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第一章
36 神山の
しおりを挟む「泰時」と呼びかけたせいなのか、海斗はほんの少しだけ落ちつきを取り戻したように見えた。「ご無礼をいたしました」と、もう一度だけ律に向かって頭を下げると、ようやく座り直してくれる。もとどおり、海斗の部屋の小さな丸テーブルをはさんで向き合った。
「考えれば考えるほど、まるで自分が頑是ない童のように思えてきました。まことに不甲斐ないことで……お恥ずかしい限りにございます」
「あの……泰時?」
「はい」
「もしかして──」
言いかけて、今度は律まで言葉に詰まることになった。
海斗が見たこともないような顔をしている。何かを恥じているような、または戸惑っているような。何より不思議なのは、彼の顔が妙に赤く染まっているということだ。窓から入ってくる薄い夕日の色とは関係なく。
(まさか)
どきん、と胸が高鳴った。
まさか。そんなことがあるはずがない。
泰時が、あの北条泰時が……まさか、自分に嫉妬をしたとでも……?
(いやいやいや。ないないない)
頭に浮かんだその二文字をふるふると追い払う。
でも、ここまでの話を聞いている限り、ついそんな風に都合よく考えてしまいそうになる自分がいた。
恐るおそる彼の目を伺い見ると、ばちっと目が合ってしまう。
海斗はまたもや顔の下半分を隠している。その長い指の間から小さな声がした。
「……殿の、お考えの通りかと……思われます」
「ええっ?」
「はっ、はしたなくも──殿のご交友関係に妬みを抱くなどっ! 臣下としてまことにお恥ずかしき儀にございます。なれどっ……」
「って、こら! 臣下じゃないって言ってるのに!」
「……さ、左様にございました」
部屋にはなんとも言えない沈黙がやってきた。
いたたまれない。どうしたらいいのかさっぱりわからない。
誰かなんとかしてくれ、助けてくれ!
誰でもいいから、とにかくこの空気をどうにかしてくれ!
律は自分の髪をぐしゃぐしゃかきまわした。
「あああっ、もう!」
「申し訳もございませぬ。いかに傲慢で、得手勝手な思いかということは自覚しているのですが」
「ご、ごうまん……?」
「自分ごときが、殿のご交友についてあれこれと妬みを抱くなど、許されることではありますまい」
「いや。だから臣下じゃないし。別にいいよ、それは……」
「まことですか」
はっと海斗が目をあげて、またもや視線が合ってしまったが、今度は律が一瞬で目をそらした。
「ほ、ほんとうに海斗さんが──泰時が嫉妬してくれたんなら……むしろ、それは嬉しいかも、しれない……かな、なんて」
「えっ」
かああっと全身が熱くなった。
「いや、えっと! じゃっ、じゃあ、私はこれでっ!」
「あの、実朝さま──」
「きゅっ、急用を思い出したっ。すまない、それではな!」
もう無理だった。限界だった。
律は自分が持ってきていた本やなにかを慌ててバックパックに詰め込むと、そのまま海斗の家を飛び出した。
「お待ちください!」
背後から泰時の声が追いかけてくる。律はいっさい振り向くこともせず、エレベーターを待つこともしないで、一目散にマンションの階段を駆け下りた。
神山の 山下水の 沸きかへり 言はでもの思ふ われぞ悲しき
『金槐和歌集』433
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