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第一章
13 いにしへを
しおりを挟むそれから。
律は清水と──いや、これからはもう「海斗」と呼ぼう──数日おきに会っては昔の話をするようになった。このごろでは昔の話ばかりではなく、家族のことや大学のこと、これまでどんな風に育ってきたのかなど、今世での人生についても話すことが多い。
場所は大体あのカラオケ屋だったが、店員に顔を覚えられてしまいそうで恥ずかしく、律の申し出で自分の家まで来てもらうこともあった。
海斗の家は、子供は海斗ひとりなのだそうだ。さらに、母親は彼が幼いうちに亡くなっているのだという。つまり父ひとり子ひとりの家庭。なにかとかしましくて人のことに首を突っ込みたがる母と妹のいる律の家とはだいぶ違うようだ。
泰時だったときの彼も、幼いときに実の母を亡くしていた。父の義時が心から愛したと言われている女性だったはずだ。泰時の実直で誠実で思いやり深い性格は、その母譲りだというのも聞いたことがあるような気がする。律の記憶にはかなり曖昧な部分も多いので、はっきりとは言えないけれども。
「母親のことはほとんど記憶にないけど、別に父親は、あの義時とまったく性格は似てないよ」
「そうなんですか」
「うん。幸いにもね」
自分の部屋で、小さなテーブルの前に座った海斗に麦茶と適当なお菓子を出し、律は自分の勉強机の椅子に座った。
「まああの性格で、普通にサラリーマンとか無理だろうし」
「そうかなあ。北条のみなさんも、もとは会社員みたいなもんだったと思うんですけど」
「それはそうか。父は最終的に、いろいろあって超極悪の冷血社長になったみたいなもんかな。必然的に」
「あ、はは……」
海斗も律も、苦笑しながら麦茶をひと口飲んだ。
ただの「極悪社長」なら、あそこまで他人の血を流しはしない。が、あれはそういう時代のことだった。まさにあの苛烈な権力争いの坩堝で起こったことだ。義時という男が聖人君子と言えないのは当然としても、彼がああして覚悟をもって手を汚していなければ、北条氏そのものがほかの一族のように退けられ、皆殺しになっていたに違いないのだから。
そんなようなことを言ったら、海斗は不思議そうな目を向けてきた。
「……意外と、父のことを評価してくださっていたのですね」
海斗は相変わらず、また言葉が戻ってしまっている。
「優秀な人だったことには違いないでしょう。でなければ、あそこまで昇りつめられないし、人だってついてきません。俺も……というか実朝も、将軍としてあの人から教えられたことはいっぱいあったと思います。そうでなかったら、今の歴史の教科書に、必ず義時どのの名前が載っていたりもしないでしょうし」
「そう……ですね」
彼の息子としての泰時には、実朝からは見えない場所で多くの確執があったらしい。だから彼の複雑な気持ちについてはそっとしておこうと思った。
あんな立場になった人が、なんの苦しみも感じずにいたはずがないのだ。
義時自身は決して華美なことなど好まず、京の貴族とは比べるべくもない「野暮ったい」男だったが、その代わり武辺と知恵の人だった。こちらのほうが身分は上だとはいえ、相対するとどうしても腰が引けてしまうほど、腹の底に強固な覚悟をもった男でもあった。
歌など詠まない男だったが、それでも実朝自身もどこかで、彼を尊敬する気持ちはあったと思う。人の上に立つ者としての孤独や苦しみを、あの男は理解していたと思うからだ。
と、一階で玄関が開く音がして、すぐにとたとたと軽い足音が階段を上がってきた。
「お兄ちゃ~ん。だれかお客さん?」
部屋の扉のかげからひょいと顔をのぞかせたのは、妹の彩矢だった。
いにしへを 偲ぶとなしに いそのかみ 古りにし里に 我は来にけり
『金槐和歌集』593
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