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第二章
16 今しはと
しおりを挟む寿福寺から鶴岡八幡宮へは、車道と歩道をわずかに分ける白線があるだけの、細い道を歩くことになった。
基本的に鎌倉という町は、主要な道路以外の道が狭いようだ。観光地になっている場所のほかは民家や緑が多く、実際に歩いてみるとかなりのんびりしているように見える。
すぐ脇をときどき車がすり抜けていく道を、ふたりで縦一列になって歩いていくと、やがてぞろぞろと観光客らしい人たちが一方向へ歩く道へ出た。人の流れを追っていくと、そこからすぐに鶴岡八幡宮に至った。前回とは異なり、西側から三の鳥居へ入った形である。
参道へ入って舞殿のある広場へ向かうと、そこにはすでに観光客たちが大勢詰めかけていた。もちろん献詠披講式が目当ての人々だ。律と海斗は、人々の後ろ側に立ち、そっと祭りを見守ることにした。人々はそれぞれ、手にしたスマホやカメラを舞殿に向けて、さわさわとおしゃべりをしている。
献詠披講式は、毎年三月の二十四日にこの場所でおこなわれる祭事だ。披講とは、詩歌に曲節をつけて詠みあげることをいう。このようにして、神前に和歌を献詠する神事として、この八幡宮で長くおこなわれてきた古式ゆかしい祭だそうだ。
すでに舞殿の中には、宮の神職が白い直垂に引立烏帽子のいで立ちで集まっている。全部で七名いるようだ。
詠まれる歌のうち、一つは必ず実朝の歌が選ばれる。あとは公募によって選ばれた歌が詠まれるという。
読師とよばれる司会役に従い、講師がまず全句を節をつけずに詠み上げると、発声の先導をする者にしたがって、講頌とよばれる四名が唱和する。
神事にふさわしく、祭りは粛々とおこなわれ、やがて神職たちが下がってゆくと、自然と人々の群れもほどけはじめた。
「やはり、『金槐和歌集』からでしたね」
「ああ、うん……」
この世の春を謳歌するような桜の花の下で、こんなにも年月がすぎたあと、この八幡宮で自分の歌を神事として唱和する祭りがつづけられてきていることが、なんだか夢のようにも思われた。
山腹にあるあの墓に参る人が多いわけでないことはよくわかったが、後世の人々がこうして数百年も昔に死んだ自分のことを偲んで、今も祭りを催してくれていることには、不思議なありがたさと、くすぐったさを感じる。そしてもちろん、まちがいなく、少しばかりのうれしさも禁じ得ない。
ただ非常に若い時分の歌をこうして大勢に披露されることについては、かなりの気恥ずかしさを覚えるのも事実だけれど。
「大事ないですか、律くん。少し休憩しましょうか」
海斗の声に心配の色がまざった。
「あ……うん。大丈夫です。ええっと、おなかがすきましたねっ」
律は敢えて笑顔を作った。
まだ脳の芯が少ししびれたような感覚があったけれども、別に歩けないというほどのことではない。急に空腹になってきたのも事実だった。
「食事処を探しましょうか」
「あ。えっと、それなら……」
鶴岡八幡宮の敷地の中には、幼稚園のほかにも美術館やらカフェ、食事処まで存在している。
三ノ鳥居をくぐってすぐ左手の、平家池に面した場所にも落ち着いた雰囲気の店があった。ただしそちらは、表の看板をちらっと見ただけでもだいぶ値段が張りそうな感じはしたけれど。
「ここって、どうでしょう? 少し高いかもしれませんけど」
鳥居から外へ出てしまったほうが安い食事処がいくつもあることはわかっていたが、律はなんとなくこちらに心惹かれていた。それにいち早く勘づいたものか、海斗はあっさりと「ではこちらにいたしましょう」と、さっさと入口に向かってしまった。
店内はホテルのレストランを思わせるような、モノトーンの品のいいインテリアでまとまっていた。ウエイターが、空いている窓際の二人席をすぐに勧めてくれてそこに落ち着く。
そこは源平池のうち、西側にある平家池をずうっと見渡せる明るい席だった。
ほかにも客はいたけれど、店内は非常に静かだ。
「なるほど。落ち着きますね」
「うん。……さてと、なにを食べようか」
ふたりでメニューをのぞき込みつつ、「やっぱり少し高いな」と苦笑してしまう。学生の身分で二泊もしている上に、まことに大した散財である。
実はこの旅、事前に「自分がお誘いしたのですから」と海斗から旅費を全額出すという申し出を受けた。まるで当然かのような顔をしてそんな風に言うものだから、律は慌てて断ったのだ。「まさか、そんなことはさせられぬ」と。
あのときもなんだかんだですったもんだあったけれど、結局は折半にしてもらえた。話を聞いた律の両親が、「さすがにそれでは清水君に申し訳ない」と口添えしてくれたためもある。海斗にはわざわざ言わなかったが、両親からはお土産代などとして、さらに余分にいくばくかの小遣いまでもらってしまった。
まったく、自分は恵まれている。「律にいばっかり、いいなあ!」と、彩矢はちょっぴりむくれていたものだ。
「源氏池とくらべると、こちらの池はあまり澄んでいないようだな」
「左様ですね。鯉の姿もあまり見えませぬ」
平家池に突き出るように作られた小さな島へは、参道の側から赤い欄干の小ぶりな橋が架かっている。和服を着た女性たちが、橋をわたって池を眺めにやってきては写真を撮っているのが見えた。
「さて。午後はようやく江ノ電かな?」
「左様ですね。どちらからお回りになりたいですか」
「そうだなあ。まずは長谷まで行ってしまうのがいいかなあ、と思っていて──」
「なるほど」
ふたりは緑に濁った平家池をながめつつ、スマホの地図と旅行雑誌を開いて今後の行程について話し合った。そうやって食事が来るまでのわずかな時間、小声で会話をかわしながらゆったりと過ごした。
今しはと 思ひしほどに 桜花 散る木のもとに 日数経ぬべし
『金槐和歌集』54
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