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第二章
13 春深み
しおりを挟む「下でコーヒーをもらってきましょうか」
海斗はむくりと起き上がるなり、そう言った。
「あ、私も行く」
こちらのホテルではフロントの脇にコーヒーサーバーが置かれており、豆から挽くコーヒーが無料で提供されているのだ。
自前のカーディガンを羽織り、ふたりで足音を忍ばせるようにしながら部屋を出た。そのまま小さなエレベーターを使って一階に下り、サーバーまで行く。
あらためてよく見ると、ほかの豆もあるようだったが、律はこのホテルのオリジナルブレンドというものがやっぱり気になった。迷わずそれにする。
海斗も同じものを選んで、カップにプラスチック製の白い蓋をし、また部屋に戻る。電気をすべてつけ、ベッドに座って向かい合う形になった。
部屋は十分暖かい。作務衣のままだとしても、別段寒さを感じるということはなかった。
小ぶりな部屋に挽きたてのコーヒーのいい香りが少しずつ満ちていく。
オリジナルブレンドのコーヒーは、口をつけてみると思った以上に香り高くて、なかなか美味しいものだった。
だが、かなりの熱さなので、気をつけないと口を火傷してしまいそうだ。ふたりはしばらく、そうっとカップを傾けるだけで沈黙していた。
「……まこと、不思議な心地がしております」
ぽつりと海斗が言って、律は目をあげた。
「え?」
「この鎌倉に、またこうしてあなた様と共にいる。こんな奇跡がありましょうや」
「ああ。……うん」
それは自分も心からそう思う。
「まるで、どなた様かのお導きのようにも思われて。実はこの地に降りたって以来、ずっと誰かに呼ばれているような、あるいは夢でも見ているような心持ちでおりました」
「あ。それは……私もだ」
「そうなのですか?」
ふと上がった海斗の瞳と、まともに視線がぶつかりあう。また急に胸の音がうるさくなり始めるのを覚えて、律はあわてて目を伏せた。
「この地には、われら縁の方々が多数眠っておられるからな。きっと今でも、われらのことをお見守りくださっているにちがいない」
「左様ですね」
ひとつうなずいて、海斗がコーヒーをひと口飲んだ。
「……お叱りを受けてしまうやも知れませぬ」
「え?」
「ああ、いえ。なんでもありませぬ」
(気になる……)
めちゃくちゃ、なる。なるが、どうやらここはこれ以上深追いしてはいけないようだ。そんな気がする。
その後はなんとなく、明日の行程やら大学のこと、同好会のことなど他愛のない話をつらつらとした。ようやく眠気がやってきた頃には、すでに日付が変わっていた。
「あらためまして、お休みなさいませ」
「うん。海斗さんも、おやすみなさい」
電灯を消し、ふたたびベッドにもぐりこむ。
もの慣れないシーツの匂いや肌触り、ベッドや枕の硬さにも、少しは体が馴染んだのだろうか。そこからはすぐにとろとろと睡魔が忍び寄ってきて、律はいつのまににか夢の中へと旅立っていた。
春深み 峰の嵐に 散る花の 定めなき世に 恋ひつつぞ経る
『金槐和歌集』448
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