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第七十六話 アレスの黒犬とレイチの黒猫

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 「……ずいぶん依頼が少ないな」
 俺は冒険者ギルドの依頼書ボードの前で困惑を隠せず、呟いた。

 前はこの掲示板一杯に貼ってあった依頼書が今はスカスカ。
 それも、ここの暗黙のルールで右の方には上級向けの依頼が、左の方には下級向けの依頼が貼られるんだが、右側だけが見事にないんだ。大型の魔獣討伐依頼が絶滅してる。

 上級の仕事は指名依頼になることが多い。
 特に上級指定で依頼をかけるような大商人の護衛はほぼ指名になるから、掲示板が使われることはまずない。右端側に貼られていたのは魔獣討伐の依頼がほとんどだったんだ。
 けれど、今は素材採取目的の常設依頼が数件残るだけ。人里近辺から魔獣がいなくなってるってことだ。

 残ってるのは死霊系の討伐くらいなんだけど、素材が取れないし物理攻撃無効で魔法やポーション頼みとなるぶん経費嵩むしで、よほどの高額依頼でもないとやろうって奴はいないな。
 それでもこれだけ仕事がないと仕方なくやるのだろう、以前からずっと貼られていたアンデッドの討伐依頼がいくつか消えている。

 「依頼が減ってるだろうってのは予想してたけど、ここまでとは思わなかったな」
 ちょびっと罪悪感を感じてしまう。

 ナルファのダンジョンは冒険者の生活を支えていた。
 あのダンジョンの魔物には心魔石がない。そのかわり、それ以外の素材は上質だから、魔石が大した価値にならない小型~中型の魔物をターゲットにする下級の冒険者は、ダンジョンで得る素材で充分に食っていけたんだ。
 C級以上の冒険者も、ダンジョンの深層探索で得た内部の情報の取引で収入を得ることができた。なんならギルドが買い上げてたし。

 そう言えば、ダンジョンを出てった獣魔族を探してるタビー、連絡ないけど、どうしてるかな。あのダンジョンを拠点にしていいって許可して使わせてるんだけど。……ヴィオラが。
 あいつの仲間探しがうまくいってれば、ボチボチ魔獣が増えだしててもいいんだけども。

 「レイチ! 久しぶりだな、帰ってきてたのか!」
 背後から声をかけられる。
 振り返った俺に向かって微笑みかけていたのは、もちろんアレス。足元には影のように寄り添う黒い犬の姿がある。もう子犬とは言えないが、まだ成犬には達してないくらいの若犬だ。実にお行儀良く、アレスの足元に寄り添っている。
 ヴィオラのアドバイスに従って、妖魔のダンジョンで闇狗ダークドッグと契約したようだな。

 「おー、久しぶり! お前に会おうと思ってきたんだよ! 全然念話寄越さねえからさ」
 「ああ、ゴメン。実は、念話の送り方がよくわからなかったんだ」
 照れ笑いをするアレス。

 俺はちょっと固まった。念話の送り方わからないって、え? みんな当たり前にバンバン送ってきてたし、元闇狗ダークドッグの二人も自然に使いこなしてたけど。

 「そこにいない相手に話しかける感覚がよくわからなくて、ためらっているうちに今日になってしまったんだ」
 アレスはそう言ってポリポリと頭を掻く。

 俺の念話の性能が凄いとヴィオラに褒められたときのことを思い出した。見えなくなったら届かなくなってしまう人もいると言っていたけど、どうやらアレスはそっちのタイプだったようだ。

 しょうがねえな~と苦笑しつつさらっと念話の送り方をおさらいしたけど、こりゃ慣れるまで、しばらくは俺の方から発信した方が良さそうだな。

 「レイチ、これから仕事か?」
 「いや、確認してただけだ。……減ったな」
 チラリと依頼書ボードに目をやる。
 アレスもそちらを一瞥し、溜め息をついた。
 「ああ。……レイチ、仕事じゃないなら、少しつきあわないか? 話したいことがあるんだ」
 「いいよ、じゃ、場所を移そう」

 俺たちは連れ立ってギルドを後にした。
 そのままアレスパーティ行きつけの酒場にやってくる。アレスの犬も俺の猫も特に咎められることはない。
 まあ、冒険者の街だからな。これが王都の中心街ともなれば、また話は違うだろう。

 アレスは店に入り店内を一瞥して仲間が居ないのを確認すると、手近な席を陣取った。
 まだ昼までには間があるので、飲み物だけを注文する。
 「バディ、座れ」
 アレスの指示に闇狗ダークドッグはアレスの椅子に寄り添い、ピシッとお座りした。
 「……すげえな。魔物使いテイマーでもここまでの躾できねえぞ?」
 「そうか? ダンジョンで貰ってくるときに受けた注意を、そのまま守ってただけだよ? コイツ狩り好きだから、一緒に遊びながら兎とか狩ったりしてたからか、それ以外は暴れることはないな」
 「へえ、やっぱり戦士の犬は違うんだな」
 「もともと頭のいい犬なんだよ。ヴィオさんの言ってた通りだ」
 あ、そうか。アレスにとってはヴィオラがヴィオなんだな。
 ちょっと、肩の上の黒猫に目をやる。元ヴィオであるインプのリーンは澄まして瞬きし、耳をパタッと一つ震わせる。

 「その猫、レイチのペットか?」
 「ああ、こいつ、俺の従魔なんだ。チビだけど一応魔物なんだよ」
 「ニィ!」
 リーンが耳をピンと立てて得意げにひと鳴きする。
 「可愛いな~」
 さすがのアレスも目尻が下がる。
 「魔物って、普通の猫に見えるけど……」
 リーンはアピールするように小さな翼を広げて見せた。
 「わ! 翼があったのか、気付かなかった! 蝙蝠の羽なんだな。……蝙蝠猫?」
 「ああ、まあ、そんなとこ」
 俺は適当に言って誤魔化すと、リーンは不満そうに「グゥ」と唸った。尻尾が俺の背中をパンパン叩いている。
 ……地味に、鍵の部分が刺さって痛いんだが。
 悪いな、ダサいけど我慢しろ。そのナリでインプとか言ったら、注目されるだろ?

 アレスの足元の黒犬は目を爛々とさせて鼻をふんふんとうごめかせ、リーンを見つめている。リーンは高みから見下ろして、余裕の表情だ。
 見つめ合うだけでバトルにはならない様子。
 ホッとして俺たちは互いのグラスを合わせ、再会を祝した。

 「実はさ、俺たち、今度拠点を移すんだ」
 アレスが深刻な顔でそう切り出す。

 まあ、予測はできた。あの調子じゃ、C級に上がったアレスたちはやっていけないだろう。A級のいないナルファではC以上が上級扱いだ。

 「……どこに行くつもりなんだ?」
 「王都に行こうと思ってる。商人の護衛依頼が入ったんだ。それで王都まで同行して、そのまま向こうのギルドに登録する。
 「そうか。まあ、あの調子じゃ、もうやっていけないよな」
 申し訳なさにチクリと胸が痛む。

 一番悪いのは獣魔族……っていうか、ギレスとグレイヴィル伯爵だ。俺らはその調査と対応をしていた側なわけだけど、対応が間に合わず、こうしてナルファの人たちに影響を及ぼすことになってしまったのが、申し訳ない。

 「ギルマスとも話したんだけど、一時的に王都に移籍して、落ち着いたらまたこっちに戻ってこようかと思ってるんだ。俺たちはやっぱり後輩たちを直接指導する冒険者でいたいし、ナルファはこの先もずっと冒険者の街であってほしい。新しいダンジョンは、魔獣を倒して稼ぐってのとはちょっと違うから、古いダンジョンがまた、以前のように戻ってくれるといいんだが……」
 「そうだな……」
 俺はアレスの今の言葉を、ナルファの人たちの願いとしてしっかりと胸に刻んだ。
 魔獣が棲むダンジョンが、やっぱりナルファには必要だ。

 「レイチはどうするんだ? このままナルファに残るのか?」
 「俺は、王都といったり来たりになるかもしれない。ちょっと今、立て込んでて……」
 「そうか。それなら、また王都で会えるな」
 アレスが笑う。

 「そう言えばレイチ、リックが探してたぞ? なんか“聞きたいことがあるのにちっともギルドに来ねえ”って吠えてたけど」
 「聞きたいこと? なんだ? じゃ、このあと探してみるか」
 俺、ここんとこギルドに週一くらいでしか来てねえもんな。

 「リック、まだナルファにいるんだ? B級だから、あの調子じゃもうとっくに拠点移してるかと思ったけど」
 「リックたちはこのままナルファでやるって言ってる。今は肥沃な砂漠ファーティルデザートの魔物も減ってて、あそこで狩りをするにはナルファにいる方が都合がいいからって」
 「肥沃な砂漠ファーティルデザートで? あそこはメーヌワームの巣だが……」
 「メーヌワームは討伐が面倒だし鱗しか素材にならないから敬遠されがちだけど、なんか肉を処理する方法が見つかったとか? それで毎日のようにレイチはいないかって……」
 「マジか」
 思わず真顔になってしまう。

 リックもなかなか抜け目がないな。あれを食材として売る気か。
 たしかに美味かったし、処理が面倒な分、高値をつけられそうではある。食い道楽の金持ちなら大枚を叩いて買うだろう。
 珍しい物好きの連中だけじゃなくて高級珍味として定着すれば、それなりの収入源になるかもしれない。
 リック一人じゃ無理そうだが……実家ぐるみか?

 「レイチ、もしかしてメーヌワームを食ったのか?」
 アレスが不審そうな顔で尋ねてくる。
 「ああ、食ったし、食わせた」
 「マジか」
 「美味かったぜ?」
 「……だからか」
 アレスが頭を抱えた。
 「あれを食う勇気がよくあったな。っていうか、あんな石みたいな肉、どうやったら食えるんだ」
 「よかったら、今度一緒に討伐に行くか? 目の前で調理してやるぞ?」
 「遠慮しとくよ」
 アレスが苦笑したとき、頭の中に念話が閃いた。
 発信者はピンノ。

 『どうした?』
 『レイチ様、大山猫が離反しました! 現在、北方向に向かって逃走中です!』
 『現在地は?』
 『大洞窟から二十ミーレ地点を獣形態で疾走中、私は蝙蝠形態で空から追跡しています』
 『よし、でかしたぞ! そのまま追跡してくれ! タビーは何か言っていたか?』
 『御子が呼んでいる、と言ってました』
 『獣魔王が? わかった、できるだけ見失わないようにして、行く先を確認してくれ! こっちからも応援をやる!』
 『お願いします!』

 「どうした?」
 不意に深刻な顔で黙りこくった俺に、怪訝そうな顔で尋ねてくるアレス。
 「ちょっと緊急事態だ。悪い、俺、すぐ行かないと」
 言いながら立ち上がる。
 「食事はしないのか?」
 「ああ、すまん。また今度一緒させてもらうから」
 「わかった。助けが必要なら声をかけてくれ。俺も念話の練習をしておくから」
 「……ああ」
 アレスの最後の言葉にちょっと笑った。

 「あ、レイチさん?」
 俺と入れ替わりでアレスのパーティの連中が店に入ってきたが、挨拶もそこそこに俺は店を飛び出し、ナルファの街も出た。

 魔法発動、〈妖魔界/デモンワールド〉

 とにかく、ヴィオラと合流しなければ。
 恐らく、獣魔王が動き出した。
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