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第二部 四季姫進化の巻

第十九章 語部反逆 6

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 六
 静寂が訪れた広場の端。
 屋敷の縁側に横たわる綴を、榎は不安に包まれながら見つめていた。
 地脈の力から解放されても、綴が意識を取り戻す気配はない。かろうじて命を繋いでいるだけ。その呼吸が、心臓が、いつ止まってもいいほど弱々しい。
「綴の命に別状はない。濃度の高い地脈に全身を晒されていたために、疲労して深い眠りに落ちているだけだ。体が癒えれば、ちゃんと目を覚ます」
 恐怖に押し潰されそうになっている榎に、紬姫が慰めの言葉をかけてくる。素直に受け入れていいかどうかも分からなかったが、今はどんな言葉にでも縋り付きたかった。
 ひとまず、綴は大丈夫だと周囲は判断し、新たに起こった深刻な事態に、頭を悩ませていた。
「問題は、語ですわ。悪鬼と手を組んで、あんな恐ろしい真似をするなんて……」
「正気の沙汰とは思えんわ。狂っとる、あのガキ」
「賢い子やとは、思うておりましたけれど。頭の回転が良すぎると、どうしても悪事に手を染めてしまうもんなんどすかな」
 突然の、語の豹変。みんなが驚き、呆気に取られ、何も対処ができなかった。特に奏は、姉として弟の暴走を止められなかった現実を、誰よりも悔やんでいた。
「伝師の英才教育なんて、建前だけすわ。実際は、伝師に心から服従させるための、洗脳教育。兄や私が、その異質さから強要を拒んだために、全てのカリキュラムが、語に注ぎ込まれたのです。語はいわば、伝師一族の次代を担う、完璧な操り人形……になるはずだったのでしょう」
 語の天才的な頭脳、頭の回転の速さ、さらには、底知れず働く悪知恵。すべてが、伝師一族によってもたらされた産物であると、奏は嘆く。
「でも、語は私たちなどよりも、ずっと優秀だったのです。洗脳教育を施してくる伝師一族や、父や母さえもを欺き、復讐の機会を窺っていた」
 奏はずっと、語が何も知らず、疑わず、伝師のために勉強に精を出しているだけなのだと思っていたのだろう。あの可愛い笑顔の内側に、あんな恐ろしい内面を隠し持っていたなんて。榎達が思う以上に、強いショックを受けているはずだ。
 力なく項垂れる奏に、何と声をかけていいのか分からなかった。
「語は、伝師の基を断ち切る方法で、一族を亡きものにしようとしている。すなわち、妾が時渡りをする前に殺してしまうことで、完全なる消滅を目論んでおるのだ」
 紬姫の話を聞きながら、椿は眉を顰めていた。
「椿には、意味が分からないわ。だって、紬姫を殺してしまったら、当の語くんだって、消えてなくなっちゃうんでしょう?」
 結論からいえば、語は語自身をも殺しにいったわけだ。いくら母親を嫌っているからといって、基を絶つ方法を用いていては、本末転倒だ。
「語は、歳の離れた兄である綴に陶酔していた。綴も、語には同情し、気持ちを通じ合わせていたらしい。たまには人生を悲観し、泣き言や愚痴を吐くときもあったのだろう。その言葉を、語は全て真に受けたのだ。己の未来を犠牲にしてでも、綴を助けようと、その聡明な頭で最も効率的な結論を出したのであろう」
 淡々と語る紬姫に、楸が今まで以上に不振な目を向けた。
「あなたは、やけに悠長にしておられますが、もしや、この展開をすべて、ご存知やったんどすか?」
 ありえない展開にみんなだ動揺する中、紬姫は表情一つ変えず、冷静に全てを受け入れて順応している。いかに冷静で落ち着いた性格の人間とはいえ、あまりに胡散臭さが勝っていた。
 だが、紬姫ならば、その体に宿る悪鬼の力を用いて、この未来を、最悪の結末を予め知っていたとなれば、話は別だ。
「未来が見えんくなったっちゅう話は、嘘やったんか!」
 紬姫が嘘を吐き、みんなを振り回しているのではと判断し、柊が怒りを顕に怒鳴り付ける。
 対して紬姫も負けず、目を細めて柊に睨みを返した。
「未来は見えぬ! だが語は、神通力によって妾と目を共有している。都合の悪いものを見たときには奴の意志で見えるものを制御されてしまうが、ちょっとした隙に見える視界の断片から、何かを企んでいるとは、知っていた。時渡りに関する、何らかの謀略をな」
 その口調には、今までには感じられなかった苛立ちや怒りが、少なからず含まれていた。
 紬姫にとって、未来が見えるか見えないかなど、今となっては議論する意味すら持たない事象なのだろう。周囲の理解のなさに、もどかしさを感じている様子にも見えた。
「ならば、なぜ止めてくださらなかったのです!? それどころか、あんな挑発的な言葉を吐いて、語を突き放すなんて!」
 黙り込んだ柊たちに代わって、奏が紬姫に食ってかかった。母親として、息子に対する対応があまりにも杜撰で残酷だと、憤りをぶつけた。
「お前には、止められたのか? 人ひとりを殺すためだけに、たった一人で時渡りの新たな陣を作り上げ、人外の悍ましき存在まで手込めにしてしまう。かような化け物を、お前は手懐け、鎖を嵌めておけたのか?」
 率直に返され、奏は一瞬、口を噤む。
「鎖を嵌めるなんて……。あの子は、わたくしのたった一人の弟です!」
「あやつは、何の責もないお前の命まで軽視したのだぞ。あれほどに蔑ろにされておいて、まだ、あの化け物を弟として扱えるのか」
「責なら、ありますわ。伝師の立派な頭脳となるように、語だけに無茶を押し付け続けてきたのですから。もっと早く、苦しみに気付いてあげていれば……」
 感極まって泣き出した奏の背を、紬姫は優しく摩った。
「化け物を甘やかしたところで、寝首を掛かれるだけだ。己を責めるな。どのみち語には、逆行する時渡りの術を完成させてもらわねばならなかった。妾の知識や技をもってしても、時を遡る術を作り出すことは、叶わなかったのだから」
 紬姫の意味深な言葉に、椿が再び、訝しい表情を浮かべる。
「過去に戻るための、時渡り――。どうして、その術を完成させる必要があったの?」
「妾が知りえる、最後の未来へと、時の流れを繋ぐためだ。四季姫たちはこの後、時を渡って平安の京に赴き、伝師の未来を救う。そのためにどうしても、時渡りの術を完成させねばならなかった」
 誰もいなくなった陣の前に、紬姫は立ち、腕を動かして地脈を制御した。
「この陣、消さずにそのまま維持させる。入り口さえ抑えておけば、道が開いている間ならば、いつでも逆行して時を渡れる」
 紬姫は深く呼吸し、ゆっくりと榎達に向かって、順番に視線を向けた。
「ようやく、一つに繋がった。妾の力を持ってしても見ることが叶わなかった、未来の断片を理解した。――四季姫たちよ。語を追い、過去へ飛べ。千年前の平安京にて成すべき使命が、お主たちの最後の戦いとなるであろう」
 突然の言葉に、榎達は一瞬、言葉を失う。
「あたしたちが、平安時代に時を渡る?」
「その未来は、どうやってお知りになったのです。少しでも気付いていたのなら、なぜ何も教えてくださらなかったのですか」
「この未来に関しては、過去に体験した出来事からの推測でしかない。確信が得られるまでは、何が起こるのか分からなかった故、迂闊な話は口にできなかった。だが、語がことを起こし、推測も現実となった今だから、全てを話した」
 紬姫なりの責任を持って、確実性を優先した行動だったのだろう。
 どちらにしても、榎達が振り回されて、驚かされる結果には、変わりはないが。
「でも時渡りは、命懸けの、とっても危険な術なのでしょう? もし、時渡りに失敗したら……」
 椿が不安を口にする。
「失敗した者がいるのか分からぬが、時の流れに閉じ込められ、永久に彷徨う危険もあるかもしれぬ」
「奏はんたちの命が懸かっておるとはいえ、今回ばかりは、私たちには荷が重いかもしれんどすな。心の準備が、つかんどす」
「あのガキンチョかて、無事に千年前に着いたとは限らんで」
 みんなも、難色を示す。今まで以上に危険の伴う使命を、快く受ける気持ちにはならなかった。
「時渡りの成功の是非だけならば、未来が見えずとも分かる。語は、平安の世に辿り着いた。其方たちも、何の問題もなく時を渡ることができる」
 紬姫の言葉には榎達を安心させようとする虚栄以上の自信と確実性が感じ取れた。
「どうして分かるのです?」
「妾は実際に、平安京にて、夏姫――其方に会っておる」
「あたしに……?」
 突然の告白に、榎の鼓動が高鳴る。
 だが、嘘だとも思えなかった。
 実際に、紬姫は榎と初めて会った時にも、懐かしそうな口ぶりを見せてきた。
 その理由が、遥か昔に榎と出会っていたからだとすれば、納得がいく。
「そなたのお陰で、妾は進むべき道を見出した。綴を守るため、生きて先へ進もうと決心を固められた。どうか、綴を救っておくれ。時の流れを、今に繋げて欲しい」
 優しげな瞳を榎に向け、紬姫はプライドも何もかもかなぐり捨て、深々と頭を下げてきた。
「無論、危険は、承知の頼みだ。だが、戸惑っている暇はない。時代の歪みが正されぬまま進み続ければ、其方たちの未来にも、大きな損失を及ぼすかもしれぬのだ」
 紬姫の、危惧を表すその言葉は、すぐに目に見える形で現れはじめた。
 突然、了生が胸を抑えて体を崩した。
「なんや、体が、思うように動かん……」
「了生はん、どないしやはったんや!」
 柊が、慌てて了生に駆け寄る。倒れそうになっている背を支えようとてを伸ばすが、柊の腕が了生をすり抜けた。
「体が、透けとる!?」
 了生のからだの輪郭がぼやけはじめ、空気と同化しようとしていた。
 その姿を見た柊の、了海の表情が、大きく歪む。
「早速、過去で異変が起こっておるのだ。語が千年前の時代に着き、何らかの干渉を行ったせいで、本来の時の流れが歪み始めておる」
 紬姫の顔にも、汗と焦燥が浮かんでいた
「恐らく、嚥下の先祖に危険が迫っている。もし、語の影響により千年前に嚥下の一族も、ことごとく滅びる羽目になれば―?」
「了生はんや了海はんは、生まれてこれなくなる? いえ、それ以前に、存在そのものがいなくなるという意味どすか!?」
 榎達の顔から、一斉に血の気が引いた。
「嫌や、そんなん! 了生はんがいなくなったら、うちは、うちは……」
 柊は取り乱し、泣き叫ぶ。だが、触れられなければ、成す統べもない。
「冬姫様。いや、四季姫様。手前勝手な願いとは承知しておる。どうか、わしの息子を、救ってやってくれぬか……!」
 いつも落ち着いている了海も、今回ばかりは声を荒げ、榎達に向かって必死で頭を下げた。
「嚥下だけではない。語が何らかの力を用いて歴史を捻じ曲げ、伝師の殲滅にかかれば、人間の文明は滅ぶ。陰陽師の勢力が弱まれば、人も妖怪も悪鬼どもの餌食となり、完全に悪鬼の支配する世界が訪れるかもしれぬ。今、この瞬間すら、消滅する」
 語が引き起こす、千年前への世界の干渉は、現代にも影響を及ぼそうとしている。紬姫が時を渡らずに人生を終えると、ここまで歴史に狂いが生まれるのか。
「人も妖怪も、悪鬼に逆らえなくなる……」
「最低な世界どすな」
 他人事だと、躊躇っている場合ではなくなってきた。
「迷っている暇、ないよ。行こう、平安時代へ!」
 榎は決心を固め、紬姫の背後に聳える、時渡りの陣を見上げた。
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