうが。みんなしゃくりあげ、お互いに身を寄せ合い、おずおずと俺を見返している。
俺は自分の表情をどうにか穏やかに、また優しげに見えるように苦心しながら、なるべく静かな声で訊いた。あまり認めたくはないが、なにしろ実の弟から「硬派でいかつ過ぎんだよ、ツグ兄は。そんな仏頂面してちゃ、一生女にもてねえぞ~?」とよく言われているほど、不自由な顔つきなものだから。
「みんな、ご両親……いや、お父さんやお母さんはおられるか? 近くに住んでおられるなら送っていくが」
「え、でも……」
中の一人が困ったように俺を見返して言った。
「勇者様のドレイになったら、おそばをはなれちゃいけないって──」
「いのちをかけて、お守りしなくちゃダメだって……」
「そんなことはない」
俺はそばに立っているマリアを見上げ、目だけで一度「お伺い」を立てた。マリアが頷き返してくれたので、俺はまた少女たちに目を戻した。
「みんなのような小さな子は、危ない旅や戦闘に加わらせるわけには行かない。そもそも、あいつが君たちを<テイム>したのが間違いなんだ。俺がみんなを<テイム>したのは、あの野郎から引き離すためだ。ほかに目的はないから安心してくれ」
「えっ……。本当?」
もうひとりがびっくりしたようにそう言った。
「ああ。もしもそのために『命令』が必要だというならそうする。『お父上やお母上とともに、どうか幸せに暮らしてくれ』。これは命令だ。もしもご両親がおられないなら、家族と呼べる人たちとともに。……それなら、構わないだろう?」
「…………」
四人とも驚いた瞳をして、きょときょととお互いに目を見かわしている。そばに立っているライラは瞳をうるませ、口元をおさえて今にも泣きだしそうな顔だ。レティもなんとなくぐすっと洟をすすり上げてそっぽを向いている。マリアはと言えば相変わらず、作りもののような笑顔を湛えているだけだ。
と、群衆の中から叫びがあがって、一組の男女が走り出て来た。
「マーヤ! マーヤ……!」
「パ、……パパ。ママっ……!」
少女のひとりがはじかれたようにそちらに走っていき、彼らの腕に飛び込んでいく。
親子は三人でわっと泣き崩れ、しばらくはものも言えなくなった。残された三人の少女たちが、羨ましそうにそちらを見ている。やがてやっと落ち着いてきてから、父親らしい中年の男がこちらに向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、勇者様。わたくしどもは、我が子をあんな男に取り上げられて……でも何もできずに、日々、泣きながら暮らしておりました」
「いつかあの男が『勇者』でなくなるのを待つしかできず……」
「こうして助けていただきましたこと、幾重にも御礼申し上げます……!」
夫婦はずっと泣いたまま、何度も何度も俺に礼を言ってくれた。
俺はくすぐったい思いに駆られつつ、「いえ、さほどのことはしておりませんので」と言うぐらいがせいぜいだった。
残った少女のうち二人については、この夫婦の近所に住んでいる者たちの子だということで、俺はこの夫婦にその子たちを預けることにした。
最後の一人は困ったように、去って行くみんなを見送っていた。
「……さて、と。では、この子はどちらの子なのでしょうね」
「それなら、私にお任せください」
突然そんな声がして、群衆の中から紫のマントを着た人物がふらりと現れた。長身だが細身のその影が、ほとんど足音もさせずに近づいてくる。俺は連れのみんなの前にすっと立ちはだかり、そいつと対面する形になった。
「失礼ですが。どちら様でしょうか」
「……あら。そうでしたわね。ごめんなさい?」
艶を帯びた女の声が流れ出て、するりとマントのフードが落ちる。
周囲の人々が息を呑んだのがわかった。
(これは──)
現れたのは、妖艶なまでの美貌の女の顔だった。
ゆるく結い上げた薄い紫色の柔らかそうな髪に、トパーズを思わせる桃色の瞳。なめらかな肌は小麦色で、その耳はマリアのように尖っている。薄物をつけた肌は絹のようで、非常にふくよかな胸元とは裏腹に、締まった細腰が目についた。
胸元と腰、手首やサンダル履きの足首を、しゃらしゃらと鳴る虹色の輪飾りがいろどっている。それは貝殻を磨いたものや鳥の羽などをつないで作られているようだった。マニキュアの施された指先に、細い煙管らしいものを持っている。
「艶麗」とはまさに、彼女のためにあるような言葉だと思った。
群衆がざわっとどよめく。
「ギーナ……?」
「ギーナだ」
「えっ、あのギーナか?」
「一体なんでこんなとこに──」
ざわつく群衆をよそに、女は惜しげもなく見せている胸元に挑発的に指先をすべらせた。そうしてこちらをうち眺め、そよ風のように微笑んだ。
「失礼をいたしましたわ、勇者様。わたくし、残ったその子の行く先を存じておりますもので──」
「え? 本当ですか」
「ええ。こんな所で嘘を申し上げても詮のないことでございましょう? ……ハナ、あたしのことが分かるわね?」
女が少女の方を見やると、ハナと呼ばれた少女はぱっとそちらへ駆け出した。
「ギーナ……ギーナさん……!」
腰のあたりにまとわりつくようにした少女の髪を、女はしなやかな指でそっと撫でた。その一瞬だけ、蠱惑的な瞳の色にひどく優しい光が宿る。
それを見て、俺はようやく体の力を抜いた。どうやら嘘ではないらしい。
「そうですか。では、お願いしても構わないでしょうか。……ギーナさん」
そう呼びかけてみれば案の定、女はこちらを小馬鹿にしたように口元を歪めた。
「あらやだ。『さん』付けなんてよして下さいな。この街ではあたしのことをそんな風に呼ぶ者はおりませんわ。そういう、かしこまった口調で話す者もね」
「……それでは、なんと」
「ギーナで結構。それより、勇者様」
「はい」
「あたしたちの根城まで、ちょっとご一緒していただけません?」
「えっ……?」
思ってもみなかった申し出に呆気にとられ、俺は左右の少女たちと目を見かわした。
そんなに時間がないわけではないが、これから俺たちは今夜の宿を探し、皇帝への拝謁にも臨まねばならない身だ。あまり寄り道をしていていい身分ではなかった。
が、女はそんな俺たちの思惑などとうに知り尽くしたような顔でくすっと笑った。
「これから皇帝陛下へのお目通りがあるのでしょうけれど。まあ、そんなにお時間は取らせませんわ。この子の親だって、娘の恩人にひと目会い、お礼のひとつも言いたいでしょうしね。……ですから、ぜひ」
だが。
最後のひと言を言うときに、女の目が意味深にきらりと光ったのを、俺は見逃さなかった。
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