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第九十一話 獣魔王の憂鬱

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 ヴィオラとリーンが親子の絆を確かめ合ってる間、ベルケエルが終始暗い眼差しを向けているのが気になった。
 いつの間にか人間体の姿に戻っているから、獣身体より表情がわかりやすい。

 ──まだ幼い頃に目の前で親を殺され、兄のように慕っていた存在からも引き離され、人間の言うことを聞くだけの奴隷に仕立てられた。
 仕舞いには体までいじられ、醜悪な魔物に変えられたんだ。
 穏やかな気持ちではいられないんだろう。
 気づいてタビーが気遣うように寄り添うが、表情は暗いままだ。
 その目がふっと俺に向けられ、一瞬目が合う。

 ヴィオラとリーンもこちらの様子に気づいたようで、ヴィオラは警戒心剥き出しの目でベルケエルを睨みつけるし、リーンは俺を守るつもりなのか、ヴィオラと反対側の隣に立ってしがみついてくるが、怖がって隠れようとしてるようにも見える。

 そんな様子を見てベルケエルはふっと溜め息をついた。
「べつに……もう殺そうなんて思っちゃいねえよ」
 ヴィオラが不信感たっぷりにふんと鼻を鳴らす。
「そのわりには君、ちょいちょい嫌な目つきでレイチを見てるよね?」
「……俺が、それを狙ったのは、それが妖魔王の弱点だと思ったからだ」
 ヴィオラの眉がピンと跳ね上がる。
「弱点、ね。彼を失えば、僕が泣いて使い物にならなくなるとでも思った?」
「逆だ。奴を殺されたら、お前は理性をなくして全力で俺に向かってくると思った。この街中で、魔王同士が全力で戦ったらどうなる?」
「なるほど、ね。……いいところをついてるかもしれないね」
 ヴィオラがすっと目を細めつつ、くすりと笑う。
 リーンが怯えたようにぎゅっと俺にしがみついてきて、俺はその背を宥めるようにさすってやる。

「人間なんて、魔王の足元で踏みにじられる虫けらだ。そう思い知らせてやろうと思った。……うまくいかなかったが」
 ベルケエルは自嘲的な笑みを浮かべる。

「──人間。お前、眷属に加護をやれと言ったな?」
 琥珀色の瞳に射られて思わず身がすくむ。
 いや、べつに、命令でも指示でもねえから! ただの提案!

「俺に、眷属なんていねえ。俺は奴らに獣魔王に仕立てられた時から、いずれ人間たちを潰してもろともに死ぬつもりだったから、眷属なんていらねえと思ってた。慕われても迷惑だから、嫌われるように振る舞ってた」

 ──なるほど。それが、評判の悪い獣魔王の真相か。

「それでもついてきた馬鹿共を王宮の外に置いてきたが、あれは勝手についてきただけだからな。俺は最初から、妖魔王と刺し違えるつもりでいた。今更、獣魔王として眷属に加護なんて、お笑い草でしかねえ」

 ずっとベルケエルのとなりでうつむいてその話を聞いていたタビーが、握りしめた拳を震わせ、やがて膝をついた。
「──御子。申し訳ありません。私が不甲斐なかったばかりに……刺されようと斬られようと、御身を手放さずに守りきっていれば……」
 その目からはらはらと涙が零れ落ちる。

「そうしたら、奴らは獣魔族の心魔石を更に二つ手に入れただろう。それだけの話だ」
 ベルケエルが皮肉な笑みを浮かべる。
「奴らは俺を生きて手に入れようとしていたし、お前は武装した人間を一人で何人も相手取るような戦闘種族ではない。父は俺らを逃がそうとしたが、既に巣穴を塞がれてた。その時点でもう、どうすることもできなかったのさ」
 タビーが泣き濡れた顔で、悔しそうに唇を噛む。

「君は、獣魔王をやめたいの?」
 ヴィオラが言葉を挟む。
「……どうだろうな」
 ベルケエルが肩をすくめる。
「俺は、魔王だったことなんてねえよ」
「勝手に据えられただけって? 無責任だね。じゃ、いいんじゃない、やめちゃっても。無理にやる必要はないと思うよ。うちの先代妖魔王も、結局ヤダって逃げちゃったし。キオが魔王種の子を身ごもってるから、不在はそう長くならないと思うし」
 ヴィオラが微笑んで言う。多分、結構苛立ってるな。

「そうか、代わりも、もういるのか」
 ベルケエルが微笑む。苦笑のような、ちょっとホッとした顔のようにも見える。
「あの……」
 何か言いかけたキオをシッ! と押しとどめる。生まれるの、ヘタすりゃ何十年も先だって言われたこと言いたいんだろ?

「勝手について来たって言うけど、君の召集に応じてたくさんの魔獣が集まったし、この王都内では討伐されてしまった者も数多くいる。それを〝俺は知らない〟で済まそうとするの、あまりに無責任だよね。それならさ、もういいから、うちのシルキオンを獣魔王につけようか?」
 突然の指名にリウスとキオが揃って「は?」と目を見開く。

「それもいいかもしれねえな。お前強ええし、頭も良さそうだし」
 細められた琥珀色の目が、シルキオンに落とされる。
 今は妖魔王の眷属になってるシルキオンも、元は獣魔王の眷属の闇狗ダークドッグだったわけで、いきなり注目され、視線を泳がせてキョドっている。
 かわいそうなので助けることにした。
「あのさあ、どっちにしても、自分のしたことの後始末くらいはしていこうぜ? ギレスとっ捕まえて、やられた獣魔族たちのケアもしてさ。据えられただけの獣魔王でもついて来た連中がいる以上、きちんと引退宣言なりなんなりして納得させなきゃいけないだろ?」

 ベルケエルはしばらく黙ったままでいたが、やがてふっと溜め息をつくと、苦笑混じりに言った。
「……そうだな。わかったよ」
 そして顔を上に向け、片腕を真っ直ぐ天に突き上げた。
「獣王の加護/ビーストキングズブレス:全ての魔獣たちに!」
「……え?」
 思わずフリーズする。
 いや、それはヤバくね? だって、獣魔族じゃなくて魔獣ってなると、数が違うぞ? 鼠やら蝙蝠やら、あんなのまで含まれるんだぞ?
 ベルケエルの体が強く光り、それが突き上げた手に集約され、そして閃光と共に四方に散っていく。

「馬鹿やろうお前、これからギレスぶん殴るんだろ?! 余力残せよ!!」
 思わず怒鳴った。
「レイチ、この馬鹿に強制従魔契約!」
 ヴィオラの声に考える間もなく、呪文を放った。
「〈従魔契約/テイムLv.10〉!!」

 魔王相手に強制契約なんて聞いたこともないけど、今の心が弱ってるベルケエルなら、いけそうな気もする。
 契約が先に成立すれば、俺と繋がるってことはヴィオラとも繋がるから、魔力枯渇はない。
 ベルケエルの体からはまだ光が放たれ続けている。凄い勢いで魔力が放出されている。

 ──クソ馬鹿やろう、こんなとこで文言ミスるんじゃねえよ!!
 ベルケエルに負けじと契約の魔力を注ぎ込む。
 ベルケエルが放つ光が途切れ、その巨体がふらりとよろめく。
 魔物使いテイマーにしかわからない感覚だと思うが、契約が成立した時のピンとくる感覚──鍵がカチャリとはまるような感覚があった。
「〈魔力譲渡/主からベルケエル〉!!」
 間髪入れずに魔力を押し込む。

 ──間に合ったか?
 ベルケエルの体がさらさらと風に溶けていく。
「御子ぉ!!!!」
 タビーの絶叫が響く。
「ダメなのかよぉ! 魔力は抜かれたのに!!」
 思わず叫ぶと、ヴィオラがポンポンと俺の背を叩いた。
「魔力を抜かれたなら成立してるよ」
「……へ?」
 風に溶けて崩れていくベルケエル。そして、なにかがドサリと崩れ落ちた。
 そちらに目をやると、床に倒れている少年の姿があった。ざんばらにもつれた漆黒の髪に褐色の肌を持つ、痩せた子ども。年の頃は、出逢った時のヴィオラくらいだろうか。

「ベルケエル?」
「間に合ったね。レイチの魔力譲渡が無ければ、多分消滅してたよ」
 ヴィオラが微笑む。
「……御子。よかった……」
 タビーがグスッと鼻をすすった。
「ありがとうございます、レイチ様……」
 ぐすぐす泣きながら頭を深々と下げられてなにやら慌ててしまい、
「あ、まあ、間に合ってよかったよ……」
 などと言いつつタビーの肩をポンポンと叩く。

 ベルケエル、ちっちゃくなっちまったな。
 その細い体を見下ろす。
 服は蒸発せず残ったので、細い体がデカい服から飛び出してしまって裸同然の姿になってしまっている。
「あ、こっちも服ね」
 ヴィオラが軽い溜め息をついて魔力をこね出した。
「はい、こんなのでいいでしょ!」
 リーンの時に比べてだいぶあっさり付与されたそれは、シンプルそのものの丸首シャツに黒いトラウザースというものだった。
 いいんだけど、ちょっと物足りない感じはあるな。
 そこに打ち捨てられた格好になっているもともと着ていたデカい革のベストがふと目に入る。
 これ、どうにかできないかな?
 なんとなく、パソコンの図形描画モードで縮小するイメージでちっちゃくできないかなんて考えてしまい、ちょっと試してみた。
 文言は……
「〈縮小/リダクション〉」
 片手でベストの端をつまみ、対角線上の端に置いたもう片手を、対角線の中心に向けてつつつ……とスライドさせる。
 すると、俺の指がスライドする動きにベストの端がついて来た!

「……レイチがまた変なことしてる」
 ヴィオラが呆れた目を向けてくる。
「小さくなったぞ」
 洗濯しすぎて縮んだみたいになったベストを広げて見せた。
 素材も縮んでるので、本当に洗濯で縮んだみたいにちょっと固く厚くなっている。元々ペラペラの革だったのが、ワイバーンの革みたいになってしまった。
 せっかくだし着せとこ。
 横向きに倒れてるので、片腕だけ通しておいた。もう片腕は起きてから自分で通すだろ。

「レイチ様……」
 タビーが何か言いたげに俺を見つめる。
 あ、こっちにも呆れられた。
「……ありがとうございます」
 またグスッと鼻を鳴らした。
 え、泣いてる?! なんで??
「そのベストは、先代様の形見で……」
 マジかよ。そんな都合のいい話が……まあいいや。
 ならパンツもと思ったけどデカすぎるし、膝が抜けたりとかまあまあパンクな仕上がりになっているので、こっちはいいだろと縮小にかけるのは諦めた。

 そうこうしてるうちにベルケエルが目を覚まして身じろぎしだす。
「起きたか?」
 声をかけると、まじまじと俺を見つめてきた。
 やんちゃそうな面立ちの子どもだ。ベルケエルの面影はある。
「……俺は、生きてるのか」
 苦笑しつつ、ヤツが言う。
「あのなぁ、お前……!」
 説教かまそうとしたが、ヴィオラが目顔で止めてきたので、溜め息一つで出かけていた言葉を飲む。

「ベルケエル、お前、俺の従魔になったからな。生き残ったからには、俺の言うことを聞けよ?」
 ベルケエルが目をパチクリとさせて俺を凝視する。
「なんでだ? 契約した覚えはねえぞ?」
「俺くらいのレベルになるとな、同意なしでも強制的に契約できるんだよ」
 ──わりとやべえよな。言ってて自分でひいたわ。乱発するのはやめておこう。

「……そうか。俺が、お前の従魔か。……ふ、ふ」
 くくくっと肩を震わせて笑うベルケエル。
「なら、従おうじゃねえか。うまく使ってくれよ、マスター
 なんか、ちっちゃくなったけど態度は全然変わらねえな。……そりゃそうか。

「あれ? なんか物足りねえなと思ったら、魔石はどうした?」
「魔石?」
「先代獣魔王の……」
「ああ。あれは、オレの中に融合した」
「──え?」
「生きろ、と……そう言っていた」
「……そうか」
 俺は、小さく溜め息をついた。

 先代獣魔王、いなくなっちまったのか。
 ベルケエルは物思いに沈むように目を伏せている。
 タビーはもうひと目はばからずおいおい泣いてるし……けっこう面白いキャラだったんだな、こいつ。
「そっか。なら、レイチがいなくても生き残りはしたんだね」
 ヴィオラが言った。
 ああ、そうだな。多分、赤ん坊になって生き残ったんだろう。……余計なことしたか?

「父上とお前に生かされた命なら、それが望むように生きてやるさ。まあ、子どもの獣魔王なんざ、獣魔たちが望まないかもしれねえけどな」
 ベルケエルが噛みしめるように言った。
 ちらりとこちらを見る目は、まんざらでもない様子だったから、これでよかったのだと、そう思うことにした。

「ベルケエル、お前、戦えるのか?」
「ああ、もちろんだ。そこの犬くらいには戦える」
 シルキオンを見やってニヤリと笑うベルケエル。子どもの姿だけど、表情ひとつでこんなに可愛くなくなるんだな。

 そこの犬呼ばわりされたシルキオンが、むむっと眉間にシワを寄せる。
「新参者が……同じ従魔同士なら遠慮はしねえぞ」
 リウスがグルルと喉奥で唸る。
「新参者はどっちだ! この間までただの黒狗だったくせに」
「……!!」
 リウスの耳がピクッと跳ね上がる。
「くっそ、言わせておけば……」
「あーもう、ヴィオラとケンカしなくなったと思ったら今度はこっちかよ! いいから行くぞ! この先は全速力だ!」
「おう!」
「望むところだ!」
 双頭犬と、そして美しい黒虎が競うように駆けだしていく。
「こらー、お前ら、自分たちだけで先にいくな!」
 慌てて後を追いながら、なんだか前より生き生きしてるみたいだし、これでよかったのかな? と、そんな気がしていた。
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