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第一章 はじめまして
7 ハラスメント因果律
しおりを挟む「まあ、要は負のスパイラルってことよ」
エリコさんの話はこうだった。
ハラダの夢の中に入り込んであれこれやっているうちに、エリコさんはあいつの心の中に巣くっているもやもやした感情に気が付いた。それを色々と見ているうちに、だんだんあいつの過去のことが分かってきたんだ。
ハラダの家はぼくんちみたいな共働きじゃなくて、お父さんだけが仕事をしている。お父さんは名の通った会社の役員さんだ。大きな家に住んで、家政婦さんまで雇っている。なるほど、前にエリコさんが言ってたように、ハラダがかなり「いいとこの子」なのは本当らしい。
そういう家の子にはよくあるように、ハラダは小さいころから英才教育をうけていた。もちろんいわゆる「お受験」だってさせられた。でも、ハラダはとにかくデスクワークには向かない子供で、結局、親の望んだいいところの私立小学校には入れなかった。
お父さんは激怒して、お母さんをひどく責めたらしい。
「よくある話よ。『お前のしつけが悪いからだ』っていうアレ。『全部お前が悪いんだ』って。あんたの子でもあるんでしょうに、なんでああいう父親って、そうやってすぐに都合のいいように責任転嫁をすんのかしらね」
エリコさんが呆れた調子でそう言った。
ハラダのお母さんがもうちょっと「骨」のある人だったら良かったんだけど、残念ながらそうじゃなかった。お母さんはとても内気で上品な人で、お父さんにはほとんど口ごたえもしないらしい。ハラダが受験に失敗した時だって、お父さんに責められてハラダを抱きしめて、「ごめんなさい」って言いながらめそめそ泣いてただけだった。
小さなハラダはお父さんを恨んだ。「なんでママをいじめるんだよ」と、幼い心にも思ったようだ。一方で、お母さんにもひどく反発した。「なんでひと言ぐらい、あいつに言ってやらないんだよ」と。「ママが全部悪いわけじゃないじゃんか」と。
でも、幼稚園児のハラダには、それを言葉にする力がなかった。いらいら、ぐるぐるした気持ちはそのまま、彼の胸の中でうずまき、よどんで、やがてじとじとと腐っていった。
それはそのまま、小学校でのあいつの反抗的な態度になって現れた。
勉強なんて死んでもしない。ひどいバカになってやって、もっともっと親を困らせてやるんだ。クラスの連中にも目いっぱいいやがらせをしてやる。友達なんか要るもんか。教師にきらわれたってどうでもいい。公立小学校の教師なんて、どうせ程度の低いバカばっかりだ。だってパパがそう言ってたんだもんな──。
そのときのハラダはもう全部、なにもかもどうでも良かったんだ。
ハラダが問題を起こすたび、お母さんは学校に呼び出された。やがてそれはお父さんの耳にも入り、ご近所の噂にもなった。周囲から家族ぐるみで白い目で見られ始めたことで、お父さんはますますお母さんを責めた。
お母さんは次第にやつれて、ときどき変なことまで言うようになり、家ではほとんどベッドから出てこなくなっていった。
家の中はただ冷たくて、居心地の悪い場所になった。
お父さんとお母さんは一緒には住んでいても、ただの他人のようになった。もともと他人ではあるんだけれど、もはや「家族」とは言えない状態になったわけだ。二人は普段、本当に必要なこと以外、ほとんど口もきかなかった。
そのうちに、お父さんはあまり家に帰ってこなくなった。夜遅く帰ってくると、酒ときつい香水のにおいがしたらしい。どうやらどこかほかで、別の女を作っているようだった。
ハラダの家は、壊れたんだ。
「……そうか。だからあいつ、あんな風になっちゃったのか」
「そうね。この間も言ったけど、だからなにをやっても許されるってもんじゃないわよ。どんな理由があったって、いじめは罪悪に違いないわ。そこは間違えないで欲しいんだけど」
「うん。わかってるよ」
「でも、情状酌量の余地はあるでしょ? なんたってあいつはまだ子供なんだし。このぐらいの年でそのことに気が付いて修正できたら、少なくともこれから先はそれほどひどい人生にならずに済むかもしれない。親がどんな人間だって、自分がしっかりしてれば生きていけないことはないわ。いつかはいい人にめぐりあって、幸せになれないってことはきっとないわよ。親のことで、自分の人生まで捨てることはない。そう思わない?」
「うん……。わかんないけど、そうかもね」
ぼくにはやっと、少しだけわかってきた。
それで、あの時エリコさんはちょっと悩む風だったんだ。単純にハラダを「ぎゃふん」と言わせて、それで終わりでいいの? って、そう思ったっていうことだ。
「で、それからエリコさんはどうしたの」
「そうそう。それよ」
エリコさんは、その後ハラダにやったようにして、お父さんとお母さんの頭の中にも干渉した。夢の中に現れて、それぞれの状態と過去の様子を見たのだそうだ。
「そうしたら、案の定よ。ママはハラダが幼稚園のとき、お付き合いしてたママ友たちからけっこうないやがらせをされてたみたい。ああいう押しの弱い人だから、あっさりターゲットにされたのね」
「うわ、そうなの……」
「ま、あたしでも、見ててちょ~っとイライラするぐらいにはうじうじした人だから。ちょっとつつきたくなるいじめっ子ママたちの気持ちもわかんなくはないんだけどお」
「ってエリコさん、それひどいよ」
ちょっと突っ込んだら、エリコさんはあっはっは、と明るく笑った。
「パパりんはパパりんで、会社でくっだらないイジメに遭っているわけ。派閥争いに巻き込まれた、っていう感じ? でも、家でぐらいはゆっくりして、心を休めたいのにそれもできない。で、ほかの女のところへ、っていうありがちな流れで──って、ごめんなさい? これ、さすがに子供にする話じゃないわよね」
「ううん。いいんだよ。それにぼく、エリコさんが思うほど子供じゃないつもりだし」
「そうなのよねえ。オサムくん、ときどき『本当に四年生?』って思うぐらい冷めてるものね」
「ぼくのことはいいの。それで? どうなったの」
結局、病原体は両親のどちらにも存在すると見たエリコさんは、両親の双方をゆっくりと誘導することにした。
お母さんのほうには、すっかり「息子がこわい、あの子が分からない」と凝り固まっている気持ちをほぐして、過去の赤ん坊だったときのハラダのことを思い出させた。
お父さんのほうにも、まだハラダが小さくてそれなりに幸せだったころの家族のことを夢の中で思い出させたんだ。
「もちろん、それで全部が好転するなんてことはないわ。人の気持ちって、ちょっとやそっとでは動かないもの。大人になっちゃってるとなおさらね」
それでも、少しずつハラダの家の中にはぼんやりとした光が戻ってきたんだそうだ。お母さんは少し笑えるようになり、ハラダと一緒にまた家事をやれるようになってきているし、お父さんは女と別れてはいないけど、それでもときどきはお母さんに優しい言葉を掛けるようになったんだと。
「そうしたらさ。あの子、びっくりするぐらい可愛い目をするようになっちゃって」
「え? それ、ハラダのこと?」
ちょっと信じられない。
あのハラダの「可愛い目」って、さすがにぼくには想像つかないんだけど。
「言ったでしょ? 最近じゃ、あたしの見せてる悪夢が怖いからって『ママのベッドに入れてよ』なんて言うようになったってさ」
「あ、ああ……。そう言えば」
「あれで全部解決、なんて無理でしょうし、結局あそこは離婚するしかないかもしれない。でも、ハラダは一応、落ち着いてきたと。むしろ離婚が決まったほうが、さばさばした顔するんじゃないかと思うぐらいよ。そういうこと」
「そうだったんだ……」
「少なくとももうこれからは、あの子も今までみたいにめちゃくちゃに他人を傷つけようとか、そういう方へは走らないんじゃないかと思うわ。……たぶん、だけどね」
「そっか……」
ぼくはちょっと、反省した。
今までぼく、ハラダの嫌な面しか見えてなかった。そりゃまあ、いじめられてた本人なんだから仕方ないんだとは思うんだけど。
でも、エリコさんの話を聞いたら、そうやって人のことを勝手に一方的に「ダメな奴」ってレッテルを貼るのも、どうなのかなって思えてきた。
それって結局、自分で相手を都合のいいイレモノに入れているのと同じだもんね。
考え考えそんなことを言ったら、エリコさんがにっこり笑った。
「さっすが、オサムくん。やっぱり君、かなり変わっているわ」
「ほめてないよ、それ。エリコさん」
「やあね。褒めてるわよ! めっちゃくちゃ褒めてるじゃない! 四年生でそこに行きつくって、相当すごいことよ。だって大人だって、恨みつらみやら劣等感やらに邪魔されて、そこまでなかなか考えが及ばないもんなんだから」
「……そう。ありがと……」
言ってなんとなくエリコさんを見て、ぼくは「あれ?」と思った。
それは単純にぼくの見間違いだったのかも知れない。
でもそのとき、ぼくはエリコさんのその体が前よりもうっすらと透明になっているような気がしたんだ。
いや、それは見間違いでもなんでもなかった。
そのことはやがてすぐに、はっきりすることになったんだ。
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