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第二章
14 いとほしや
しおりを挟む翌朝。
外がずいぶん明るくなっているらしいのに気づいて、律は慌てて体を起こした。
(えっ……?)
枕元のデジタル時計を見て、さらに慌てる。
隣のベッドでは海斗がすやすやとまだ寝息を立てていた。
「あっ……あの。海斗さん。海斗さんっ……」
「え……ああ、おはようございます」
海斗は即座に目を開いた。心なしかその目が赤い。少しぼんやりしているようにも見える。もしかして、あまり眠れなかったのだろうか。
「おはようございます。は、いいんですけどっ。ごめんなさい、寝坊したみたいでっ」
「ええっ」
海斗もがばっと起き上がる。時計はそろそろ九時になりつつあった。今朝は少し早起きをして、朝の早いうちにある場所をいくつか回り、その後また鶴岡八幡宮へ参る予定だったのだ。
「申し訳ありませんっ! すぐに支度を」
「はい、俺も──」
挨拶もそこそこに身支度を整え、交代で洗面所を使い、海斗が階下へおりてコーヒーをもらってきてくれる。昨夜のうちに購入しておいたカフェレストランのパンで、あわただしく朝食をとった。
「あまり時間がありませんし、今日は先に八幡宮へ参りましょうか」
「うーん。でも、たしか一時からなんですよね」
「はい」
実は今日、三月二十四日には、鶴岡八幡宮で源実朝に関連した行事が行われることになっている。献詠披講式という、舞殿でおこなわれる祭りのひとつである。調べてみたところ、それは午後一時から行われるとのことだった。
律は少し考えこんだ。
「ここから寿福寺までは、歩いてもそう遠くないようだし……。迷いさえしなければ、そんなに慌てずとも間に合うのではないだろうか」
「左様ですか? まことにそれでよろしいでしょうか」
海斗はやや心配げな目をしていたが、「律くんがそうおっしゃるなら」と納得してくれた。そもそもふたりして寝坊してしまったのだから「否や」を言えるはずもないのだろうけれども。
ともあれ、前日同様のなるべく身軽な恰好になり、コートを羽織って階下へおりた。
今日も宿泊する予定なので、大きな荷物はそのまま部屋に置いてある。
「いってらっしゃいませ」
ホテルマンのさわやかな声に送り出されて道へ出る。
御成通りを北へとあがっていき、鎌倉駅のところでふたり分のフリーパスを購入した。やや大きめの厚紙にコピー印刷がしてあるだけの単純な切符である。だがこれがあれば、今日一日、バスと江ノ電がフリーで乗れるというのだ。ここで一日動き回るなら、入手しない手はない。ただし江ノ電については、近くに鎌倉大仏のある長谷駅までということらしかったが。
そこからふたりで、ときどきスマホの地図を眺めつつ、小町通りからやや西側の道へ入ってさらに北上した。
観光客の多い地域を少し外れると、鎌倉の町は急に静かで緑の多い住宅街へと変貌する。まだ町中だというのに、空をあおげば悠々と、大きな鷹が二羽、舞っていた。
江ノ電の線路をわたってさらに少し北上すると、左手にひっそりと、古めかしい寿福寺の門が建っていた。
頼朝の墓のある法華堂跡のときと同様、こちらも訪れる人の数は少ない。ゼロではないのだけれども、決して多いとは言えなかった。
山門をくぐり、まずは寺社にお賽銭を入れ、手を合わせてからその裏手へ入る道をいくと、それはすぐにごつごつした石のある坂道に変わった。細い道の両側を、鬱蒼とした木々が陽の光を遮るようにまるく覆っている。天気はよいのに、その下からは不思議と気温が幾分か下がり、背中を一瞬、ひやりとしたものが撫でたような気がした。
ふつうの山道に見えるのだが、あちこちに民家もあることに驚いた。看板には、ここに住む人がいるので静かにするようにという注意書きがなされている。
矢印に従ってくねくねとした山道を進むと、やがて墓地が現れた。
見たところ、石も新しく最近の人々のための墓石が多いようだ。
「ここにある、と地図にはありますが。いったい……」
「大丈夫、わかります。こちらです」
海斗は周囲を少し見回すと、すぐに何事かを理解した顔でそう言った。
(……そうか。彼は知っているのか)
ふと納得した。
それはそうだ。彼が北条泰時ならば、その場所を知らないはずがない。
墓石の間の道はまるで迷路のようで、小さな階段がついていても、ほかの墓石が邪魔をして視界を遮り、すぐにほかと見分けがつかなくなってしまう。そこをどうにかこうにか抜けると、ほとんど山に見える大岩を背に、広々とした墓地が扇状に広がる場所へ出た。
岩の上から森の緑が垂れ下がり、そのまま蔦が絡んですっかり岩と緑とが一体となって山の一部になっているように見えた。
「おそらく、こちらです」
海斗が言うまま、そのあとを追った。
広場のほうには現代の墓石がずらりと並んでいるのだが、どうやらその大岩に沿う場所だけは古い墓石が多いようだ。緑の苔に覆われた、刻まれた文字も風化しかかったようなやぐら型の墓だ。
周囲の森が、さらに鬱蒼と暗く感じられる。暑い季節ではないためもあるが、余計に肌寒さが増したような気がした。
少し前を歩いていた海斗が、とある場所で足を止めた。
「……殿。こちらです」
彼の前には大岩がくりぬかれたように洞穴状になった場所がいくつか並んでおり、中には石づくりの五輪塔が据えられている。
そのうちのひとつの入口に、ごく小さな看板が立てかけられていた。
──「北条政子」。
(母上……!)
まるで雷に打たれたかのようだった。全身が粟立つ感覚に襲われて、律は思わずその場に膝をついた。
いとほしや 見るに涙も とどまらず 親もなき子の 母を尋ぬる
『金槐和歌集』608
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