オバケでバブルなエリコさん

つづれ しういち

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第一章 はじめまして

4 バケツ

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 翌日。
 朝早くから学校へ行き、ぼくはわざと、先生たちの目を避けて行動した。もちろんみんなエリコさんの指示だ。
 授業中はなにも起こらなかったし、短い休み時間にもハラダたちは何も言ってこなかった。だけど時々、ハラダがぼくのほうをいやな感じの目で見ているのだけは気づいていた。
 昨日のあの出来事がなぜ起こったのかはわからないけど、こいつのことは気に入らない。せっかくの楽しい「いじめタイム」に水を差されて非常に不愉快だ。とにかくこいつに何か仕返しをしなければ気が済まない。その目はそう言っていた。

『やっぱり、昼休みか放課後ねらいってことかしらね』

 エリコさんはゆうべのように、いっさい姿をあらわさないままぼくの頭の中にだけ語りかけている。この声は先生も友達も、だれにも聞こえていないらしい。みんなはただただ、午後のちょっと眠たい社会科の授業を受けているだけだ。
 やがて昼休みになり、給食が終わったところで、思ったとおりハラダがまた子分をひきつれ、僕の机をとりまいた。

「おい、顔かせよ」
「え、でも……。ぼく、今日は牛乳当番だから」
「うるせえんだよ。さっさと来い!」

 ぼくはそのままいつものように、襟首をつまみあげられるみたいにして引きずられて行った。
 クラスメイトたちは困ったような目をしてこちらを盗み見ている子と、まったく無視して何事もなかったかのように楽しそうにしゃべっている子に分かれる。ミユちゃんはもちろん前者だ。彼女はとても悲しそうな目をして、おろおろとこっちを見ている。
 でも、前にぼくが「先生に言いつけるのはやめておいたほうがいいよ」って言ったから、今回も黙っているつもりのようだ。
 それでいい。
 もしも言いつけたりなんかしたら、今度はミユちゃんがこいつらのターゲットになってしまう。こんなひ弱でやせっぽちのぼくだけど、大事な女の子のひとりぐらいは守りたいもの。たとえそれが単純に、いじめっこに好きなようにいじめられるっていうことなのだとしても。





 四年生のクラスが入っている三階から四階へあがる階段の踊り場で、ハラダたちはぼくを壁におしつけるようにしてとり囲んだ。
 昔は生徒が大勢いたこの学校も、少子化で子供が減ったせいで今では空き教室がいっぱいある。四階はみんなそんな感じで、はしに音楽室があるだけだ。だから音楽の授業があるとき以外は、先生もめったにこのあたりを通りかからない。

「昨日はうまく逃げられたが、今日はそうはいかねえからなあ? ハナカミぃ」

 ふくよかでぷりぷりした頬を少し赤らめて、ハラダが気味の悪い目でぼくを見ながらにやにや笑う。興奮しているらしい。こんないやらしい表情でさえなければけっこう可愛いっていうか、いずれはイケメンになりそうな顔のつくりなのに、なんとももったいない話だ。
 コンクリートの壁に囲まれた狭いスペースで、ハラダの声は変に反響して湿っぽく、くぐもって聞こえた。

「オレさあ、前っからギモンだったんだ」
「え?」
「おまえ、そんなヒョロヒョロでさあ。女にはもてるみたいだけど、ほんとに男なのかよってさ」
「ええっ……」

 そんな。
 何を言い出すんだ。
 別にぼくは女の子にもてたりなんかしていない。そりゃあバレンタインデーには、ミユちゃんからチョコをもらったことはあるけれど。でも基本的に、ぼくがこれまでの人生で「もてた」なんて事実はどこにもない。ミユちゃんのあれだって、ほかの女の子の友達にあげていたのとまったく同じ内容だったし。要するにあれは、あくまでも「友チョコ」っていう範囲のものだ。自分で言っちゃうと悲しくなるけど。

「調べてやる。おい、お前ら!」

 ハラダがそう言った途端、子分ふたりがまたぼくを押さえつけた。ハラダの手がぼくのズボンにかかる。

「わっ……や、やめてよ……!」

 ハラダが何をするつもりなのかをやっと悟って、ぼくは変な悲鳴をあげた。じたばたもがくが、ふたりがかりで抑え込まれていてろくに動けない。
 と、その時だった。

「ウオホホ、ウオホホ、ウオーッホッホホホホ──!」

 甲高い女性の声が頭の上で高らかに響きわたった。
 と同時に、何かが上から落ちて来た。
 声に驚いて子分たちの腕の力がゆるんだのを見逃さず、ぼくはさっとそこから離れて階段をかけおりた。

 ──バッシャアア──ン。

「どわっ?」
「ひいっ……!」

 ハラダと子分のふたりは、次の瞬間には頭から水をかぶってびしょぬれになっていた。と、べん、ばいんと間の抜けた音をたてて、ビニール製のバケツが階段や壁にぶつかりながら上から跳ね落ちてきた。ぼくはそれも素早くよける。もちろん、事前にエリコさんから聞いていたからできたことだ。

「ちっ……。くそ! だれだ!」

 ハラダが完全に激怒している。目がぎらぎらと気持ち悪い光をはなっていて、ものすごい顔だ。たぶんああいうのを「鬼のギョウソウ」とかいうんだろうな。
 ぼくがぼんやりとそんなことを考えているうちに、ハラダと子分たちはずぶぬれのまま階段を駆け上がっていった。ぼくはじりじりとあとずさりながら階段を下り、そっと上をうかがった。

「ふざけやがって! ブッ殺してやる!」

 ハラダの恐ろしい声が冷たい壁に反響している。
 その階段を上がった先には、屋上へ続くドアがあるきりだ。そこは大抵、内側に大きな南京錠がかかっていて、先生以外は出入りはできない。

「ひいっ……」
「うわああ!」
「なんっだ、これ……!」

 なんとも言えない悲鳴が聞こえてきた瞬間、ぼくは回れ右をした。これもエリコさんとの打ち合わせ通り。
 階段の一番上の手すりには、なみなみと水をたたえたバケツがもうひとつ置いてあるはずだ。それを準備したのはもちろんぼく。実は朝のうちに、ハラダたちがぼくを連れ込むと予想される場所のあちこちに似たような仕掛けをしておいたんだ。
 コショウを扱うのさえ大変だと言っていたエリコさんだけれど、「大丈夫。練習してみたらうまくいったから」ということで、タイミングを見計らってそのうちのひとつをハラダたちの上にぶちまけたというわけだ。
 ハラダたちがやって来たときには当然、エリコさんはそこにはいない。まあ、いたって彼らには見えないだろうけどね。

 そして、壁には。
 わざとらしいほど赤い塗料でこう書いてある。

「お水、いかが?」

 これもまあ、つまりはぼくの仕事だけれど。
 なるべくおどろおどろしく見えるように、文字の周囲は血が飛び散ったような過剰な演出つき。これはエリコさんのリクエストだ。
 証拠を残しておくのもまずいので、こっちはエリコさんが消してくれる手はずになっている。そう、ハラダたちの目の前でね。さっきの悲鳴は、たぶんその瞬間のものだろう。

 本当は、それを見た彼らの情けない顔を見てやりたいのは山々だった。でも、それじゃあこっちの身が危ない。
 ぼくはそのまま後ろを振り返ることもせず、一目散に教室にかけもどった。

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