金槐の君へ

つづれ しういち

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第一章

29 夕されば

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「おはようございま……おはよう、律くん」
「お……おはようございます、海斗さん」

 さっそく翌日から、は始まった。
 電車を降りる駅の改札で落ち合って、そのまま大学前までバスに乗る間、海斗は律と一緒に大学に向かうことになったのだ。
 お互い、とっている授業がちがうためカリキュラムや日程はまったく違う。だから敢えて時間を合わせる形で合流している。しかも、毎朝だ。

「おはよう、清水くん」
「はよーっす、清水」

 大学に向かうバスの停留所では、すぐに海斗に声をかけてくる学生たちに行き会うことになった。さすが人気者の海斗らしい。これはまあ律としても想定内のことだったけれど、想像していた以上に居場所のない感じがした。
 律には、ひとつ年上で学部もちがう彼らとの共通の話題もない。海斗の友人たちは不思議そうに律を見て、知らない者は「なになに? だれさん?」などと律のことを聞きたがったし、一方で例の噂を耳にしたらしい者は怪訝そうな目で律を盗み見るようにした。
 海斗がそばにいるためか、別に辛辣なことを言われたり敵意のこもった目でにらまれたりはしなかったのが幸いだったけれど、それでも律には十分に「針のむしろ」だった。
 なにしろ全員が「陽キャ」なのだ。全員が!
 の違いはきっとあるのだろうけれど、律からすればその違いはわからない。
 だから疲れないわけがない。

「こちら、青柳律くん。一回生なんだけど、たまたま趣味が同じで最近意気投合しちゃってね」
「へーえ、そうなんだ」
「趣味ってなんの?」

 海斗の説明に興味津々しんしんな女子学生。さほど興味はなくスルーする男子学生。いろんな人がいるが、基本的に悪意はなさそうだった。
 女子学生の多くは、その目的が恋愛的に「フリー」になったいまの海斗を狙ってのことのように見えた。独特な「狩る者」の視線と雰囲気は、敏感な律にはすぐに知れることだった。
 不愉快でないと言えば嘘になる。なるが、だからといって何が言えるわけでもなかった。
 そうだ。ほかならぬ律自身が、海斗の申し出に対して「友人として、ということならOKです」と言ってしまったのだから。

(だって……しょうがないじゃないか)

 律は誰にともなく心の中で言い訳を始めている。
 「恋人として」だなんて、今の律にはハードルが高すぎる。本当に恋人の関係であるというならまだしも、嘘の関係を吹聴してみんなの前で一緒に過ごすなんて、心臓に毛の生えた人間でもなければ無理な相談だろう。少なくとも、律には到底耐えられそうにもない。
 だからこれは、苦肉の策、次善の策にすぎなかった。
 とはいえ、ストレスは溜まる。圧倒的に溜まる。

 海斗はそんな調子でごくにこやかに周囲の人たちの興味と関心をなし、例の悪い噂を華麗なまでに払拭してしまう勢いだった。とにかく「趣味のあう年下の友人ができたんだ」でひたすらに押し通している。
 そんなことで大丈夫なのかと思ったけれど、これが案外ふつうに受け入れられてしまって律は驚いた。
 なにしろ半端のない好感度なのだ。周囲の人たちはみんな、「あの海斗がそう言うならそうなんだろう」と大して疑うことすらしない。むしろ女性たちはみんな嬉しそうで、「恋人じゃないなら願ってもない」とばかりにその申し出を受け入れたように見えた。一方、男性のほとんどは「同性愛者じゃないならどうでもいい」という感じで、それ以外のことには無関心だった。「友達ぐらい勝手に作れよ」というわけだ。

(つ……疲れた)

 その日が終わるころにはもう、律はすっかり疲弊していた。頭がガンガンする。
 そもそもあまり外交的な方ではないところへもってきて、海斗のそばにいるだけで、初対面の先輩たちに次々に紹介される羽目になったのだから無理もない。疲れた顔になってしまっていても許してほしいと思ってしまう。一日じゅう慣れないお愛想笑いを作りすぎて、頬の筋肉がぴくぴく震えてきているほどだ。
 そもそも、にこやかにまんべんなく嘘をつくということに向いていない。絶望的に。

 だが、これほどたくさんの人に会ったのに、あの笹原なぎさと顔を合わせることだけはなかった。彼女は敢えて、海斗や律からは距離を置こうとしているのかもしれない。

「すみません。今日は笹原は講義のない日で」

 唐突に海斗が言った。まるで律の思いを読み取ったように。
 帰り道、駅の改札前である。

「あ、いえ」
「あなた様に対しては、あらためてきちんと謝らせる場を設けます。少々お待ちください」
「いや。そんな……俺はもういいんです。彼女だって、海斗さんと別れることになって傷ついているでしょうし。それは俺のせいでもあるし……。気にしないでと伝えてもらえませんか」
「そういうわけには参りません」

 言った海斗の目は厳しいものになっていた。今日一日、いっさい見せなかった目だった。


夕されば 稲葉いなばのなびく 秋風に 空とぶかりの 声もかなしや
                      『金槐和歌集』227
                      
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