3 / 15
第一章 はじめまして
3 作戦
しおりを挟む「で、エリコさん。ハラダを『ぎゃふっ』って言わせるって、具体的にはどうするの?」
その後、公園のベンチに座って少し落ち着き、ぼくらはこうして話をしている。
幸い、今はだれもいない。ランドセルのほうは片付けて膝の上だけれど、濡らされてしまったノートは植え込みの縁石に広げて乾かしてある。
エリコさんは見るからに気が強そうな感じのお姉さんだけど、実はけっこう話しやすい人だった。
「『ぎゃふっ』じゃなくって『ぎゃふん』よ。まあ死語よね。こんなの最近の小学生に言っても通じないわよねえ、ごめんごめん」
「いや、いいんだけど……」
「ハラダについては、やり方は色々あるわね。さっきみたいにくしゃみと鼻水を止まらなくする、なんて可愛いことならすぐできるけど、そんなもんじゃ、ああいうバカな真似をやめるところまでは行かないでしょうし」
「あ、あれ、やっぱりエリコさんだったんだ。あれってどうやったの?」
「簡単よお。あいつらの鼻の穴に、こっそりコショウの粉をさらさらっと」
「えええ!」
ぼくと握手もできないはずなのに、どうやってコショウの粉を触ったのかな。
「そのへんはよく分からない。でも、なんとなく風を起こしたりはできるのよ」と、エリコさんは赤いマニキュアをした指先で唇あたりをなぞりながら言った。
なんだかいい加減なんだなあ。
「いい加減よねえ。っていうかそもそも、このあたしの状態がいい加減そのものよ。食事をしなくていいっていうのは助かるんだけど、物の中を必ずしも通りぬけられるとも限らないし。実はコショウだって、かなり集中して『つかむぞ、つかむぞ~』って思わないと動かせなかったの。あ、出どころはそのへんのラーメン屋さんなんだけど」
「ふーん」
「もともと、自分がどこの誰だったかもよく覚えてないし。……ああ、でも、ふわふわしてた時に誰か真っ白いおじいさんみたいな人に会って、『どうせなら綺麗な若い頃の姿にして』ってお願いしたのは覚えてるかな」
「え? キレイな……?」
それはその、妙ちくりんなかっこうのことだろうか。
ぼくがまじまじとその赤いスーツ姿を見つめてしまったら、エリコさんは太い眉をつりあげて大声をあげた。
「ちょっとお! オサムくん! これはいわゆる『失敗』ってやつですからね? ちょっとした誤算とも言うわ。あたしとしては単純に、『若くてきれいだった頃のあたしの姿にしてちょうだい』っていうつもりで言ったのよ。それなのに、あいつがご丁寧に服や化粧のセンスまで当時のものに戻してくれちゃってさあ。まったく、サービスがいいんだか悪いんだかわかりゃしない」
「あ、ふーん。そうなんだ……」
ということは、エリコさんってけっこうな年齢なのかな。今は「お姉さん」って感じだけど、ほんとうはオバ……うん。やめておこう。エリコさんに人の心を読む能力があったら大変だし。ハラダの前に、ぼくの命が危なそう。
「これはこれで、当時はかなりイケてたんだから。ワンレン・ボディコン、トレンディードラマの全盛期。テレビに出てる女優だって、みーんなこんな格好だったわよ。あたしはばっちり、お立ち台の世代ですからね」
「オ、オタチダイ……??」
「ああ、いいのいいの、こんな話は。で、ハラダとその腰ぎんちゃくのことよねえ」
それから明日に向けてひと通りの作戦を立て、ぼくは遅くなりすぎないうちに家に帰った。
◇
ぼくの家は大きなマンションの四階にある。
「ただいま」と声を掛けてドアを開けると、部屋の中はまだ暗かった。パパもママも仕事で遅い。僕は用意してもらっているおやつや何かを食べながら、宿題をしてママを待つ。塾がある日はお弁当もちでそっちに行くけど、今日はたまたま塾もない日だ。
パパはそんなに乗り気じゃないけど、ママはどうやらぼくを私立の中学校に入れたいみたい。あのハラダみたいに勉強が嫌いなほうじゃないからそんなに苦にはならないんだけど、ミユちゃんと離ればなれになるのはちょっとつらいかなあ、なんて、ぼんやり思う。
だってママが行かせたがってる私立は、だいたい男子校なんだもの。ミユちゃんが来るはずないもんね。
「ねえ、オサム君。ひとりなの?」
「ひゃあ!」
リビングのテーブルでぼんやりとカップアイスを食べていたら、頭の上からいきなり声がしてびっくりした。
見れば天井のライトのすぐそばから、長い髪を垂れさせてエリコさんがさかさまに顔をのぞかせていた。
「び、びび、びっくりした……。おどかさないでよ、エリコさん!」
「あ、ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」
言ってエリコさんはふわりとそこから出てくると、ゆるやかに空中を漂ってきて、当然のように僕の向かい側の席に座った。うっすら透けている足をひょいと組むのが、なんとなくカッコいい。
「いつもこんな風なの? お父さんとお母さんは?」
「仕事だよ。ママはもうすぐ帰ってくるかな」
壁の時計を見ながらそう言ったら、エリコさんはふうん、とあいまいな声を出した。
「じゃ、それまでここにいようかな」
「え?」
「話し相手になってあげる。優しいでしょ? あたし」
「いや、ええっと……」
それ、逆に困るんだけど。ママが帰ってきたら大変なことになっちゃうよ。まあ、ママにエリコさんが見えたらの話だけどね。
第一それ、エリコさんがおしゃべりしたいだけなんじゃないのかなあ。
と、突然エリコさんが真顔になってこっちを向いた。
「変わってるわよねえ、君」
「え? ……う、うん。そうかも」
「あら。自覚あるんだ? あたしみたいなのに出くわしてもそんなに驚いたようじゃなかったし。一見ひょろひょろしててそんな風には見えないけど、けっこう肝がすわってるのね」
「いや、そんなことないよ……。おどろいたよ、めちゃくちゃ」
そもそも最初は、「ちょっと変わった人が道のはしっこにいるなあ」って思ってただけなんだし。
ハラダたちがああいうことになって、エリコさんが突然現れたときだってそうだ。あれは単純に、驚きすぎて声も出せず、動くこともできなくなってただけだもん。
「あら、そうなの? じゃ、自分が変わってるっていうのはどういうところだと思ってるわけ」
「えっ。あ……えーと、それは、いろいろ……」
実はぼく、結構な「おたく」なんだ。友達にはバカにされないように黙っているけど、深夜にやってるアニメなんかにも詳しいし、マンガやゲームにも興味がある。ゲームについては自分でやるのも好きだけど、いずれはゲームデザイナーなんかになるのもいいな、なんてちょっと思ってるぐらいなんだ。
でもそれは、パパやママだって知らないことだ。
口ごもってしまったぼくを見て、エリコさんはふふっと笑った。
「あ、いいのよいいのよ。無理に言わなくても。誰にだって、人に言いたくない趣味のひとつやふたつ、あるものね。子供なんだからなんでもオープンにしゃべって当たり前、なんて思ってないから安心して」
と、エリコさんが言った時だった。玄関のほうでがちゃりと鍵を開ける音がして、すぐにママが帰って来た。
「ただいまあ。……ん? どなたかいらっしゃってるの? オサム」
「えっ? い、いや、えーと──」
慌てて目を走らせたけれど、テーブルの向かいにはもうだれもいなくなっていた。
と、頭の中でエリコさんの声がした。
『じゃ、また明日ね。オサム君』
とっさに目を走らせたら、ライトの近くの天井に、するっと長い黒髪が吸い込まれていくのが見えた気がした。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
貧乏神の嫁入り
石田空
キャラ文芸
先祖が貧乏神のせいで、どれだけ事業を起こしても失敗ばかりしている中村家。
この年もめでたく御店を売りに出すことになり、長屋生活が終わらないと嘆いているいろりの元に、一発逆転の縁談の話が舞い込んだ。
風水師として名を馳せる鎮目家に、ぜひともと呼ばれたのだ。
貧乏神の末裔だけど受け入れてもらえるかしらと思いながらウキウキで嫁入りしたら……鎮目家の虚弱体質な跡取りのもとに嫁入りしろという。
貧乏神なのに、虚弱体質な旦那様の元に嫁いで大丈夫?
いろりと桃矢のおかしなおかしな夫婦愛。
*カクヨム、エブリスタにも掲載中。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
少年、その愛 〜愛する男に斬られるのもまた甘美か?〜
西浦夕緋
キャラ文芸
【和風BL】【累計2万4千PV超】15歳の少年篤弘はある日、夏朗と名乗る17歳の少年と出会う。
彼は篤弘の初恋の少女が入信を望み続けた宗教団体・李凰国(りおうこく)の男だった。
亡くなった少女の想いを受け継ぎ篤弘は李凰国に入信するが、そこは想像を絶する世界である。
罪人の公開処刑、抗争する新興宗教団体に属する少女の殺害、
そして十数年前に親元から拉致され李凰国に迎え入れられた少年少女達の運命。
「愛する男に斬られるのもまた甘美か?」
李凰国に正義は存在しない。それでも彼は李凰国を愛した。
「おまえの愛の中に散りゆくことができるのを嬉しく思う。」
李凰国に生きる少年少女達の魂、信念、孤独、そして愛を描く。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
戦国姫 (せんごくき)
メマリー
キャラ文芸
戦国最強の武将と謳われた上杉謙信は女の子だった⁈
不思議な力をもって生まれた虎千代(のちの上杉謙信)は鬼の子として忌み嫌われて育った。
虎千代の師である天室光育の勧めにより、虎千代の中に巣食う悪鬼を払わんと妖刀「鬼斬り丸」の力を借りようする。
鬼斬り丸を手に入れるために困難な旅が始まる。
虎千代の旅のお供に選ばれたのが天才忍者と名高い加当段蔵だった。
旅を通して虎千代に魅かれていく段蔵。
天界を揺るがす戦話(いくさばなし)が今ここに降臨せしめん!!
完結済💛 痛快・ダメンズへ鉄槌!! 「うちの総務には『賢者』がいる」
水ぎわ
キャラ文芸
『そのカレ、『ダメンズ係数』2610点と出ました。続けますか、捨てますか?』
三ツ星機械、経理課のお局、高瀬 凪(たかせ なぎ)は
『ダメンズ係数』を電卓でたたき出す、通称『総務の賢者』。
的中率120%の恋愛相談は大人気で、予約待ち……。
高瀬の後輩、門脇むつみは、
『ダメンズ係数』なんて信じない。
付き合っているカレからのプロポーズは秒読みだし……。
そこへ美人社員、スミレが『賢者の予約を取ってー!』と泣きついてきたが!?
『総務の賢者』は、戦う女子の強い味方です!💛
表紙はUnsplashのSteve Jerryが撮影

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる