上 下
19 / 225
第二章 帝都へ

9 紫の女

しおりを挟む

 「緑の勇者」の姿が見えなくなってから、俺はやっと自分の体から力を抜いた。
 それでもまだ、腹の底では炎の渦がどろどろと湧きたっている。
 俺はゆっくりと呼吸を整え、少女たちに目を移した。腰のあたりまでしかない子供たちなので、俺は目を合わせるためにその場に片膝をついた。
 大騒ぎをしていた周囲の人々は急にしんとなると、俺たちを遠巻きにして取り囲んだ。

「勇者、さま……」

 涙に汚れてはいたものの、少女たちはみな整った美しい顔立ちをしている。いや、だからこそあんな男のかなってしまったとも言えるのだろうが。みんなしゃくりあげ、お互いに身を寄せ合い、おずおずと俺を見返している。
 俺は自分の表情をどうにか穏やかに、また優しげに見えるように苦心しながら、なるべく静かな声で訊いた。あまり認めたくはないが、なにしろ実の弟から「硬派でいかつ過ぎんだよ、ツグ兄は。そんな仏頂面してちゃ、一生女にもてねえぞ~?」とよく言われているほど、不自由な顔つきなものだから。

「みんな、ご両親……いや、お父さんやお母さんはおられるか? 近くに住んでおられるなら送っていくが」
「え、でも……」
 中の一人が困ったように俺を見返して言った。
「勇者様のドレイになったら、おそばをはなれちゃいけないって──」
「いのちをかけて、お守りしなくちゃダメだって……」
「そんなことはない」

 俺はそばに立っているマリアを見上げ、目だけで一度「お伺い」を立てた。マリアが頷き返してくれたので、俺はまた少女たちに目を戻した。

「みんなのような小さな子は、危ない旅や戦闘に加わらせるわけには行かない。そもそも、あいつが君たちを<テイム>したのが間違いなんだ。俺がみんなを<テイム>したのは、あの野郎から引き離すためだ。ほかに目的はないから安心してくれ」
「えっ……。本当?」
 もうひとりがびっくりしたようにそう言った。
「ああ。もしもそのために『命令』が必要だというならそうする。『お父上やお母上とともに、どうか幸せに暮らしてくれ』。これは命令だ。もしもご両親がおられないなら、家族と呼べる人たちとともに。……それなら、構わないだろう?」
「…………」

 四人とも驚いた瞳をして、きょときょととお互いに目を見かわしている。そばに立っているライラは瞳をうるませ、口元をおさえて今にも泣きだしそうな顔だ。レティもなんとなくぐすっとはなをすすり上げてそっぽを向いている。マリアはと言えば相変わらず、作りもののような笑顔を湛えているだけだ。
 と、群衆の中から叫びがあがって、一組の男女が走り出て来た。

「マーヤ! マーヤ……!」
「パ、……パパ。ママっ……!」

 少女のひとりがはじかれたようにそちらに走っていき、彼らの腕に飛び込んでいく。
 親子は三人でわっと泣き崩れ、しばらくはものも言えなくなった。残された三人の少女たちが、羨ましそうにそちらを見ている。やがてやっと落ち着いてきてから、父親らしい中年の男がこちらに向かって深々と頭を下げた。

「ありがとうございました、勇者様。わたくしどもは、我が子をあんな男に取り上げられて……でも何もできずに、日々、泣きながら暮らしておりました」
「いつかあの男が『勇者』でなくなるのを待つしかできず……」
「こうして助けていただきましたこと、幾重にも御礼申し上げます……!」

 夫婦はずっと泣いたまま、何度も何度も俺に礼を言ってくれた。
 俺はくすぐったい思いに駆られつつ、「いえ、さほどのことはしておりませんので」と言うぐらいがせいぜいだった。
 残った少女のうち二人については、この夫婦の近所に住んでいる者たちの子だということで、俺はこの夫婦にその子たちを預けることにした。
 最後の一人は困ったように、去って行くみんなを見送っていた。

「……さて、と。では、この子はどちらの子なのでしょうね」
「それなら、私にお任せください」

 突然そんな声がして、群衆の中から紫のマントを着た人物がふらりと現れた。長身だが細身のその影が、ほとんど足音もさせずに近づいてくる。俺は連れのみんなの前にすっと立ちはだかり、そいつと対面する形になった。

「失礼ですが。どちら様でしょうか」
「……あら。そうでしたわね。ごめんなさい?」

 艶を帯びた女の声が流れ出て、するりとマントのフードが落ちる。
 周囲の人々が息を呑んだのがわかった。

(これは──)

 現れたのは、妖艶なまでの美貌の女の顔だった。
 ゆるく結い上げた薄い紫色の柔らかそうな髪に、トパーズを思わせる桃色の瞳。なめらかな肌は小麦色で、その耳はマリアのように尖っている。薄物をつけた肌は絹のようで、非常にふくよかな胸元とは裏腹に、締まった細腰が目についた。
 胸元と腰、手首やサンダル履きの足首を、しゃらしゃらと鳴る虹色の輪飾りがいろどっている。それは貝殻を磨いたものや鳥の羽などをつないで作られているようだった。マニキュアの施された指先に、細い煙管きせるらしいものを持っている。
 「艶麗」とはまさに、彼女のためにあるような言葉だと思った。
 群衆がざわっとどよめく。

「ギーナ……?」
「ギーナだ」
「えっ、あのギーナか?」
「一体なんでこんなとこに──」

 ざわつく群衆をよそに、女は惜しげもなく見せている胸元に挑発的に指先をすべらせた。そうしてこちらをうち眺め、そよ風のように微笑んだ。

「失礼をいたしましたわ、勇者様。わたくし、残ったその子の行く先を存じておりますもので──」
「え? 本当ですか」
「ええ。こんな所で嘘を申し上げても詮のないことでございましょう? ……ハナ、あたしのことが分かるわね?」

 女が少女の方を見やると、ハナと呼ばれた少女はぱっとそちらへ駆け出した。

「ギーナ……ギーナさん……!」

 腰のあたりにまとわりつくようにした少女の髪を、女はしなやかな指でそっと撫でた。その一瞬だけ、蠱惑こわく的な瞳の色にひどく優しい光が宿る。
 それを見て、俺はようやく体の力を抜いた。どうやら嘘ではないらしい。

「そうですか。では、お願いしても構わないでしょうか。……ギーナさん」
 そう呼びかけてみれば案の定、女はこちらを小馬鹿にしたように口元を歪めた。
「あらやだ。『さん』付けなんてよして下さいな。この街ではあたしのことをそんな風に呼ぶ者はおりませんわ。そういう、かしこまった口調で話す者もね」
「……それでは、なんと」
「ギーナで結構。それより、勇者様」
「はい」
「あたしたちの根城まで、ちょっとご一緒していただけません?」
「えっ……?」

 思ってもみなかった申し出に呆気にとられ、俺は左右の少女たちと目を見かわした。
 そんなに時間がないわけではないが、これから俺たちは今夜の宿を探し、皇帝への拝謁にも臨まねばならない身だ。あまり寄り道をしていていい身分ではなかった。
 が、女はそんな俺たちの思惑などとうに知り尽くしたような顔でくすっと笑った。

「これから皇帝陛下へのお目通りがあるのでしょうけれど。まあ、そんなにお時間は取らせませんわ。この子の親だって、娘の恩人にひと目会い、お礼のひとつも言いたいでしょうしね。……ですから、ぜひ」

 だが。
 最後のひと言を言うときに、女の目が意味深にきらりと光ったのを、俺は見逃さなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

スキル喰らい(スキルイーター)がヤバすぎた 他人のスキルを食らって底辺から最強に駆け上がる

けんたん
ファンタジー
レイ・ユーグナイト 貴族の三男で産まれたおれは、12の成人の儀を受けたら家を出ないと行けなかった だが俺には誰にも言ってない秘密があった 前世の記憶があることだ  俺は10才になったら現代知識と貴族の子供が受ける継承の義で受け継ぐであろうスキルでスローライフの夢をみる  だが本来受け継ぐであろう親のスキルを何一つ受け継ぐことなく能無しとされひどい扱いを受けることになる だが実はスキルは受け継がなかったが俺にだけ見えるユニークスキル スキル喰らいで俺は密かに強くなり 俺に対してひどい扱いをしたやつを見返すことを心に誓った

性奴隷を飼ったのに

お小遣い月3万
ファンタジー
10年前に俺は日本から異世界に転移して来た。 異世界に転移して来たばかりの頃、辿り着いた冒険者ギルドで勇者認定されて、魔王を討伐したら家族の元に帰れるのかな、っと思って必死になって魔王を討伐したけど、日本には帰れなかった。 異世界に来てから10年の月日が流れてしまった。俺は魔王討伐の報酬として特別公爵になっていた。ちなみに領地も貰っている。 自分の領地では奴隷は禁止していた。 奴隷を売買している商人がいるというタレコミがあって、俺は出向いた。 そして1人の奴隷少女と出会った。 彼女は、お風呂にも入れられていなくて、道路に落ちている軍手のように汚かった。 彼女は幼いエルフだった。 それに魔力が使えないように処理されていた。 そんな彼女を故郷に帰すためにエルフの村へ連れて行った。 でもエルフの村は魔力が使えない少女を引き取ってくれなかった。それどころか魔力が無いエルフは処分する掟になっているらしい。 俺の所有物であるなら彼女は処分しない、と村長が言うから俺はエルフの女の子を飼うことになった。 孤児になった魔力も無いエルフの女の子。年齢は14歳。 エルフの女の子を見捨てるなんて出来なかった。だから、この世界で彼女が生きていけるように育成することに決めた。 ※エルフの少女以外にもヒロインは登場する予定でございます。 ※帰る場所を無くした女の子が、美しくて強い女性に成長する物語です。

スキルスティール〜悪い奴から根こそぎ奪って何が悪い!能無しと追放されるも実はチート持ちだった!

KeyBow
ファンタジー
 日常のありふれた生活が一変!古本屋で何気に手に取り開けた本のタイトルは【猿でも分かるスキルスティール取得法】  変な本だと感じつい見てしまう。そこにはこう有った。  【アホが見ーる馬のけーつ♪  スキルスティールをやるから魔王を倒してこい!まお頑張れや 】  はっ!?と思うとお城の中に。城の誰かに召喚されたが、無能者として暗殺者をけしかけられたりする。  出会った猫耳ツインズがぺったんこだけど可愛すぎるんですが!エルフの美女が恋人に?何故かヒューマンの恋人ができません!  行き当たりばったりで異世界ライフを満喫していく。自重って何?という物語。  悪人からは遠慮なくスキルをいただきまーーーす!ざまぁっす!  一癖も二癖もある仲間と歩む珍道中!

痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~

ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。 食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。 最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。 それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。 ※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。 カクヨムで先行投稿中!

ギルドから追放された実は究極の治癒魔法使い。それに気付いたギルドが崩壊仕掛かってるが、もう知らん。僕は美少女エルフと旅することにしたから。

yonechanish
ファンタジー
僕は治癒魔法使い。 子供の頃、僕は奴隷として売られていた。 そんな僕をギルドマスターが拾ってくれた。 だから、僕は自分に誓ったんだ。 ギルドのメンバーのために、生きるんだって。 でも、僕は皆の役に立てなかったみたい。 「クビ」 その言葉で、僕はギルドから追放された。 一人。 その日からギルドの崩壊が始まった。 僕の治癒魔法は地味だから、皆、僕がどれだけ役に立ったか知らなかったみたい。 だけど、もう遅いよ。 僕は僕なりの旅を始めたから。

女神のチョンボで異世界に召喚されてしまった。どうしてくれるんだよ?

よっしぃ
ファンタジー
僕の名前は 口田 士門くちた しもん。31歳独身。 転勤の為、新たな赴任地へ車で荷物を積んで移動中、妙な光を通過したと思ったら、気絶してた。目が覚めると何かを刎ねたのかフロントガラスは割れ、血だらけに。 吐き気がして外に出て、嘔吐してると化け物に襲われる…が、武器で殴られたにもかかわらず、服が傷ついたけど、ダメージがない。怖くて化け物を突き飛ばすと何故かスプラッターに。 そして何か画面が出てくるけど、読めない。 さらに現地の人が現れるけど、言葉が理解できない。 何なんだ、ここは?そしてどうなってるんだ? 私は女神。 星系を管理しているんだけど、ちょっとしたミスで地球という星に居る勇者候補を召喚しようとしてミスっちゃって。 1人召喚するはずが、周りの建物ごと沢山の人を召喚しちゃってて。 さらに追い打ちをかけるように、取り消そうとしたら、召喚した場所が経験値100倍になっちゃってて、現地の魔物が召喚した人を殺しちゃって、あっという間に高レベルに。 これがさらに上司にばれちゃって大騒ぎに・・・・ これは女神のついうっかりから始まった、異世界召喚に巻き込まれた口田を中心とする物語。 旧題 女神のチョンボで大変な事に 誤字脱字等を修正、一部内容の変更及び加筆を行っています。また一度完結しましたが、完結前のはしょり過ぎた部分を新たに加え、執筆中です! 前回の作品は一度消しましたが、読みたいという要望が多いので、おさらいも含め、再び投稿します。 前回530話あたりまでで完結させていますが、8月6日現在約570話になってます。毎日1話執筆予定で、当面続きます。 アルファポリスで公開しなかった部分までは一気に公開していく予定です。 新たな部分は時間の都合で8月末あたりから公開できそうです。

異世界転生!俺はここで生きていく

おとなのふりかけ紅鮭
ファンタジー
俺の名前は長瀬達也。特に特徴のない、その辺の高校生男子だ。 同じクラスの女の子に恋をしているが、告白も出来ずにいるチキン野郎である。 今日も部活の朝練に向かう為朝も早くに家を出た。 だけど、俺は朝練に向かう途中で事故にあってしまう。 意識を失った後、目覚めたらそこは俺の知らない世界だった! 魔法あり、剣あり、ドラゴンあり!のまさに小説で読んだファンタジーの世界。 俺はそんな世界で冒険者として生きて行く事になる、はずだったのだが、何やら色々と問題が起きそうな世界だったようだ。 それでも俺は楽しくこの新しい生を歩んで行くのだ! 小説家になろうでも投稿しています。 メインはあちらですが、こちらも同じように投稿していきます。 宜しくお願いします。

異世界召喚された俺は余分な子でした

KeyBow
ファンタジー
異世界召喚を行うも本来の人数よりも1人多かった。召喚時にエラーが発生し余分な1人とは召喚に巻き込まれたおっさんだ。そして何故か若返った!また、理由が分からぬまま冤罪で捕らえられ、余分な異分子として処刑の為に危険な場所への放逐を実行される。果たしてその流刑された所から生きて出られるか?己の身に起こったエラーに苦しむ事になる。 サブタイトル 〜異世界召喚されたおっさんにはエラーがあり処刑の為放逐された!しかし真の勇者だった〜

処理中です...