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8.喧嘩した日は悲しみの塩にぎり【中】

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依頼人、立華かなえさんの身辺警護に和戸くんが赴いてから6日目。
いよいよ明日には予定していた1週間を終えるわけだが、彼女に付きまとう影はちっとも現れなかった。
警戒心が強い輩なのか、はたまた……依頼人に別の目的があるか。
何となく、後者の方ではないかと思いながら喫茶店アーサーの定位置でコーヒーを飲んでいると業務連絡用のSNSに和戸くんから依頼人が無事に自宅に入っていったと定期連絡が入った。
僕は完結な彼の文字列を見ながら、こちらに帰還していい旨を告げると、彼は念のためあと1時間ほど依頼人マンション付近を警戒してから帰ると返信があった。

時刻は夜の20時頃で、彼の帰宅は恐らく21時頃だろう。
夕食には遅く、夜食を一緒に食べようか―ーなんて考えながら、カップに口をつける。
昼と違い、ダウンライトの落ち着いた色合いが心地よい店内は、自分のように喫茶としてコーヒーを楽しむものより
軽食と酒を楽しんでいる人の方が多い。
喫茶店アーサーとはいうものの、あと1時間ほど隠れたバーのような雰囲気で夜間営業してくれるのだから寂しい夜を過ごす日にはなかなかにありがたかった。
とはいえ、アーサーの常連は熟年のおしどり夫婦等が多く独り身は些か寂しいのは変わらないのだが……

なんて、和戸くんのいない時間への寂しさをじくじくと腐らせていると、不意に頭上に影が掛かった。
またオーナーである刑部さんが和戸君に頼まれて気に掛けてくれたのかと顔をあげると、そこに立っているのはいつも見知っている上品な老紳士ではなく……

「ふふ、そんな顔もするんですね」
「――立華、かなえさん?」

和戸くんが身辺警護しているはずの、依頼人――立華かなえが立っていた。
うっとりと頬を薔薇色に染め、自分を見下ろす姿に僕は深いため息を一つ吐いた。
稀にいるのだ。依頼に託けて、僕自身に接触することを目的にした人物が。様々な違和感から、恐らく今回の依頼もそうではないかと思っていたが、予想通りの結果となった。
僕が心底呆れた気持ちでいると、彼女は無遠慮に僕の前に腰を下ろしテーブルに肘をつくと、顎先を支えるように両手の上に乗せた。
そうして上目遣いにニコニコと僕を見上げている。最初にみた小動物的な愛らしさは今はなく、どちらかといえば
毒々しい花を思わせるような雰囲気を纏っていた。

彼女はご機嫌にニコニコと笑いながら、あきれ果てている僕をじっと見つめている。
お互いの間に数分の沈黙が走った。このまま無視して帰宅しようかとも思ったが、後をつけられ自宅までついてこられては困ってしまう。どうしたものか……と考えているとニコニコと微笑んでいた彼女が声を掛けてきた。

「鵬鵡さん」
「……なんでしょうか」
「そんな警戒しないでくださいよぉ、やっとこうやって二人きりで会えたんですから」
「立華さん、嘘の依頼をされましたね」

僕の言葉に彼女はにっこりと口角を上げる。深紅のリップが愉快そうに歪む様は酷く不快だった。
初対面からあまりに様変わりした彼女に警戒するなという方が無理である。僕は早々にこの依頼人との縁を切るべきだと判断し、鞄から契約書を取り出しテーブルに置いた。

「偽りの依頼をされたとのことで、契約は終了となります」
「まぁ、そう話を急がないで?鵬鵡さん」
「僕は、生憎と嘘を吐くような依頼者にかかわるほど暇ではないので」

冷たく突き放しても彼女は表情を一つも変えなかった。こんな奴のために愛しい和戸くんとの時間を1週間も無駄にしたのかと思うとつい冷静さを欠いてしまいそうだ。
僕は深呼吸をすると、もうほとんどなくなりかけたコーヒーを飲み込んだ。

「君のような人は多いんだ」
「私のような?」
「そう、おおかた目的は僕と二人きりになりたいとかそういうことだろう?」

軽蔑を込めた眼差しで見れば、彼女は一瞬キョトンとした顔をしてそれからクスクスと肩を震わせて笑う。
それから初対面のころとは違う、濃いメイクの切れ長な面差しをうっそりと細めて僕を見つめてきた。

「半分当たりで半分外れ」

きゃはっとはしゃぐような物言いに苛立ちが募る。その他大勢と何ら変わらないと思っていたが、含みのある言い方に僕は自然と眉を寄せた。彼女の思考を考察するにはあまりに情報がない。
不躾な視線を受けても彼女は変わらず飄々としている。

「貴方と二人きりで会いたかったわ」
「……それは半分の目的なんだろう?」
「そう。ただお話がしたかったのよ……貴方の宝物について」

彼女が両肘をテーブルにつき、掌に顎先を預け、長い爪で頬をタップする。愛らしいような仕草だが、どこか演技ががかっていて、妙に鼻についた。
僕は彼女の行動に揺れてしまいそうになる感情を均すと、宝物ってなにかな?と微笑んで見せた。
彼女は少しだけ腰を浮かし、僕の耳に唇を寄せると「あの、助手君」と甘ったるい声で囁いた。
その瞬間、背筋に寒気がゾッと走り抜け僕は反射的に彼女を見る。鼻先が触れるほど近く似合った彼女の顔に、
僅かに戸惑った瞬間、彼女の唇が僕の唇に重なった。
唇にねっとりと移る相手の口紅の化粧臭さに眉をしかめる。彼女が握っていた僕の襟元から彼女の手を振りほどく。

何をするんだと声を荒げようとした瞬間、窓の外に立ち尽くす和戸くんが居て……僕は慌てて席から立ちあがる。
急いで外に出ようとしたが、それに気が付いた和戸くんはすぐさま走り去ってしまう。
追いかけようとした僕の手を、立華かなえが掴んだ。苛立って思わず睨みつければ彼女はクスクスとおかしそうに笑ったかと思うと僕のことを鋭い眼光で睨みつけた。

「……和戸君は、返してもらうわ」
「返す?おかしなことを言うね」
「彼は貴方の宝物じゃない……巽君は、オレのだよ」
「!!」

さっきまでの艶やっぽい女性らしい声が、グンッと低くなる。その声はまるで男性で、僕はハッと息を飲む。
容姿があまりに違っていたから気が付かなかった。立華かなえ……いや、金田 誓かなた せい

彼は――和戸君のストーカーをしていた男だった。


「接近禁止が出ているはずだ!警察に連絡するっ」
「オレに構ってていいの?巽君、傷ついてるんじゃない?」
「……っ」
「オレは大歓迎だよ。時間が経てば経つほど、直ぐに追いかけてくれないアンタに絶望するはずだから」

そうしたら、オレが慰めてあげるんだ。ふわふわの可愛い女の子「立華かなえ」としてね。

クスクスと笑う顔は、あの日の立華かなえの面影もあるが、どこか恍惚としていておぞましい。
僕は彼の手を振りほどくと、刑部さんに後を任せて店を飛び出した。

走りながら和戸くんに電話をかける。何度コールしても和戸くんに電話はつながらなかった。
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