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第十六話 サファイアの覚醒と下界への帰還

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 あの後はベッドルームに戻って、フカフカのベッドでヴィオラを抱いた。

 正直言えば、少し意欲は落ちていた。もうこのまま横になって寝てしまいたいという気分だったのだけど、このままで終わらせたくないという気持ちもあった。

 今夜をこのまま終えたら、俺たちはあの沐浴場での関係のままになってしまうような気がして、とにかく元の関係に軌道修正しておきたいと思ったのだ。

 あの出来事は、魔力に酔っておかしな夢を見ただけだ。なにかの間違いだったんだ。そう思いたかった。

 その後のヴィオラは特に変わった様子は見せず、今まで通りの可愛くてエロい淫魔のままでいてくれたし。

 そして一夜明け、朝食を摂って下界に戻る準備をしていた俺たちを呼び止める人物がいた。

 「……少し、時間を取れるか?」
 「サファイア」
 ずっと俺たちに食ってかかるばかりだったけど、打って変わってしおらしげな様子だ。

 「いいよ。中庭でいい?」
 「ああ、構わない」

 俺たちは揃って中庭へと出た。
 中庭にあるテーブルを皆で囲んで座り、用を聞きに来たブラウニーにお茶を頼む。
 程なくして運ばれてきた紅茶を手にすると、サファイアが口を開いた。

 「その……悪かったな」
 照れくさいのか、目を反らしたままで言う。
 クスッとヴィオラが笑う。
 「いいよ。実害は無かったし、僕もわりと楽しんでたし」
 「楽しんでたのか……」
 サファイアが少しばかり憮然とした様子で呟く。

 「実はあの後、進化まではいかないが、スキルが一つ覚醒した」
 「スキルが?進化を伴わずにスキルだけ覚醒するって珍しいね。何のスキルなの?」
 「……死霊魔法だ」
 躊躇いがちに放たれた言葉に思わず一瞬言葉を失う。
 「死霊魔法か。なかなか稀なスキルが目覚めたんだね」
 ヴィオラが紅茶を口に含む。

 「昨夜、叔母上とも話したのだが、私が幽鬼の子だというのは間違いない事実なのだろうと思う。そこで聞きたいのだが、そなたはどこでそのことを知った?母上の元を幽鬼が訪れたことは、叔母上も知らなかったようだが」
 あ、サファイア、あのガーネット王がヴィオラだってこと、ちゃんとわかってたのか。

 「知らなかったよ。僕は全く違うことを言うつもりだった。……なんか気づいたらあの話をしてたんだ」
 「知らなかったと?」
 サファイアが目を見張る。
 「だって僕はみんなの前で淫魔の教育をしてあげるつもりだったし。本来ガーネット王がやるべきことだったんだよ。それを代わってやってあげようとね。とりあえずはえっちの気持ちよさと、その気持ちいいことを人にもたらす淫魔の存在の価値を教えてあげる予定だったんだ。それなのにあんなふうになって、僕としては不本意なんだよね」
 「……貴様」
 サファイアが不愉快そうに眉を寄せつつも、
 「しかし、そうか。そなたの意思を外れた言葉だったのか。……そうか」
 と、思案深げに呟く。

 「人間的な考え方かもしれないけど、ガーネット王がサファイアを守るためにヴィオラの口を借りて言ったんじゃないかと、俺は思うよ」
 「母上が。……そうか」
 独り言のように呟くサファイアの頬が少し緩んだ。

 「私は、妖魔城を出ようと思っている」
 「へえ、独り立ちするんだ?いいね!どこ行くの?」
 「母上を……いや、ガーネットを、探しに行くつもりだ」
 呼び方をわざわざ訂正したサファイアに戸惑ってヴィオラがキョトンとして見つめる。

 「死霊魔法と共にほんの僅かだが、過去の記憶も蘇ってきた。確証はないが、恐らく私は、クライドだったのだと思う」
 「やはりそうか……」
 俺が呟くと、サファイアが言葉の意味を問う眼差しを向けてくる。

 「妖魔ではなく人間だったなら、"神の検閲"を受けて記憶を全て消去されるんじゃないかと思ってたんだ」
 「神の検閲か。そうだな、私も逃れることは叶わなかったようだ」
 「いや、思い出したんだろ?なら、消去は完全じゃなかったってことだ」
 「ほんの僅か、しかも霞がかったような記憶だが……」
 「それでも、さ。ガーネット王が身を挺して生かそうとした価値はあったってことだ」
 「……彼女自身がいなくては、意味がない」
 「──そのために、探しに行くんだろ?」
 「その通りだ」
 真っ直ぐに前を見据えて答えるサファイアの瞳は澄んでいた。

 「私に自分と過去を取り戻させてくれたヴィオラとレイチに、感謝する」
 そう言って小さく頭を下げる姿に、俺は内心で感嘆していた。
 いや、昨日までとはまるで別人だ。

 そう言えば昨日、ヴィオラが尋ねたな。
 『サファイアはどうしたい?どうなりたい?』
 その答えを彼は得たんだろう。

 「ヴィオラはともかく、俺は何もしてないけど?」
 「死にかけたヴィオラを助けたのも、進化の切っ掛けを与えたのもそなたなのだろう?そなたがいなければヴィオラがここへ来ることはなかったのだから、大人しく感謝されておけ」
 ふん、と鼻を鳴らす。
 つい吹き出した。
 あ、間違いない、サファイアだ。

 「それで、だな。旅立つにあたって、一人では心許ないので、昨日進化した妖魔のうちの一人を連れて行きたいのだ」
 「僕はいいけど、ローズさんに許可取ったほうがいいんじゃない?多分戦力として当てにしてると思うし」
 「この後行く」
 「誰にするの?」
 「男だ。女性では問題がある」
 真面目くさった顔で答えるサファイアがなんか面白い。

 「じゃ、アッシュか。いいんじゃない?でも、彼ら僕の眷属だしレイチの従魔でもあるけど、いいの?」
 「問題無い。もし手を借りたくなったら、いつでもそなたらを呼べるのだろう?」
 澄まして言うサファイア。
 「あまり気軽にホイホイ呼ばれても困るんだけど……」
 「気軽にホイホイ呼ぶつもりは無いが、情報のやり取りをできる相手がいたほうが良いだろう?特に、そなたらにはワイズスライムがいる」
 「あ、なるほどね」
 検索エンジンとして使うつもりだな。やっぱりサファイア、馬鹿じゃないな。まあ、前世王宮魔術師だったなら、馬鹿じゃないのは当たり前か。

 「サファイア。魔王の心魔石は狙う?」
 ヴィオラの問いに、サファイアは苦い笑みを浮かべて首を横に振った。
 「いや、今はもう、魔王になりたいとは思わない。それより、ガーネットを魔王の呪縛から開放してやりたい」
 「そっか。……見つかるといいね」
 「……ああ」
 サファイアは静かに頷いた。



 その後、慌ただしく下界へ戻る俺たちを、ここにいる妖魔族全員(って言っても五人だけど)で妖魔城の外門までやってきて見送ってくれた。

 「ヴィオラ様、レイチ様、お達者で」
 「どうか、ご無事でお帰りください」
 昨日進化した妖魔の女の子、ココアとライムが跪いて目の幅涙で旅立つ俺らを見上げた。

 ココアは茶髪と茶眼、ライムは亜麻色の髪に黄緑色の瞳の妖魔だ。小柄でふっくらした体型のココアに長身で細身のライム、どっちも可愛い。二人とも俺よりヴィオラに目が行ってるのバレバレだけど。……今朝のヴィオラは魔王モードだから、無理もないよな。

 「そんな顔しなくても、多分結構頻繁に僕らここに来ると思うよ」
 ヴィオラが苦笑して言う。
 「ローズさんを支えてやってくれ。頼むな」
 「はい」
 二人は神妙な面持ちで頷く。

 先行きがわからないのはこっちだな。
 俺はアッシュの方に向いた。
 「そいつ面倒くさいかもしれないけど、よろしく頼むな」
 「はい、マスター
 跪いて頭を垂れている薄い灰色の髪にブルーグレーの瞳の男妖魔は、サファイアの供として一緒に旅立つ予定だ。

 「面倒くさいとは何だ、失敬な奴だな」
 サファイアが仏頂面で言う。
 「お前が面倒くさくなかったことがあったか?」
 「……さっさと行け」
 「ハイハイ」
 ヴィオラが片手を振って軽くいなす。

 「アッシュ、そいつの面倒、見てやってね。箱入りのボンボン育ちだから、庶民の生活キツイかもしれないけどさ」
 「おまかせください、我が主君マイ・ロード
 にっこり微笑むアッシュは正統派インキュバスって感じの、長身細マッチョのイケメンだ。今は妖魔なので、プラスで風格みたいなのも漂ってる。妖魔族は進化しても外見はあまり変わらないみたいだ。
 ってか、アッシュの俺らの呼び方、スラサンと一緒。スラサンのこと、師匠とか呼ばないよな?

 「ところでサファイアはいつ発つの?」
 「新しい妖魔たちが慣れたらだ」
 「ふーん。サファイアって、妖魔城で仕事してたんだ?」
 「し、してたに決まってるだろう、つくづく失敬な奴らだな、貴様らは」
 サファイアの目が泳いでる。
 ローズさんが後ろで肩を竦めてるけど、まあ、このくらいにしといてやろう。これからだからな、サファイアは。

 「また何か情報があったら知らせるよ」
 「うん、頼む」
 ローズさんの言葉にヴィオラが頷く。
 「魔力はまだまだ足りないから、ちょくちょくきてほしいね」
 「大浴場付き高級宿としてならできるだけ利用したいところだけど、まあ、状況が許せば、だね」
 ヴィオラが微苦笑を浮かべ答えた。

 ……正直言うと、俺は暫く妖魔界には来たくない。あの沐浴場は、美しいけど、怖い空間でもある。
 魔力にあてられて、俺が俺でなくなってしまいそうで。

 そんな俺の内心を、ヴィオラは察してるのだろうか。
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