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第二章 帝都へ
5 夜這い
しおりを挟む「レティ。……おい、レティ。起きろ」
本当に猫のように丸くなってすっかり眠り込んでいるレティの肩を、俺はそっと揺すって言った。
なんでこんな所にいるんだ。そもそも、いったいいつの間に入ってきた。こいつだって、ここは俺専用の一人部屋だと、ちゃんと聞いていたはずなのに。
昼間は頭からすっぽりとマントをかぶっていたので分からなかったが、レティはかなり露出の多い格好をしている。革鎧に近いようだが、よく伸び縮みする素材でできた戦士らしい装いだ。戦士の防具としては豊かな胸元や締まった腰まわりが出すぎている気もするが。正直、動かそうにもどこを触ったらいいのかわからない。
遠慮しながら何度か揺すったところで、レティはやっとぽわんとした目をゆっくり開けた。
「むにゃ……ほわああ」
今度は大口を開けて大あくびだ。
「ふにゃ……。あふ。ご主人サマぁ、おはようございますにゃ」
「いや、朝じゃない。周りをよく見ろ」
「ほえ?」
「あんた、なんでここに居る。部屋へ戻ってくれないか」
「んん……?」
レティはきょとんとして俺を見ると、不思議そうに首を傾げた。
「だって、レティ……『夜のオツトメ』に来たにゃよ? ご主人サマはレティのご主人サマにゃからあ、夜はオツトメしなくちゃいけませんって、村のシスターに言われたにゃ。だから──」
「なに……?」
「ご主人サマのお世話をしてぇ、戦う時はお守りするにょ。レティ、強いにゃよ? 『ぱぱぱぱーん!』って、猫パンチもキックも凄いにゃ。今度、ご主人サマにも見せてあげるにゃ!」
言いながら、「しゅぱぱぱ」と自分で効果音まで入れつつシャドー・ボクシングのようにパンチを繰り出している。
なるほど。
それはつまり、彼女には戦闘系のサポートが出来るということか。それは確かに有難い。まあ彼女の力のほどは、いずれきちんと見せてもらう必要がありそうだが。
いや、今はそのことはどうでもいい。
俺がむっつりと腕を組んで見下ろしていると、レティは少し困ったように頭を掻いた。
「えっと……それで、夜は夜のご奉仕があるんだって。そう聞いてきたにゃよ? ちょっとお腹がいっぱいで、眠くなって寝ちゃったけど。レティ、頑張るにゃよ? まかせて、ご主人サマ!」
「……ちょっと待て」
ガッツポーズなどしている猫の少女を前に、俺は頭を抱える。
こんな純朴な娘に何を教えてるんだ、そのシスターは。
というか、そんなけしからん「お勤め」が義務化されるのか? この「奴隷」と呼ばれる少女たちには。いや、少なくともここまでであのライラに似たようなことをされることは無かったけれども。
まさかとは思うが、今までにもこうして「勇者」の寝台に夜な夜なやってきた少女たちが何人もいたというのか。自分の意思すら封じ込められて、有無を言わさず「勇者への好意」を植え付けられて。そして夜には、その勇者への供物にされる。
(冗談じゃない……!)
俺はバッと振り向くと、大股に部屋の扉へ向かった。もちろん、そこを開いて「出て行け」と言うためだ。しかし。
扉を開いた途端、固まった。
(……!)
すぐ外に、ライラがじっと立っていた。
目にいっぱい涙を溜め、真っ赤な顔をして震えている。完全に怒り心頭の様子だ。ライラの目は部屋の奥にあるベッドの上にレティの姿を認めると、さらに三角につりあがった。
「レッ……レレ、レティさんっ……!」
「ほえぁ?」
「はっ……はは、はしたないことをしないで下さいっ! ヒュ、ヒュウガ様は、そんなことをお望みになるような、ふ、ふしだらな方ではありません!」
「フシダラぁ? それなあに。おいしいにょ?」
レティは眠そうながらもきょとんと首をかしげる。そこに悪意やバツの悪さは微塵もない。まさかとは思うが、その「ご奉仕」の意味するところを、この少女は何も理解していないのだろうか。
だとすれば、余計に哀れだ。
「だってレティ、猫だもん。猫はご主人サマのお布団で一緒に寝るのが好きなんにゃもん。寒い時には、特にそうにゃ。ぬくぬく、あったかいよ? レティの毛、やわらかいからなでなですると気持ちいいんにゃって。ママが言ってたにょ。気持ちよーくなって、落ち着いて、よく眠れるんにゃよ?」
「そっ……そそ、それだけなわけないじゃないっ……!」
真っ赤になったライラが、とうとう大きな声を出した。廊下を歩いてきた他の泊まり客たちが怪訝な顔をしてこちらを見る。俺は仕方なく、ライラを部屋に入れて後ろ手に扉を閉めた。
「落ち着いてくれ、ライラ。俺も今、レティには出て行ってもらおうとしていたところだ」
「そう、なんですか……?」
「ああ。丁度よかった。ライラ、レティを連れていってやってくれ」
「えーっ。イヤにゃあ! レティはご主人サマにご奉仕するんにゃ。いっしょにぬくぬくおねんねするんにゃ──!」
「いいから。あんたは黙っててくれ」
振り向いて睨みつけると、レティは「うにゃ……」と少し耳をしおたれさせて、耳の後ろをくるくると撫で、毛づくろいをし始めた。いや、身体に猫のような毛があるわけではないから正確にはそうではないが。
まったく、猫そのものだ。決まりが悪くなったとき、なにかを誤魔化したいときに、猫はよくこういうことをする。田舎の祖父母の家で飼われているので、俺も少しは知っているのだ。
「本当に……? 本当に、連れていってもよろしいのですね?」
疑っているとまでは行かないが、それでもひどく悲しそうな目をして、ライラが俺を見上げてくる。
なんとなくムッとした。
失礼な。この俺が「据え膳食わぬは」とばかりに、ほかの「勇者」どものように女性に無体な真似をする男だと思うのか。
「わかったにゃ。……もう、しょうがにゃいにゃ~……」
レティがやっと、不服そうな顔をしながらものろのろと寝台から下りはじめた。その背中を押しやるようにして、ライラごと外へ押し出す。
俺は最後に、レティの鼻先にびしっと人差し指を突き付けた。
「今後、二度とこういうことはしないでくれ。余程の用がない限り、俺の部屋には立ち入り禁止だ。……いいな、レティ」
「うにゃ……」
「いいな?」
強い声で念を押すと、レティは不満そうながらもうなずいた。
「うにゃ。ご主人サマがそう言うなら、そうするにゃ……」
「と言いながら、何をやってる」
レティは俺の指に鼻先を寄せ、ふんふんと嗅いでいる。
それからやおら腕を掴むと、指をぺろりと舐めてきた。ざらりとした感触はまさに猫の舌そのものだった。
「こら……!」
言った傍からなにをする。
ぱっと腕を取り戻して叱りつけると、レティは悪びれる様子もなく、ぺろっと舌を出して片目を閉じて見せた。
「残念にゃ。じゃあ、これはまたお預けにゃ。おやすみにゃさい、ご主人サマ~」
「あ、ちょっと。待ちなさいよっ……!」
ゆらゆらと長い尻尾をふりながら、ぴょんぴょんと軽い足取りで自分たちの部屋へ戻っていくレティを、慌ててライラが追いかける。
その背中を見送って心持ち肩を落としたであろう俺の背後から、くすくすと忍び笑いが聞こえて来た。マリアだった。
「あらあら。一日目から色々と大変にございますわね、ヒュウガ様」
「……シスター。分かっていて静観しておられましたね」
「あら? レティの申した通りですもの。『奴隷』たちはなんであれ、勇者様のお求めには逆らえません。『夜のお勤め』とて、その例外ではありませんわ」
「あなただけは例外、でしたね?」
「それはもちろん。……ですが」
そこで柔らかく微笑みながらも、マリアがすっと目を細めた。その奥に隠れた瞳の奥に、どんな思惑が宿っているのかは分からなかった。
「そんなお若い身空で、やせ我慢がいつまで続くことでしょうか。わたくしはどちらでも結構ですが、まあ……あまり、ご無理をなさいませんように、とだけ申し上げておきますわ」
(……おい)
人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。
半眼になって言い返し掛かったが、マリアは不気味な笑みをすぐにいつもの清純なものに戻し、「それでは、おやすみなさいませ」と品よく腰をかがめて、何事もなかったかのように自分たちの部屋へと戻って行った。
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