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第三十七話 キオの覚え書き①

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 ボクらは街に行くというレイチ様、ヴィオラ様を見送った。

 二人の姿が消えるとリウスは「腹具合を確認してくる」と言って奥へ下がった。
 もうすぐ日か暮れるから今のうちに獲物を狩ってくるのに、どの程度必要かをみんなに確認してくるんだ。

ボクはその場に残って外を警戒する。あの獣魔族が戻って来るかもしれない。ボクは今夜はずっとここを離れないつもりだ。

 ヴィオラ様が《幻惑》と魔族除けの結界を張ってくれたからそんなにピリピリしなくてもってリウスは笑うけど、ボクらを信頼してここを預けてくれた主の期待に背くわけにはいかない。

 「……街か」
 どんなところだろう。想像もつかない。
 人間がたくさんいるって言ってたけど、ボクの頭には人間の討伐隊が野営してる様しか浮かんでこない。
 あんな感じでもっと大勢の人間がいるのだろうか。

 「お前らにも人間としての振る舞いや常識を教えてやらないといけないな。多分そのうちに街に連れて行かないといけないことが出てきそうだし」
 レイチ様が去り際に言ってた。

 ボクはかなり人間として振る舞えてるつもりだったけど、まだ不足だったようだ。
 なんだか少ししょんぼりした気分になる。

 いつかボクも街に行けるようになるといいな。

 ほんの少し前までは群れの最下位、落ちこぼれでイジメられてたくせにと思うとちょっと可笑しくなる。

 そうなんだ。忘れてたけど、ボクは群れのお荷物だった。雄なのに体が小さくて足も遅い、怖がりで強そうな相手に威嚇されるとすぐ萎縮してしまう。

 馬鹿にされてた。特に三番目の兄にはかなり辛く当たられていた。
 何かというとボクに喧嘩遊びを仕掛けてきてはすぐ本気になって強く噛んでくるし、餌を奪われることもしょっちゅうだった。

 そんなとき、いつも仲裁に入ってくれたのは長兄のリウスだった。
 ボクが餌を取り上げられてお腹を減らしてる時は自分の分を分けてくれたし、リウスはいつも優しかった。

 あの時。
 ボクらの運命を変えた、今の主と出逢ったあの日。ヴィオラ様の魔法を受けたリウスは、真っ直ぐにボクの方に来た。
 なぜなんだろうと、ずっと不思議に思っていた。リウスは父さんに次ぐ第二位だった。わざわざボクなんて選ばなくても良かったはずなのに。
 おかげで今、こうして一緒にいられるんだけど。

 ノームたちがせっせと店づくりをしているのを眺めながら、ボクは飲食店? になるとかいうスペースに並んだ椅子に掛けて耳と鼻を外に向けて働かせる。

 「キオ様、良かったらこれ、食べてみてくれません?」
 店を預かるノーム夫妻の奥さんが手に何か汁物の満たされたお椀を持って、よちよちとやってきた。

 それを受け取っていい匂いに刺激され口を近づけ、ふと止まる。
 人間の口だと、これ、食べるの難しくないか?
 このまま口を付けたら溺れそうだ。そもそもホカホカと湯気を立てていて、絶対に火傷しそうだし。今のボクなら魔族になってるから、大丈夫かもしれないけど。

 戸惑ってお椀の中を見つめ、固まっていたらノームの奥さんがボクの腕をちょいちょいとつついて、木の切れ端みたいなのを差し出す。
 「これ、何?」
 「木匙。使わないと、食べられないですよ」
 ニコニコと可愛らしい笑顔を湛えて言うけど、どう使うのかわからない。
 ああ、レイチ様が言ってた「人間の常識」ってこういうことなんだなって理解した。

 「これ、どう使うのか教えて」
 恥を忍んで頼んだ。
 「あまりこういう料理を食べたことがなくて」
 言い訳がましく言ったけど、多分苦しいと思う。当たり前のように差し出されたし。

 「あらあら」と笑いつつ、ノームの奥さんはボクに木匙の持ち方と使い方を教えてくれた。
 教えられた通りに木匙に熱々の汁を掬い、口に運ぶ。
 「……美味しい」
 一体何から取った汁なのかサッパリ想像もつかないけど、トロッとした甘みのある味わいは今までに口にしたことのないものだった。
 ゴロゴロとした野菜が入ってて全部美味しいし、何よりトロトロのお肉が素晴らしい。脂が舌の上で溶けるんだ。何これ、凄い。
 「これ、すっごく美味しかったです」
 残らず平らげて、お椀にこびりついた分も綺麗に舐めて奥さんにお椀を返した。

 「あらあら、ありがとうございます。嬉しいこと」
 頬をピンクに染めて奥さんは笑うと、お椀を持って奥へ下がりかける。

 そこへリウスが戻ってきた。
 「昨日腹いっぱい食ったからまだ大丈夫だってみんな言ってるな。子供らの分だけ有りゃいいってさ」
 そう言いながらこちらへ歩み寄りつつ鼻をヒクヒクさせる。
 「ん? なんか美味そうなニオイがするな」

 奥さんが洗い物を中身を満たした新しいお椀と交換して戻ってくる。
 「リウス様もどうぞ。お店のメニューの試作なんです」
 奥さんはそう言ってお椀と木匙を差し出すが、リウスは先のボクと同様、匙には見向きもしない。
 熱々の汁にいきなり口を突っ込もうとしたんでボクが止めた。
 「火傷するよ。これ使って」
 リウスは木匙をキョトンとした顔で見つめる。
 「何だこれ?」
 「木匙。これで汁を掬って飲むんだ。……こう」
 リウスの椀の汁を掬って見せる。
 「ふうん。なんでこんな七面倒臭いことすんだ? このまま飲みゃいいだろ?」
 首を傾げるリウス。
 ああ、やっぱりだ。ボクらを街に連れて行かなかったレイチ様の判断は正しい。
 こんなやり取りを他の人間の前でやるわけにはいかない。魔物丸出しだ。

 「人間は汁に直接口を付けて飲むことはしないんだって。これを使わないと魔物だってバレちゃうから、面倒だけど使い方は覚えた方がいいと思うよ」
 「……わかった」
 リウスは渋々と頷いた。

 お椀の中身を一口含んだ瞬間「美味い!」と声を上げてガツガツと掻き込んでしまったんで、一応匙を使って食べていたけど多分ダメなんだろうと思う。
 まあボクだってさも知ってたみたいにリウスに使い方を教えたけど、さっき知ったばかりの付け焼き刃だ。

 リウス共々、これから人間の群れに溶け込めるよう、勉強していかないといけないな。



 「ウルフたち、大丈夫かな」
 何となく落ち着かない気分で外を見やる。
 「大丈夫だって。この間までアイツらも外で暮らしてたんだし、なんも心配することねえよ。ってか、何がお前、そんなに心配なんだ?」
 「いや、あの嫌な獣魔族に出くわして因縁付けられたらと……」
 「俺らと違ってアイツらは見た目普通の狼だぜ? 仮に会ったってアイツらもいちいち魔獣にちょっかい出しゃしねえだろ」
 「うん……」
 ボクは頷きつつもやっぱり不安で、外を気にせずにはいられない。

 だって、まだ森は回復してない。手頃な草食の獣や魔獣は少なくて、腹を減らして凶暴になった大型の魔獣ばかりだ。

 狼たちはダンジョンの守護魔獣を務めてただけあって強いんだけど、彼らは人間の相手には慣れてても獣の相手はさほど慣れてるとは言えないはずなんだ。

 第一、ダンジョンの外じゃ万が一のことがあったら死んでしまう。
 強い相手と戦うのはダンジョンの中だけにしておいたほうが、間違いないのに。

 「アイツらの希望だ、汲んでやれ。少しでも強い相手と多く戦って成長したいっていうんだから、理解してやれよ」
 「うん。わかってるんだけど……こんなとき、レイチ様と話すみたいに念話が使えたらいいのにって思うよ。そしたら危ない時は呼んでって言えるのに」

 レイチ様の従魔同士は念話が使える。
 でもレイチ様はダンジョンの魔物たちとは直接従魔契約はしてない。
 闇狗ダークドッグ黒狼ブラックウルフたちはボクら双頭犬シルキオンの眷属という扱いで、眷属と主は念話で繋がることはできないんだ。
 意外と不便……って言うより、魔物使いテイマー魔法が優秀過ぎるんだろう。

 「お前、敵の感知とか得意だったろ?その要領でアイツらの感知をできないのか?」
 「強い魔物がいるのは感知できても、個体識別まではできないよ」
 「……だろうな。ま、信じて待てよ。あんまり心配して、それがアイツらにバレると怒られるぞ。弱いもの扱いするな! ってな」
 「……そうだね。本当だ、彼らのプライドに障るよね」

 プライドっていうのはボクにはよくわからない。ボクは本当に弱かったし、心配されたらここぞとばかりに後ろに隠れてしまうような弱虫の負け犬だったし。

 ノーム夫妻が顔を出した。
 「そろそろ日が暮れるんで、ワシらは帰ります」
 「試食ありがとうございました。後、よろしくお願いしますね」
 そう言って姿を消す。土の妖精だから、土の中にねぐらがあるらしい。

 やがて黒狼ブラックウルフたちが帰還した。立派な突撃兎アサルトラビットを仕留めてきた。

 兎と言っても突撃兎アサルトラビットはかなりデカくて凶暴だ。額に小さな角が生えてて、発達した後ろ脚でダッシュして強烈な一撃をかましてくる。
 闇狗ダークドッグより一回りは大きく、黒狼ブラックウルフとは同じくらいの大きさだ。

 突撃兎アサルトラビット牙猪ファングボアと同様に雑食で肉だけじゃなく草も食うから、血は癖がないし肉も柔らかくて美味い。獲物としては上等だと思う。
 なのに狼たちは、本当は牙猪ファングボアを狙ってたんだけど見つけられなくてこんな小者になってしまったと悔しそうにしていた。

 自分と同じくらいの体格なんだから充分に大物だと思ってしまうボクは、やっぱり腰抜けなんだろう。
 ダンジョンの外で戦うなんてってボクが散々心配したことを知られたら、凄く怒りそうだ。

 こんな腰抜けのボクが魔族になって誇り高い狼がなれないなんて、これでいいのかな……と少し申し訳無く思ってしまう。

 狼たちは獲物を分けるために奥へずるずると引きずってゆく。今日の獲物は魔物たちだけで分け合うから、ボクが捌く必要はない。
 闇狗ダークドッグは血が好きだから、血抜きして捌いてしまうと逆に文句言われる。

 ノームたちが去り、狼たちも下がると広いこの空間は再び静かになった。
 リウスがボクの横に座る。

 「奥へ行かないのか?」
 「今日は行かない。ここを守らないといけないからね」
 リウスが軽い溜め息をつく。
 「そんなに気を張り詰めるなよ。逆に疲れて消耗しちまうぞ」
 「……そうかな」
 「まあ、今夜はここで休むのも良いかもしれないな。寝台もあるし」
 リウスが椅子の並んでるさらに奥に目をやる。そこには主たちが休むのに使うみたいな寝台が幾つか置かれている。ヴィオラ様の指示でボクらが運び込んだものだ。何に使うのかはよくわからない。

 「あそこで寝てりゃ、誰かが来たらすぐにわかるし、丁度いいだろ」
 リウスはそちらに移動し、「来いよ、キオ」とボクを手招きする。

 その仕草に少し、ドキンと心臓が跳ねる。
 進化前、魔法でやられていたリウスが目覚めてボクを求める時の様子とその姿がふっと重なってしまって。

 何考えてるんだ、寝るだけだ。今夜は見張りとしてここで休むだけ。

 闇狗ダークドッグ黒狼ブラックウルフたちは餌を食べたら寝てしまうし、そもそも主の許可がなければこの店があるエリアには出て来れない。
 だから誰かが訪ねてきたりしない限り、ここはボクとリウスの二人きり。

 いや、違う。二人で見張りをするんだ。
 獣魔族にここを知られたんだ、何があるかわからない。

 ボクは寝台に座っているリウスの傍らに腰を下ろした。

 「そう言えば兄さんは肉食べなくて良かったの?」
 「ああ、オレはさっきノームがくれたヤツで充分だ。あれ、凄いよな。あれだけで体力がすげえ回復してる」
 リウスがニッと笑う。

 本当にリウスの言う通りで、僕も今日一日働いて消耗した体力があれを食べたら回復してしまった。
 もともと荷物を運んだりしただけで、戦闘もしてないし魔力もさほど使ってないってのもあったとは思うけど。

 「ねえ、兄さん。一つ聞いていい?」
 「ん? 何だ?」
 リウスがボクの顔を覗き込んでくる。

 「あの時……あの、ヴィオラ様の魔法にかけられた時のこと」
 「ああ、あの時な」
 リウスがきまりが悪そうにちょっと目を逸らし、ポリポリと頬を掻く。

 「いいよ、聞けよ。覚えてたらなんでも答えてやる」
 ふっと苦情混じりの溜め息を漏らし、そう言った。

 「ゴメンね。大したことじゃないんだけど」
 口ごもったボクを、リウスは急かさずに待ってくれる。

 「あの時、兄さん、どうしてボクのところに来たの? 別に兄さんはあぶれたわけじゃない、むしろ姉さんたちを避けてこっちに来たよね?」
 ああ、とリウスは頷いた。

 「あの魔法にかかって効果に気づいて、やべえと思った。
 あの場面、群れの面子的に雄が二人余ることになる。そして実力的に余るのはお前と、多分三番目になっていただろう。そうなった場合、三番目はあぶれた鬱憤と魔法の興奮でお前を食い殺すんじゃないかって気づいて、オレが守ってやらなきゃと思ったんだ。
 まあ、オレも魔法にかかってたもんで、結局ああいうことになっちまったけどな」
 ガシガシとリウスが頭を掻き、小さく「済まない」と続けた。

 ボクは言葉を失った。
 そんな気持ちでいてくれたなんて。

 「謝らないで。ボク、凄く嬉しいよ。
 今こうしていられるのは間違いなく兄さんのお陰だったって気付けて。それに、ボクはちゃんと兄さん命の恩人を守れたんだってわかって」
 心に湧き上がった熱いものでボクの心がじわっと濡れるような気持ちになって、思わずリウスの胸に抱きついた。

 リウスの腕がおずおずとボクの背に回される。
 「……キオ?」

 戸惑ったようにその手はボクの頭やら背中やらを撫でている。

 進化してから、リウスはボクを求めない。
 あれは魔法に狂わされておこなってしまった凶行だったと言うかのように。

 でも、進化の時、リウスは確かに言ったんだ。ボクとずっと一緒に居たいって。

 「……兄さん、もう、してくれないの?」

 欲求がないわけじゃないよね?
 ヴィオラ様が魔力が足りないってレイチ様を連れて下がった時、犬の耳を出してまでその漏れてくる音を興味津々に聞いてたんだから。

 ゴクリとリウスが唾を飲む音がする。
 「嫌じゃ、ないのか?」
 「嫌じゃないって何度も言った」
 リウスの精悍な顔が欲望の色を刷く。

 「……兄さん」
 浅黒い顔を見上げる。
 リウスの眉が一瞬、痛そうに引き寄せられる。
 そしてギュウッと背に回っている両腕でボクを抱き締めた。

 「……もう、いくら頼まれても途中で止めてやったりとか、出来ねえからな」

 雄らしい囁きに打たれ、ボクの背筋にゾクリと戦慄が走った。
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