金槐の君へ

つづれ しういち

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第一章

42 都辺に

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 海斗が移されたのは、病院の五階にある一般病棟だった。西向きの四人部屋となっている。すっかり移動が終了し、面会時間になってから、律と笹原なぎさはようやく義之に呼ばれることになった。
 義之自身は、急なことで放り出してきた仕事がたくさんあるらしく、ふたりを病室に案内して海斗に声をかけたあと、足早に会社へと出かけていった。

 病室内はベッドごとに淡いオレンジ色のカーテンがぐるりと引き回されている。そのため、カーテンの中はうすぼんやりとしただいだい色の光に包まれていた。窓際のカーテンは開いているため、そちらのスペースはそれなりに明るいようだったが、通路側にある海斗の場所は暗めだった。
 ほかのベッドにも患者はいるようだったが、ほとんど気配はしない。ナースステーションにも近い病室ということで、病状の重い患者が入る部屋なのかもしれなかった。
 ふたりは足音を忍ばせるようにして海斗のベッドに近づいた。ベッドサイドには常時患者の状態を観察するための機械が入っていて、何本かの管が海斗の体につながっている。骨折した右足にはギプスがまかれ、下にクッションのようなものが置かれて少し高くされていた。彼の腕に入ったもうひとつの管は、点滴の支柱台へのびている。
 ベッド上に横たわっていた海斗は、律を見たとたんにハッとして起き上がろうとした。

「あっ。ダメですよ。横になっていてください!」

 声をひそめながらも、律は慌てて彼を押しとどめた。海斗が申し訳なさそうに頭を枕にもどすのを確認してから、律はそろそろと枕もとへ近づいた。頭に巻かれた包帯が痛々しくて、じっと見つめることにもつい躊躇してしまう。その間に、なぎさはベッドの反対側へと移動している。海斗はちらりとそちらを見てうなずいて見せた。

「……ご心配を、おかけしました」

 海斗の声はかすれていて、ひどく低く聞こえた。律はいいえ、と頭を左右に振る。

「すみません……ごめんなさい。俺が、俺が──」

 だが、やっぱり最後まで言わせてもらえなかった。海斗が片手をあげてそれを止め、首を横に振ったからだ。
「海斗」笹原なぎさが低い声でそっと言った。「あたし、青柳くんにしといたからね。例の話」
 敢えて作ったような、ごく平板で事務的な声だった。海斗が目を見開く。明らかになぎさを咎める表情だ。

「なぎさ──」
「それと、青柳くんには謝罪もしておいたわ。許してもらおうとかは思ってないから心配しないで。……伝えたかったのはこれだけよ。あと、なにか必要なものがあったら連絡して。じゃ、あたしはこれで。このあとすぐバイトだし」

 ほとんど立て板に水だった。言いたいことだけ言って、なぎさはさっさと病室から出ていく。ろくに振り返りもしなかった。海斗は困ったように目線を落としたが、律は見ていた。去っていくなぎさの肩が小刻みに震えていたのと、嗚咽をこらえるように手を口もとに当てていたのを。
 律は胸に広がる痛みを感じつつ、どうにか平静を装って海斗のほうに向きなおった。

「どこか、痛むところはないですか」
「今は痛み止めが効いているので……。それより、殿とのはいかがですか。どこもお怪我はないですか」
「おっ、俺は……ありませんっ……」

 あなたのおかげで、と言いたかったのに、ほとんど嗚咽にまぎれてしまった。両手で必死に口をおさえてうなだれる。情けないとは思いつつ、それ以外にできることもなかった。
 病院の入院着を着た海斗の腕がのびてきて、そっと自分の頭を撫でたのを感じた。

「……よかったです。あなた様にお怪我がなくて」

 そのことは本当に感謝している。どんなに礼を言っても足りないぐらいだ。あのとき助けてもらわなかったら、自分の方は命の危険もあったはずだから。
 でも、だからといってそなたがこんな風になることを望んだはずがないのだ。
 言いたいことは山ほどあるのに、やっぱり律の舌も喉も言うことを聞いてくれなかった。

「そ、そなたにっ……なにか、あったらと──」
「はい。申し訳ありませんでした」
「もう、二度とするな。こんなこと、もう二度とっ……」
「……それは、お約束できかねます」
「やすときっ……!」

 叫びそうになって、ぐっとこらえた。



都辺みやこべに 夢にもゆかむ 便たよりあらば 宇津うつ山風やまかぜ 吹きもつたへよ
                      『金槐和歌集』628
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