金槐の君へ

つづれ しういち

文字の大きさ
上 下
63 / 93
第二章

4 わが恋は

しおりを挟む

 大学が後期試験の時期にはいると、何がどうというほどでもないのだが、ふたりともなんとなく忙しくなった。当然、海斗と会える日は少なくなってしまった。
 基本的にというか、律とはちがって交友関係が広いタイプの学生たちは、以前同じ講義をとった友達や先輩との情報共有をおこたりなくやるもののようだ。そうやってある意味準備をして試験に臨むらしい。

 前期試験のときにはそんな事情にはとんとうとく、ひとりこつこつとまじめに準備していた律にとって、今期は目から鱗が落ちることばかりだった。
 海斗や鷲尾をはじめ、和歌愛好会のみんなとのつきあいが深まるにつれ、そちら方面の情報が自然と耳に入ってくるようになったのだ。
 そのためなのか、後期の試験勉強は非常にスムーズに進んだ。なんだか信じられないほど簡単に。

「青柳くん、あの授業とってたよね?」
「あの先生、この単元から出題するのが好きみたいだよ。去年もその前もそうだったって」
「この語句の定義を訊ねられることが多いらしいから、しっかり覚えとくといいよ」
「先輩の〇〇さん、詳しいポイント解説ありのすごいノート、コピーさせてくれるみたいよ。お代はコーヒー三杯だってさ」

 ざっと、こんな具合だった。
 かつて人の上に立つ人間だったというのにすっかり忘れ去っていたのだが、現代に暮らす学生にとっても「先達せんだつはあらまほしきことなり」は真理であるらしい。

「ぷっ」

 唐突に脳内に「徒然草」の吉田兼好が出てきて、思わず小さく吹きだしてしまった。
 講義中だというのになんたることか。慌てて口もとを隠して下を向く。だが幸い、先生は正面に映しだしたパワーポイントの映像に目をやっていた。

「いかがなさいましたか」

 ごく低い声が隣からささやいてくる。
 この講義は珍しく、学年が上の海斗も受けているのだった。彼は今や、当然のように律の隣に座るようになっている。
 律はぼそぼそと小声で答えた。

「あ、すみません。ちょっと思い出し笑いを」
「何を思い出されたのです」
「いえ、大したことでは──」

 小声で答えつつも、まだ喉の奥ではくつくつと笑いのもとが滞留している。
 海斗は目元をやわらげてひとつうなずくと、何も言わずにまた前を向いた。
 ごく自然な態度だ。近ごろでは、彼も緊張や尊敬や悲しみをたたえてばかりいた瞳をほんの少し柔らかいものに変えてきている気がする。それはなんとなく律も嬉しく感じている。
 いや、単なる律の思い過ごしかもしれないけれど。

 指が長くて爪がきれいに整えられた、律より少し大きな手のうえで、シャープペンシルがくるりと器用に回される。これもいつもの風景だ。
 さわやかに秀でた明るい額。筆でまっすぐに「一」の文字を描いたように、すっくりとのびた素直な眉。
 顔立ちはまったく違うはずなのに、いま、知的で鼻筋の通った海斗の横顔には、かつての泰時の面影が色濃くあらわれているような気がする。
 器がどんなに違っていても、やはり人柄というものは見た目にも表れてしまうものなのだろうか。そうだとしたらなんとも不思議だ。そしてなにやら、おごそかな気持ちにもなる。

(それなら……私は?)

 自分は彼からどんな風に見えているのだろう。
 右大臣となった実朝は、二十八で命を絶たれた。だが、実は二十八というのは、あの時代ならもう壮年と呼んでいい年齢だった。
 今なら十分「青年」と描写されるような年だけれども、あの頃は「人生五十年」と言われていた時代だったのだから当然である。

 いまの自分は彼から若く見えているのだろうか? それとも、疲れて年老いた弱々しい存在に見えるのだろうか。
 前世が鎌倉将軍だったわりに、頼りなくて心もとないと思われているかもしれない。いや、おそらくそうだろう……。

 つらつらとそんな仕様のないことを考えているうちに、今期最後の授業が終わり、ふたりは講義室を出た。
 以前なら、すぐさま女の子たちが寄り集まってきたものだ。だが、なぜか最近はそれが少し落ち着いているような気がする。寄ってくる子がいないわけではないが、以前に比べるとだいぶおとなしいのだ。
 海斗は、もちろん話しかけられれば以前と変わらずにこやかに応対する。それはそうなのだが、なんとなく彼と彼女たちとの間に、目には見えない線が一本引かれているような感じがあるのだ。
 前の「陽キャで煮しめたような」サークルを離れたことが大きいのだろうか?
 それとも、海斗自身が彼女たちに何かのアクションを起こしたということなのか……?

 あれこれ考えあぐねているうちに、海斗はさっさと歩きだし──このところはもう、普通の男子と歩く速さに遜色はなくなっている──律をサークル棟へと連れていった。


わが恋は 深山みやまの松に つたの しげきを人の 問はずぞありける
                      『金槐和歌集』431
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

王様のナミダ

白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。 端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。 驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。 ※会長受けです。 駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

王道学園のモブ

四季織
BL
王道学園に転生した俺が出会ったのは、寡黙書記の先輩だった。 私立白鳳学園。山の上のこの学園は、政財界、文化界を担う子息達が通う超名門校で、特に、有名なのは生徒会だった。 そう、俺、小坂威(おさかたける)は王道学園BLゲームの世界に転生してしまったんだ。もちろんゲームに登場しない、名前も見た目も平凡なモブとして。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。

みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。 男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。 メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。 奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。 pixivでは既に最終回まで投稿しています。

処理中です...