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第一章
44 山城の
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海斗の入院は予想したよりもだいぶ早く終わった。結局、二週間ほどしか入院していなかったと思われる。最近では病院も、長く患者を置いておかないという方針であるらしい。
とはいえ足の骨折と頭部の外傷以外には大きなケガもなく、脳のMRIにも問題がなかったのが大きいのだろう。担当医からは「不幸中の幸いだったね」と言われたらしいが、本人は少しだけ不服そうだったのがおかしかった。
本人いわく「これでも、もとは一応武士なのですから。咄嗟のことでしたが受け身はとったつもりだったのです。不甲斐ないことで、まことにお恥ずかしい」ということになるらしい。
それを聞いて律は憤慨した。
「バカなことを! 大事にならなくて本当によかったではないか。大事になっていたら、御父上に合わす顔がなかったぞ」と返したら、「申し訳もなきことです」と殊勝な答えが返ってきたものだ。
しかし、おそらく絶対に反省などしていないと思われる、あの男は。次に似たようなことが起こっても、彼はきっとまったく同じことをするに違いないのだ。
(気をつけよう。本当に気を付けよう)
心に誓う律だった。
そこからは、大学の帰りに海斗の病院に回るという生活が始まった。
人気者の海斗らしく、見舞いにいくと誰かしらが入れ替わり立ち替わりに病室にやってきていてにぎやかだった。あの鷲尾ももちろんいたし、ほかのテニスサークルの面々もいた。ときどき「少し静かにしてください」と看護師さんに叱られる場面もあった。
ところで、若者が骨折などして入院すると、とにかく腹が減って困るらしい。骨折した部位以外は元気そのものなので、病院食だけでは到底足りないらしいのだ。似たようなケガの若者が、松葉杖をついて売店などをウロウロしているのはよく見かける光景らしい。
そんなこんなで、友人たちからの見舞いは食料が主だった。カップラーメンだのお菓子だの菓子パンだのが、ベッド脇の物入れに入りきらずにテーブル上にもてんこ盛りになっている。
女性が来ると、海斗のために嬉しそうに果物の皮を剥いてやったりなどしていて、なんだか律の胸はもやもやとしてしまったものだ。
「こんなに食べて大丈夫なんですか。あまり動けないのに、かえって太っちゃいませんか」
「……そうならぬように気を付けます」
海斗がほんの少し赤面して咳払いをしたのは、実際、少し体重が困ったことになりかけているからだろうと思われた。
父親の義之氏は、仕事の関係もあって夕方に少し顔を見に来るぐらいのことしかできないらしい。しかも毎日は難しいようだ。洗濯物は義之氏が持ち帰り、着替えなども持ってきてくれている。律も一度「手伝います」と申し出たのだったが、海斗も義之氏も頑として「それはさせられない」の一点張りだったのだ。
「その儀ばかりはどうかご勘弁を。何卒お許しくださいませ」とベッド上で平服せんばかりの海斗を見て、ついに律もあきらめたのだった。
そうこうするうち、退院の日取りが決まった。海斗は入院中からリハビリをはじめて、松場杖で歩く練習をしていたが、一週間は自宅で療養することにしているらしい。
退院の日は金曜日で、律は講義が終わり次第、すぐに海斗の家に飛んでいった。本当は講義なんてサボって朝からついていきたいと思ったのだが、これまた海斗から「断じてなりませぬ」と言い渡されてしまったのだ。たまたま鷲尾が授業のない日で、付き添ってくれることになったらしい。
「お、来た来た。律くんのご到着だぜ~」
海斗の家には数名の友人がやってきていた。大学にはすでに連絡済みではあるが、講義が受けられなければ試験に支障が出るのはまちがいない。というわけで休んでいた間のノートやらなにかは入院中から彼らのうちの誰かしらが融通してくれており、さしたる問題はないとのことだった。
律は胸をなでおろした。よい友人というのは、やはり得難くも大切なものであるらしい。それは特に、律が海斗を羨ましいと思う部分でもある。
「んじゃ、俺らはそろそろ」
午後から講義があるという面々もおり、鷲尾は彼らとともに帰っていった。玄関先で彼らを送ってリビングに戻ると、急にしん、と家じゅうが静まり返ったのを感じた。
唐突に緊張してきたのを自覚して、律は思わず胸のあたりをぎゅっと握った。
考えてみれば、あれ以来、今はじめてふたりきりになったのだ。
海斗は先ほどと同じ姿勢で、脇に松葉杖二本を立てかけ、ソファに座っていた。
「……ようやく帰りましたね」
「う、うん……」
どきどきどき。
いきなり心臓の音がうるさすぎる。
「……こちらへ。律くん」
「う、うん……」
律はのそのそと海斗に近づいた。が、そんなに近づく勇気はなく、海斗からは斜め向かいあたりのソファに座った。
海斗はやや不満げな顔になったがすぐに表情を戻すと、柔らかな微笑を浮かべた。
「お約束しておりましたね。退院したらお話がある、と」
「……うん」
ごくり、と律の喉が鳴った。
山城の 岩田の森の 言はずとも 秋の梢は 著くやあるらむ
『金槐和歌集』411
とはいえ足の骨折と頭部の外傷以外には大きなケガもなく、脳のMRIにも問題がなかったのが大きいのだろう。担当医からは「不幸中の幸いだったね」と言われたらしいが、本人は少しだけ不服そうだったのがおかしかった。
本人いわく「これでも、もとは一応武士なのですから。咄嗟のことでしたが受け身はとったつもりだったのです。不甲斐ないことで、まことにお恥ずかしい」ということになるらしい。
それを聞いて律は憤慨した。
「バカなことを! 大事にならなくて本当によかったではないか。大事になっていたら、御父上に合わす顔がなかったぞ」と返したら、「申し訳もなきことです」と殊勝な答えが返ってきたものだ。
しかし、おそらく絶対に反省などしていないと思われる、あの男は。次に似たようなことが起こっても、彼はきっとまったく同じことをするに違いないのだ。
(気をつけよう。本当に気を付けよう)
心に誓う律だった。
そこからは、大学の帰りに海斗の病院に回るという生活が始まった。
人気者の海斗らしく、見舞いにいくと誰かしらが入れ替わり立ち替わりに病室にやってきていてにぎやかだった。あの鷲尾ももちろんいたし、ほかのテニスサークルの面々もいた。ときどき「少し静かにしてください」と看護師さんに叱られる場面もあった。
ところで、若者が骨折などして入院すると、とにかく腹が減って困るらしい。骨折した部位以外は元気そのものなので、病院食だけでは到底足りないらしいのだ。似たようなケガの若者が、松葉杖をついて売店などをウロウロしているのはよく見かける光景らしい。
そんなこんなで、友人たちからの見舞いは食料が主だった。カップラーメンだのお菓子だの菓子パンだのが、ベッド脇の物入れに入りきらずにテーブル上にもてんこ盛りになっている。
女性が来ると、海斗のために嬉しそうに果物の皮を剥いてやったりなどしていて、なんだか律の胸はもやもやとしてしまったものだ。
「こんなに食べて大丈夫なんですか。あまり動けないのに、かえって太っちゃいませんか」
「……そうならぬように気を付けます」
海斗がほんの少し赤面して咳払いをしたのは、実際、少し体重が困ったことになりかけているからだろうと思われた。
父親の義之氏は、仕事の関係もあって夕方に少し顔を見に来るぐらいのことしかできないらしい。しかも毎日は難しいようだ。洗濯物は義之氏が持ち帰り、着替えなども持ってきてくれている。律も一度「手伝います」と申し出たのだったが、海斗も義之氏も頑として「それはさせられない」の一点張りだったのだ。
「その儀ばかりはどうかご勘弁を。何卒お許しくださいませ」とベッド上で平服せんばかりの海斗を見て、ついに律もあきらめたのだった。
そうこうするうち、退院の日取りが決まった。海斗は入院中からリハビリをはじめて、松場杖で歩く練習をしていたが、一週間は自宅で療養することにしているらしい。
退院の日は金曜日で、律は講義が終わり次第、すぐに海斗の家に飛んでいった。本当は講義なんてサボって朝からついていきたいと思ったのだが、これまた海斗から「断じてなりませぬ」と言い渡されてしまったのだ。たまたま鷲尾が授業のない日で、付き添ってくれることになったらしい。
「お、来た来た。律くんのご到着だぜ~」
海斗の家には数名の友人がやってきていた。大学にはすでに連絡済みではあるが、講義が受けられなければ試験に支障が出るのはまちがいない。というわけで休んでいた間のノートやらなにかは入院中から彼らのうちの誰かしらが融通してくれており、さしたる問題はないとのことだった。
律は胸をなでおろした。よい友人というのは、やはり得難くも大切なものであるらしい。それは特に、律が海斗を羨ましいと思う部分でもある。
「んじゃ、俺らはそろそろ」
午後から講義があるという面々もおり、鷲尾は彼らとともに帰っていった。玄関先で彼らを送ってリビングに戻ると、急にしん、と家じゅうが静まり返ったのを感じた。
唐突に緊張してきたのを自覚して、律は思わず胸のあたりをぎゅっと握った。
考えてみれば、あれ以来、今はじめてふたりきりになったのだ。
海斗は先ほどと同じ姿勢で、脇に松葉杖二本を立てかけ、ソファに座っていた。
「……ようやく帰りましたね」
「う、うん……」
どきどきどき。
いきなり心臓の音がうるさすぎる。
「……こちらへ。律くん」
「う、うん……」
律はのそのそと海斗に近づいた。が、そんなに近づく勇気はなく、海斗からは斜め向かいあたりのソファに座った。
海斗はやや不満げな顔になったがすぐに表情を戻すと、柔らかな微笑を浮かべた。
「お約束しておりましたね。退院したらお話がある、と」
「……うん」
ごくり、と律の喉が鳴った。
山城の 岩田の森の 言はずとも 秋の梢は 著くやあるらむ
『金槐和歌集』411
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