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第一章 見知らぬ世界へ
5 存在意義(レゾン・デートル)
しおりを挟む教会の中に通され、俺は二人にいざなわれるまま、奥の質素な部屋に入った。
部屋には薪を焚いて使うオーブン付きの小さなキッチンらしいものと、四人掛けの木造りのテーブルセットがあるだけだ。ごくごく貧しい生活らしいことが、一瞥しただけでもうかがえる。いわゆる「清貧」というやつだろう。
「あ、……申し訳ない。その前に」
俺はふと、このままの恰好では椅子に座れないことに気づいて言った。こんな大剣をかついだまま椅子に座るのはどうかと思う。背もたれのない丸椅子なので座れないわけでもないのだが、相手に失礼にあたる気がしたのだ。
剣を吊っている革ベルトをどうにか外そうとしたが、鋲などが打たれたごついデザインの革ベルトについたバックルは、何故かなかなか外れなかった。一見すぐに外せそうに見えるのに、接着剤で固定されたかのように動かない。
「ああ……勇者さま、それでしたら」
見ていた修道女マリアが微笑んだ。
「あなた様の胸の真ん中についている、紋章いりの宝玉がありますでしょう」
「え?」
「それに触れて、念じてみてくださいませ」
見れば確かに、鎧の胸当ての中心に五百円玉大の宝石のようなものが嵌まっている。ちょうどサファイヤのようなとろりとした青い色味で、表面には鳥の翼か植物のような複雑な文様が金や銀の色で現れていた。
「これのことですか? 『念じる』とは……?」
「ちょうど、魔法の呪文のようなものですわ。言葉は勇者さまご自身でお決めになって構いません。『消えよ』でも、『解除』でも。お好きなように──」
俺は半信半疑のまま、それでも言われた通りにその宝玉に触れてみた。すると、ごつい手甲を通しても、そこから心臓が拍動するように、どくんどくんと不思議なパワーのようなものが流れ出ているのを感じた。
確かにそこから、温かでさわやかな、湖畔の木々のざわめきのような印象のある気が流れ出ている。とりあえず「気」と言ったが、それにはまさに武道の稽古中に感じるような、目には見えない意思や闘気の流れにも近いものだった。
(消える……消す。俺の鎧を、解除する──)
少し考えてから、俺は念じてみた。
(『解除』──)
途端、ふっと体が軽くなった。
一瞬、周囲がぱっと明るくなり、俺の体が発光する。
「あっ……」
ライラが驚いて手をかざし、目元を隠す。それぐらいまぶしい光だった。
と、もう次の瞬間には、俺はここへ落ちる前と同じ、S高のブレザー姿に戻っていた。鎧も剣もどこにもない。
「ああ! 普段はそういうお姿なのですね、勇者さま。そちらも、とても凛々しくていらっしゃいますぅ!」
相変わらず俺を「様」付けするのをやめてくれないライラが、なぜかひどく嬉しそうに笑って言った。両手を握り合わせ、うっとりと見つめてくる目がはなはだ尋常でない気がする。俺は気持ち、ライラから距離を取って座り直した。この状態で、また腕にしがみつかれてはたまらない。
そう言えば、このライラにしろ目の前のマリアにしろ、年齢がいまひとつ判然としない。顔立ちだけを見れば十代前半のようにも見えるが、ここまでの言動を見ていると、どうもそこまで幼いわけでもないらしい。
ライラの体つきはほぼ顔立ち相応──失礼──のようだと思ったが、ゆったりとした修道服を通しても、マリアはそうではないように見える。まあ、あまりじろじろ見るのは不躾なので「恐らく」としか言えないが。
ともかくも。
見た目で単純に相手を年下だと決めつけるのは早計のようだ。
俺の「着替え」が終了し、やっと落ち着いてテーブルにつくと、マリアは話を始めてくれた。
「ヒュウガ様。驚かれていると思いますが、こちらでは貴方さまのような『勇者様』が、ほかの世界から現れることがよくあるのです」
「よくある……? そうなのですか」
「はい。もっとも最近ではめっきり少なくなっていましたが。ライラからお聞きになったかと思いますが、残念ながらこちら側でも勇者の伝説を信じない者も増えてきておりまして」
「ああ……そう言えば」
思わず隣を見れば、ライラがこくこくと頷き返してくれている。
「『信じない』と言いますか、なかなか成功を信じられない、とでも言いましょうか……。ともかく、それで今回は勇者様のお迎えに、このライラだけが伺ったような次第だったのです」
ふと見れば、隣でライラが目をきらきらさせている。また危うく腕にしがみつかれそうになって、俺はさりげなく体をずらした。
「『勇者様』が現れる前には、創生神さまの僕、つまりわたくしたちのような者に、必ず『お告げ』がくだります。今回はそれがこの地方で起こるということで、ハイド村のわたくしに白羽の矢が立ちました。わたくしたち『僕』はそれによって、それがいつ、どこで起こり、どんな人がやってくるのかを事前に知ることができるのです」
「なるほど……」
もっともらしいが、色々と疑問はある。
ここへやってくる直前に起こったことを考えれば、自分は残念ながらすでに死んでいるという可能性もある。
では、ここは死後の世界なのだろうか?
もしもそうだとして、なぜこんな風に自分の好みとはほど遠いイメージの場所になっているのか。まず、それが分からない。少なくともここは、俺が望むような「天国」の形からは遠すぎる。いやもちろん、ここを「天国」と認識する奴も大勢いるのだろうけれども。
まあ、俺が生前やらかしたことに鑑みて、「神」とやらが俺に罰を下したということなら仕方がないのかもしれない。そんな自覚はまったくないが、相手がどんな「神」だか分からない以上は文句も言いようがないだろう。しかしどうも、ここは「罰」と言いきるにしては甘すぎる環境のような気もするから始末が悪いのだ。
そうやって考え込んでいるうちにも、マリアは話を進めている。
「近頃ではこの世界でも、『勇者様』にあの魔王を倒していただく……ということに、希望を抱けない者が増えて参りました。それだけ、魔王の誘惑が強力、かつ厳しいものだからということだと思うのですが──」
「いや、待ってください。魔王を倒す? それが勇者の仕事なのですか」
「仕事と申しますか、使命なのです。勇者様の存在意義、と言い換えてもよろしいかと。それをしないままでは、もともとおられた世界へ戻れぬとも聞いております」
「存在意義……」
存在意義。
あっちの世界で一高校生男子として生きていてもなかなか耳にすることのない言葉だ。そもそも人に個々の存在意義があると言う場面はほとんどない。いやもちろん、感情論として家族や恋人が「あなたには生きていて欲しい」と言う場合はこれとは別だ。
そう言えばなにかの本で読んだことがあるが、人類という大きな枠で言うなら、種を存続させるためだとか、何か環境の激変があって存亡の危機が迫ったときのためにこそ、「多くの多様な人が生きている意義」があるのだそうだ。
各種さまざまな方法でバリエーションのあるDNAを確保しておく。つまり、不測の事態が起こって一瞬で絶滅するのを回避するための担保。それが生物学的な意味での個々の人間のレゾンデートルだ、と言うのだ。
まあ、この話はどうでもいい。
要するに、単なる個人として、その「魔王」とやらを倒すためにこの世界に召喚された存在、それが「勇者」だとマリアは言っているわけだ。それこそが勇者の「存在意義」。
では、「魔王」を倒すことに失敗、あるいは目的を放棄したとき、その「勇者」はどうなるのか──。
そこまで考えて、俺は背筋がうそ寒くなるのを禁じえなかった。
俺の内心を知ってか知らずか、シスター・マリアはごく温かな微笑みを浮かべたままで語り続ける。
「その使命があるために、『勇者様』はこの世界でいっさいの他の仕事をする必要がありません。商店、宿屋などの施設もすべて無償で利用することができます。それは連れの者たちも同様です。たとえお腹がすいて畑のものなどを勝手に採って召し上がったとしても、家畜を勝手に奪っても、決して罪にはなりません。それらすべてが問答無用で『寄付』として成立するのです」
「……呆れるな」
聞けば聞くほど、いかにもご都合主義的だ。
この都合の良さはなんなのだろう。
軽い上に、やっぱり俺に対してのみ、設定が甘くされている気がしてならない。
大体、農作物や家畜を奪われたその人たちはどう思うんだ。明らかに実害を被るというのに、損害の補填も受けられないのか。それはいい迷惑と言うんじゃないのか。
「お身の回りのことも同じ。掃除、洗濯、食事の準備。それ以外のもろもろのこと。すべて生きていれば避けては通れないことにございますわね。でも、勇者様はそれをみずからなさる必要はありません。ですからそれをお世話するために、あなた様は多くの『奴隷』を得るのです──」
「奴隷……。つまり、それが」
「はい! あたしのことですっ!」
嬉々として手を上げたのは、もちろんライラ。
「待ってください。いま『多くの』とおっしゃいましたが。……まさか、それはライラだけではないと?」
訊いたらマリアはにこっと笑った。
それもさも「当然でしょう?」という笑みだった。
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