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第三章 広がる世界

12話 新たな脅威①

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 峠から森の中へと誘う様に伸びていた道は、森に入った途端、その役割を終えた様に消え去った。
 森の中は、幾種類もの大木が背を伸ばし、頭上をその葉で覆い、僅かな光しか届かない薄暗い空間を作り出している。そればかりか、大地に射す木漏れ日は、そこがこれまでとは異質な場所である事を示す様に、青みがかった輝きを散乱する光の帯を形成していた。
 薄いながらに霧が出ている。日々喜達には、地肌に感じる冷たさからもその事が分かった。

 「凄い大きな木。こんなのイバラの森にも生えてなかったわ」

 オレガノが木漏れ日の出どころを探す様に頭上を眺めてそう言った。

 「アラニヤ領の固有種でしょうか? 私も見た事が無いですよ」

 リグラもオレガノの真似をする様に上を見上げてそう言った。
 イバラ領から歩き通しで三日ほど、距離的にそこまで離れている訳では無かったが、領域の支配者たるルーラーが異なれば、その領域の生態系も異なって来る。その為、これまで目にした事の無い木々を前にしても、二人は珍しがるばかりで特に驚く様子は無かった。
 さながら迷いの森とも思しきその森の中で、見習い達は戸惑う事も無く、エリオットが用意してくれた方位磁石を取り出し、方角を確認する。
 このまま森の中を北西に進めば、峠から眺めたエルプルス山の麓に出るはずだ。
 日々喜達はそのように行程の指針を定めると、森の中へと進み始めた。道筋が消えたとはいえ、峠から見た森の大きさは大したものではなく、直ぐにでも抜け出る事ができると考えたのだった。
 しかし、しばらく森の中を進む内に、日々喜達はそれが容易な事ではないと思い知らされた。
 道が切り開かれていないその森は、どこまでも岩場が広がっている様で、地面の所々に凸凹とした岩肌が顔を覗かせている。しっかりと足を踏みしめなければ、思わぬ拍子に転んで怪我をしてしまいそうだ。
 これまでの道のりとは違い、注意深くペースを守りながら進む必要があるだろう。先頭を行く者は後ろに続く者達の足に合わせ、ゆっくりと時間を掛けて森の中を進み続ける。そうして行くと、岩の壁にぶつかった。まるで通せんぼでもしているかの様に行く手を遮り、真横に向かってどこまでも断層が広がっていたのだ。
 自力で登れるような高さではなさそうだ。日々喜達は仕方なく大きく迂回して先へと進む。すると、今度は崖の様な断層に出くわした。先程の壁と同じぐらいの高さだろう。日々喜達の立つ場所は険しい地塁になっていたのだ。
 こうした地形が森の中には幾つも存在していた。まるで、どこかから強い力で押し退けられ、大地にシワが寄ったかの様に無数の崖と壁を森の中に作り出していたのだった。

 「変わった森だ」

 森の中で休息をとる最中、日々喜が周囲を見渡しながらそう呟いた。

 「どこら辺がだよ」

 キリアンが尋ねた。

 「これだけの大木が育ってるのに、土が堆積してない。それどころか、岩肌に根を這わす事もせず、木々が根付いてる」

 それのどこがおかしいというのだろう。キリアンは改めて周囲の木々を窺い始めた。
 日々喜の言う通り、これだけの大木が育つには相当な時間が掛かった事だろう。二百年か、三百年。ひょっとすれば、千年以上の時間、この場所に根付いていたのかもしれない。キリアンは地面に落ちた枯れ葉を一枚拾い上げる。広葉樹の葉っぱだ。目の前にする大木のものだろう。これが百年以上舞い落ち続ければ、当然地面は腐葉土に満ちて来るはずだ。しかし、周囲はごつごつとした岩肌が露見しているだけだった。

 「そうか、ここには木々が大きく育った過程を示すものが無いんだ。まるで、大木だけをそのまま運んで来たような」

 それだけじゃない。恐らくここら一帯は、こうした岩盤が地面に敷き詰められている。しかし、そうであるなら森の木々は当然下に向かって根を生やす事ができない。自重を支える為にも横に広く根を行き渡らせる必要があるはずだ。しかし、ここにはその形跡が見られないのだった。

 「この木、一体どうやって生えてるんだ……」

 日々喜と同じ疑問に至り、答えを求める様にキリアンは一本の大木を上から下まで眺めまわした。

 「ちょっと、調べてみる」

 日々喜はそう言うと、木の根元に走って行った。
 キリアンも後を追おうと立ち上がった。その拍子に、大木の幹周りから何かピカピカと鏡の様に光を反射するものが視界に入った。

 「ん?」

 そちらを見れば、黒光りする黒い塊のようなものが、幹にしがみ付いているのが分かった。キリアンは怪訝に思いながらそちらに近づいた。すると、キリアンの存在に恐れおののいたかのようにその黒い塊は僅かに体を動かし、樹皮に擬態していた全貌を少しの時間だけ明らかにした。
 その生物は、平たい胴体に黒光りする甲冑の様な鎧を纏っている。丸々とした頭からは戦仕立ての兜の様に三本の長い角が生え、やはり胴体と同じく黒々とした輝きを放っていた。
 それは全長にして、五十センチはあろうかという巨大なカブトムシだった。

 「マジかよ……、すげぇ、やべぇ……」

 キリアンは見た事も無い生き物を前に興奮した様子でそう呟くと、おもむろにカブトムシの胴体を両手でつかみ、木から引きはがそうとし始めた。しかし、木にしがみ付くカブトムシも必死な様子で、容易にその場から離れようとはしなかった。

 「何してるんですか、キリアン?」

 奮闘するキリアンにリグラが尋ねた。

 「リグラ、手伝ってくれ! 俺が捕まえたんだ!」

 そう言われ、リグラは自分の掛けている眼鏡の位置を直しつつ、キリアンがつかんでいる物を良く見てみようとした。
 黒く巨大なカブトムシが、キリアンの狼藉に必死な思いで抗っている。可哀想に、その引っ張る手の力に合わせ、何とか踏ん張ろうとお腹を収縮させ、その度に絞り出す様なギュー、ギューという鳴き声を上げていた。

 「うわぁ……」

 しかし、キリアンの奮闘も悲愴のこもったその虫の叫びも含め、リグラにはただただ気持ちの悪いものにしか映らなかった。

 「でかしたわ、キリアン!」

 そんなリグラの背後から、飛び出すようにしてオレガノが駆けつけて来た。彼女はすぐさまキリアンの腰回りにしがみ付くと、一緒になってカブトムシを引っ張り始めた。

 「ちょ、ちょっと、オレガノまで。一体、何してるんですか!?」

 二人のやっている事が理解できず、リグラは混乱した様に言葉を投げた。しかし、オレガノもキリアンも聞く耳を持たない。
 やがて、奮闘する両者のやり取りに勝敗を決めるかの様に大木の樹皮が剥がれ、オレガノはキリアンを、キリアンはカブトムシをつかんだまま後ろに倒れ込んだ。
 仰向けに倒れ続けるキリアンは、手にしたカブトムシの確かな重さを実感する様に、高々とそれを空に掲げた。
 カブトムシもキリアンにつかまれたまま仰向けになり、六本の頑丈そうな足をもがく様に動かしていた。

 「キリアン。どいて、早く」

 キリアンの下敷きになったオレガノは、そう言いながらキリアンの上体を押し退け、立ち上がる。
 キリアンは、カブトムシをつかんだままその場に座り続けていた。

 「こいつ……、きっと、この森の王だぜ」

 言い知れない感動の様なものを込めてそう呟いた。
 本気で王様を手中に収めた気にでもなっているのだろうかと、リグラはキリアンの様子を心配した。

 「凄いわねキリアン。でもそれ、食べれるのかしら?」

 キリアンの手にするカブトムシをオレガノは疑わし気に眺めまわす。

 「は? バーカ。俺の王様だぞ、敬意を払え」

 キリアンは失言を取り消せとでも言わんばかりに、オレガノの方へカブトムシを掲げた。普段は隠されるお腹の部分が顕わとなる。それを見てオレガノは、鎧の様な背中に比べ、お腹の部分は蚕の蛹の様に柔らかそうだと思った。

 「いけそうね。ちょっと貸して!」

 オレガノはそう言うと、カブトムシの角をおもむろにつかんだ。キリアンは止めろと叫び声を上げ、カブトムシを放そうとしない。その為、両者の間で引っ張り合いが起きた。
 唐突な生存本能にでも目覚めたのか、オレガノはどうしてもカブトムシが食べられるかどうか調べなければ気が済まなかった。また、キリアンも森の王への忠誠心を捨てる気はさらさらない様子だ。
 カブトムシは再び、あのギュー、ギューという絞り出す様な鳴き声を上げ始めた。苦しめている二人の耳にも届いているはずなのに手を緩める様子は無い。

 「二人共、いい加減に! いくら何でも可哀想ですよ!」

 遠巻きに見ていたリグラが再び声を掛けた。その時、カブトムシの胴体が縦に真っ二つに割れる様にして、畳まれていた羽を広げた。
 胴体をつかんでいたキリアンの手は、硬い前羽に振り払われる。すると、角をつかんでいたオレガノは、引っ張っていた勢いのまま後ろによろめいた。その瞬間をカブトムシは逃さず、自分の身体の二倍程もある後羽を羽ばたかせ、オレガノの手から飛び去ってしまった。

 「うわ!」

 カブトムシがこちらに飛来して来て、リグラは頭を抱える様にして蹲る。後にはすさまじい程の羽音が頭上から聞こえて来た。

 「もう! 逃がしちゃったじゃない」

 オレガノが怒った様にそう言った。

 「お前の所為だろ。無礼な態度が気に入らなかったのさ」

 キリアンは詫びれる様子も見せずに言い返していた。

 「まったくもう……」

 リグラはそんな二人の様子に呆れたように呟く。

 「二人共、こんな森の中で遊ばないで下さい」
 「遊んでなんかいないわ、リグラ。食べ物の確保は大切な事でしょ?」

 オレガノは真面目に答えた。

 「食料は十分ですよ、オレガノ。今日中に森を越えて、麓の村に辿り着けば、あんなものを食べる必要は無いですから」

 リグラは必死な思いでオレガノの考えを改めさせようとした。どんな状況になっても、大きなカブトムシを食べる気にはなれなかったのだ。
 そうしていると、またあの大きな羽音が頭上から聞こえ始めた。リグラは思わず悲鳴を上げ、再び頭を抱えた。オレガノとキリアンは、今度こそ獲物を逃すまいと空を飛び交うカブトムシの行方を目で追った。
 カブトムシはその大きな体を空中に浮かべているのがやっとの様子で、バランスを崩し右に行ったり左に行ったりを繰り返しながら、何とか心休まる場所を探そうと必死に飛び続けていた。やがて、目当ての場所を探し当てたかのように、カブトムシは大きく旋回し、一直線に飛び去って行く。
 キリアンとオレガノもそれに続いて駈け出していった。
 丁度、行く手には日々喜の様子を窺い続けていたコウミが立っていた。
 カブトムシはここならばとばかりに、コウミの後頭部にしがみ付き、勝手に休息を取り始める。
 まずい。内心そう思ったかのように、二人は急ブレーキを掛け足を止めた。

 「うん?」

 異変を感じたコウミは、駆けつけて来たオレガノ達の方へ振り返った。その佇まいはコウミの黒い装束も相まって、まるで、前方に大きな三本の角を生やした兜を被っている様に見える。カブトムシはさながら、虎の威を借るキツネの様に、悠然とオレガノ達を見下ろしていた。

 「こんな所ではしゃぐな、お前達」

 茫然とコウミの事を眺めているオレガノとキリアン。そして、後から駆けつけて来たリグラに対してコウミはそう言った。

 「日々喜、お前もだ。さっさと行くぞ」

 コウミは日々喜の方を振り返りそう言った。しかし、日々喜は木の根元から動こうとしない。

 「一体何をしてるんだ」

 日々喜の様子を伺いながら、コウミが尋ねた。

 「ここを見てください。まるで、岩盤の割れ目に土を捻じ込んだみたいになってる。この森の木々は割れ目に根を下ろしているんです」

 大木が根を下ろすその場所は、確かに岩と岩の裂け目に土を盛った様な感じに成っている。この場所に根を張る大木は、裂けめの奥深くに根を張っているのだろう。

 「この森の木、全部がそうだって事ですか」

 リグラが尋ねた。

 「分からないけど、眼に見える範囲ではそうだと思う」

 見習い達は周囲を窺う。日々喜の言う通り、そこかしこに生える木々は、同じように岩盤の割れ目から顔を出している。そして、一本たりとも、岩肌の上に根を這わせている大木は無かったのだった。
 見習い達は、自分達の目の前にする自然環境の中で、こうした統一的な特徴を見出した時、何とも言えない絶大な力に依る作為の様なものを感じ取った。それは、とても不自然なものを前にする奇妙さだった。まるで、誰かが岩盤の割れ目に大木を突き刺し、そこに土を盛った様な、そうしてこの森ができた様な、とりとめのない考えが頭の中を過るのだった。

 「いずれにせよ、さっさとここから出るぞ」

 コウミは、考え込むようにしている見習い達を急かす様に言った。

 「まったくお前らときたら。ちょっと目を離しただけで、おかしなものに注目したり、遊び出したり。俺は保護者じゃないんだぞ」

 コウミはそうぼやきながら、皆を先導し始める。

 「コウミ、頭に何を被ってるんです?」

 日々喜が、コウミの頭の上で擬態するカブトムシを見てそう尋ねた。

 「何ってフードだろ。何時も付けてる」

 コウミは素っ気ない受け答えをするとそのまま先へと歩いて行ってしまった。

 「角が生えてる……」
 「俺の王様だよ」

 キリアンが愉快そうに答えた。意図せぬ悪戯がおかしくて仕方がない様子だ。しかし、日々喜はその様子も含めて、キリアンの言っている意味が分からず混乱した。

 「違うわ、今日の夕食よ!」

 オレガノは譲らぬ様子で反論した。キリアンはそのやり取りに飽きた様で、ただはいはいと返していた。
 不服有り気に頬を膨らませるオレガノ。それが、余計に日々喜を混乱させた。

 「早く行きましょう。また、怒られてしまいますよ」

 リグラは辟易としながら先を急かし始める。日々喜達は急ぎ、コウミの後を追い駆け様とした。そうして、少しばかり足取りを進めてみると、鼻を刺す様なツンとくる臭いが前方から漂って来た。
 見習い達は思わず顔をしかめた。まるで、何かを燃やした様な焦げ臭さと、酸化した古い油の様な臭いがするのだ。
 視線の先では、コウミがその場を窺う様に身を屈め、地面の辺りを調べていた。これまで見て来たとおり岩肌が露出した場所であったが、まるで強烈な炎に焙られたかのように、黒々とした煤がこびり付いていた。
 そして、周囲には、同様の炎で焼かれたと思しき巨大な虫達の死骸が幾つも転がっていた。

 「何ですか、これは……?」

 リグラがその惨状を見て尋ねた。

 「さあな」

 コウミは指に付いた煤を調べる様に擦り合わせた。煤は粘りが強く、しつこい具合に指にこびり付いている。

 「油か……。つい最近、ここを通った者がいるらしいな」

 コウミはそう呟くと、周囲を窺う様に、頭から生えた角をそちらに向けた。
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