金槐の君へ

つづれ しういち

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第一章

22 秋風は

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 それからしばらくは何ごともなかった。律は少なからずびくびくしながら大学に行ったのだったが、特に普段と違うことは何もなかった。
 海斗が彼女に何も言わなかったからかとも思ったけれど、彼からはあの後、しっかり連絡が入っていた。

 《笹原なぎさに話をしました》
 《彼女との付き合いは解消しました》
 《あなたの話も出ましたが、関係はないと伝えてあります》
 《それでも疑っている様子でしたが、あなたに何かするようなら俺も黙っていないと伝えておきました》

 と、大体そんな感じのメッセージだった。
 あれから再び海斗は敬語に戻ってしまい、スマホのメッセージ上でもそれは崩れなかった。それが非常に不満だったけれど、指摘するのにも疲れていた。
 自分の部屋でスマホを握りしめて、律はその夜、まんじりともせずに過ごした。翌朝までほとんど一睡もできずにふらふらと大学へ向かったのだったが、大学はいつに変わらぬ空気でしかなかったのだ。
 とはいえ、ここに友達らしい友達もいない律のことだから、ただ一人で講義に出、一人で昼食をとってまた一人で講義を受けて帰る、それだけのこと。そのルーティンに異分子が入り込む隙がなかっただけのことかもしれなかった。

 海斗とも会うことはなかった。彼女との付き合いを解消したからといって、彼の多忙さまでが解消するわけではないのだ。サークルに顔を出す頻度は減ったらしいけれど、相変わらずバイトはある。
 ついでながら、あれ以降は笹原なぎさの顔を見ることもなかった。それは律が、例のテニスサークルの面々がよく現れる場所を無意識に避けていたからかもしれないけれど。

(う~ん。よかった、のかな……? これで)

 ほんの少しの不安を残しながらも、律は少しずつそういう日常に慣れはじめ、ほっと息がつけるような気がしていた。
 しかしそれは、単なる「嵐の前の静けさ」だったのだ。

 その異変に気づいたのは、そんな矢先のことだった。
 いや、それは正確ではないのかもしれない。そもそも律は、たくさんの学生がたむろする場所にはあまり顔を出さないという生活様式を崩さないままだったのだから。
 だからその日、たまたまカフェテリアのコーヒー自販機で売っているカップのホットコーヒーがふと飲みたくなったことが、それに気づいた原因だった。

(うん……?)

 地味な見た目の律のことだ。だからいつもならそんなことはないのに、なんとなく背中に複数の視線を感じた気がしたのだ。
 自販機の「ミルクあり」ボタンだけを押すと、低い唸りをたてて自販機がコーヒーを作りはじめる。律は自販機が頑張ってくれている間に、そっと背後をうかがってみたのだ。

(えっ)

 いくつかの頭が、ささっとあちらを向く。わざとらしくならないように気を遣っているような、ややぴりついた空気。かれらは素知らぬ顔をしてにこやかに友達との会話を再開している。男も女もいたけれど、数としては女性の方が少し多いような気がした。

(なんなんだ……?)

 非常にイヤな予感がした。
 なんだかドキドキしてきて、律は慌ててコーヒーを取り出すと、人気ひとけのないいつもの中庭へ向かってそそくさと退散した。
 途中の廊下でもずっとうつむき加減だったのに、なんとなく女子たちからの視線を浴びているのがわかる。「あ」とか「あの人」とか、こそっと小さくお互いに耳打ちしている声が聞こえた。
 おかしい。これは明らかに異常事態だ。

 中庭に着くころには、律は完全に小走りになっていた。そのときにはもう、持っていた紙コップのコーヒーは半分ぐらいになってしまっていた。

(なんだろう。いったい何……?)

 その奇妙な感じは、午後の講義がある大講義室の中でさらにはっきりしたものになった。
 いつもなら友達同士で雑談したり机につっぷしたりしていてこっちのことなんていっさい見なかった学生たちのうちの何人かが、ちらちらとこちらを見たり、こそこそと内緒話をしているのだ。その視線が時折ちらっとこちらを盗み見る。
 中にはくすくす笑っているのもいる。男子の中にはやや呆れたような、見下すような不躾な視線をよこしてくる者もいた。
 もともと昼食はほとんど喉を通らなかったけれど、それらがあらためて喉元まで押し戻されてくるような不快感が襲ってきた。

(これは……)

 どきん、どきんと胸の音が速くなっていく。
 まちがいない。
 何かが起こっている。しかも律だけに個人的に関係する何かが突然変わった。
 そしてそれが、非常によくない方向に流れようとしているのだ──。


 秋風は あやなな吹きそ 白露しらつゆの あだなる野辺のべの くずの葉のうへ
                      『金槐和歌集』196
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