金槐の君へ

つづれ しういち

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第二章

18 わたつうみに

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「ええと……海斗さん? これは」
「どうぞ。もしよろしければですが……お受け取りいただきたく」

 言って海斗が芝生のうえに片膝をつく。
 そのまま両手でふみを差し出され、律は慌てた。

(まさか。……まさか)

 胸が勝手にどきどき言いはじめる。
 恐るおそる受け取ってみて、確信した。
 見下ろせば、まっすぐにこちらを見上げてくる真摯な黒い瞳と目が合う。

「よ、……読んでいいのだな?」
「は」

 臣下の礼そのままに、海斗が一礼していざり下がった。
 手がどうしても震えてしまう。やや厚めの半紙が風になぶられ、かさかさとたてる音だけが聞こえている。
 出てきたのは思ったとおり、細長い色紙につづられた歌だった。
 まぎれもない、「北条泰時」の筆跡である。細筆でさらさらと書かれたその歌を、律はじっくりと噛みしめるようにして読んだ。


 が君の 古き面影 しのぶにも 夜枕辺よる まくらべに 見る春霞はるがすみ


 何度も何度も、文字の上を目線でなぞった。
 墨の乾いた文字の上を、震える指先でそうっと撫でた。

(……まちがいないだろうか)

 これは、恋の歌。
 しかもあの古い昔に、自分が彼に贈ろうとした歌への返歌。

(しかも……この返事は)

 それで、本当に間違いないか?
 自分がそう望みすぎるゆえに、間違った解釈をしてはいないか……?
 何度も何度もそう思い返してからやっと、律は口を開いた。

「や、……やすとき」

 声は完全にかすれきっていた。
 海斗は下げていた頭をあげると、ふと苦笑した。

「申し訳もありませぬ。斯様かようにまで長き年月をお待たせをしてしまいました。今、ようやくお返事が叶いましてございまする」
「や……やすとき」

 体じゅうがぶるぶる震えだした。
 もはや立っていることも難しくなり、すとんとその場にしゃがみこんでしまう。海斗が「あっ」と言ってすぐに手を差し出してくれた。

「大事ありませぬか」

 言われて必死に首を左右にふる。

「ゆ、……ゆめ、ではないか。これは、現実うつつか?」
「はい」
「本当に夢ではないのか。私の勝手な……妄想なのでは」
「はい」

 しかし、と言って海斗は非常に恥ずかしそうな顔になった。

「なんとも、あれこれと不如意な歌で申し訳ありませぬ。なにしろずっとこの道から離れておりましたゆえ……どうか不出来については、広きお心をもってお許しをいただきたく」
「とんでもない」

 言って律は、歌札をぎゅうっと胸に抱きしめた。
「さすがは匠作しょうさく。……腕の衰えなどない。いささかもな」

 言葉とともにぱたぱたと芝生の上に落ちていく雫のせいで、視界は熱くかき曇った。頭がかるく海斗の胸にあたったかと思うと、次にはおずおずと海斗の手に体を抱き寄せられたのを感じた。
 海斗の、泰時の手が温かい。

「うっ……う、ううううーっ……」

 律はその胸に頭をおしつけ、寄せるさざ波と風の音を聞きながら、ひたすら嗚咽をもらしつづけた。



 わたつうみに 流れでたる 飾磨川しかまがは しかも絶えずや 恋ひわたりなむ
                      『金槐和歌集』502
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