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第二部 四季姫進化の巻

第十七章 悪鬼復活 1

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 一
 儀式の日。
 榎たちは、招待状に書かれていた地図を頼りに、四季山の外れにある山道の麓にやってきた。
 この山道の奥一帯が伝師の所有する土地になっていて、中に一族の療養地や、儀式に必要な祭壇もあるらしい。
 入り口で月麿と落ち合い、共に山道を登っていった。私有地なので、関係者以外は誰も足を踏み入れない。
 そのため、あまり使われていないのか、舗装された道は落ち葉が降り積もってほとんど見えなかった。
「こんな山奥に、伝師の別荘があるのか」
「麿も、初めて知ったでおじゃる。一族の中でも一部の重役にのみ、知られておるのじゃな」
「一族っていうけれど、どれくらいの人数がいるのかしらね」
 色々と想像を巡らせるが、輪郭すら見えてこない。
 現在の長にすら、一度も会っていないのだから、伝師一族の全貌なんて分からなくて当然だ。
 別に、知る必要もないのだろう。伝師にとって必要なものは、四季姫の持つ強い神通力だけであり、榎たち個人には、何の興味も関心も、持っていないのだから。
 あとは、力を綴に譲って、最後の使命を果たすだけ。
 榎の頭の中には、他の雑念なんて一つもなかった。
 長い山道を登り続ける。一時間くらい歩いた頃、やがて道が終わり、開けた場所に出た。
 月麿と椿、楸は歩き疲れて息を乱していたが、榎と柊は特に疲れもなく、目の前に建つ巨大な建造物に近寄った。
 全て木材で作られた、まるで巨大な寺院みたいな平屋の屋敷。巨大な漆塗りの屋根が、重みで今にも落ちてきそうに思えた。
「立派な屋敷やな。個人の所有にしては、大きすぎるで」
「静かだ。誰もいないのか?」
 手入れが入念に行き届いているところをみると、きっとたくさん人がいるのだろうと思えた。
 だが、物音ひとつせず、人の気配がまったくしない。
 不意に、榎たちに近付いてくる気配を感じた。
 建物の脇から歩いてきた男は、伝師護だった。
「長の支度が遅れている。先に祭壇に案内しよう。準備を済ませておけば、儀式が迅速に行える」
 護は榎たちに対して歓迎の言葉もなく、淡々と事務的な内容だけを告げて、先導して歩いて行った。柊が相変わらず不愉快そうな顔を見せていたが、視線で宥めて、榎たちは護の後をついて行った。
 巨大な屋敷の側を通り抜ける。屋敷は長い縁側が続いていたが、その奥はびっしりと障子で閉ざされて、中の様子は分からなかった。
 紅葉や桜の並木が続く、玉石が敷き詰められた庭を通り抜けると、その先には頑丈な塀に囲まれた場所に辿り着いた。塀は太い杉の丸太を惜しみなく使って建てられ、その高さは三メートルをゆうに超えていた。
 中の様子を外から見られないようにするためだろうが、恐ろしいほど厳重だ。
 塀の一角に、竹で作られた小さな扉があった。南京錠の鍵を開き、中に通される。
 視界が開けると同時に、榎は呼吸さえ忘れて、目の前の光景に見入った。
 とてつもなく広い平地が広がっていた。学校のグラウンドなんて比べ物にならない。巨大な競技場か、それ以上の規模の土地だった。
 その中心部の地面に、巨大な陣が描かれている。陰陽師が術の施行に用いる五芒星、さらに陰と陽を司る、白と黒の勾玉をくっつけた、巨大な円形模様。その外周を複雑な梵字が書き連ねられている。
「段取りは、先日話した通りだ。あとは任せる」
 圧倒されている榎たちを尻目に、護は月麿に指示を送り、どこかに去ってしまった。
「承知いたしました」
 月麿は恭しく頭を下げ、続けて呆けている榎たちに声を掛けた。
「皆、四季姫の姿に変身せよ。最後の晴れ姿じゃ」
 月麿の言葉で我に返るとともに、激しい緊張が襲った。
 今回で、最後。
 榎は、百合の形の髪飾りを掌に載せ、見つめた。
 儀式が終われば、もう二度と、四季姫にはなれない。悪しき妖怪や悪鬼とも、戦えなくなる。
 それ以前に、昔みたいに、妖怪の姿すら見えなくなるのかもしれない。妖怪なんてなかったものになり、この目に見えるものに囲まれて、穏やかに平和に暮らしていく。
 辛かった出来事も、すべて忘れて―?。
 脳裏に、綴の姿が浮かんだ。まだ榎の中には、気付いていないだけで、未練が残っているのかもしれない。
 でも、もういいんだ。
 綴の未来が安泰ならば、他には何も望まないと決めた。
 最後に、少しでも力になれることを喜ぼう。
 榎は周囲を見た。
 三人も、思い思いの表情で、髪飾りを見つめていた。
 みんなそれぞれに、四季姫として戦ってきた想いがあり、思い出がある。
 今までの出来事が、みんなにとって幸福だったのか、不幸だったのか、榎には分からない。
 榎の意志に賛成してくれたが、本心ではどう思っているかも、分からない。
 まだ、四季姫の力を失いたくないと思っている?
 伝師になんて、渡したくないと思っている?
 伝師側からの提案だったとはいえ、最終的には榎が我儘で押し通した意見だ。責任の重みは感じていた。
 後から誰に恨み言を吐かれても、自業自得だ。
 三人は、不安を募らせている榎に気付き、一斉に視線を向けてきた。圧倒されるほどの、強い眼光。
 穏やかで頼もしい笑みを、浮かべてくれた。
 言葉がなくても分かる。みんな、榎の想いを尊重してくれている。
 榎と道を共にする覚悟が伝わってきた。
 みんなもしっかりと決意を固めてくれたのだから、榎が不安定な気持ちでいるわけにはいかない。
 強い意志を持ち、最後までみんなを引っ張っていかなければならない。
 榎は髪飾りを頭上に翳した。三人も、榎に倣う。

「いと高き 夏の日差しの 力以て 天へ伸びゆく 清き百合花」

「病む現 淡き光に 散る桜 彼方の心 癒さんことを」

「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」

「紅葉降る 暮れの夕焼け 燃ゆる空 富める山々 儚く満る」

 広大な祭壇に、四人の声が響き渡る。
 とてもちっぽけな声に感じた。何もかもが、陣の中に飲まれていきそうな感覚。
 かつて行った、白神石の封印解除の儀式とは比べ物にならないプレッシャーだ。
『四季姫、見参!』
 変身した四季姫の前に立ち、月麿は満足そうに何度も頷いていた。
「四季姫の戦装束は本来、宮中に使える女官たちが身に纏う女房装束――正装である。お勤めの際には必ず身に付けなければならぬ着衣であった。陰陽寮に属し、帝の下で日々退魔の力を駆使する四季姫たちも例外ではなく、妖怪を退治する際には身に纏い、日々戦いに赴いておった」
 戦いのための、大事な衣装。
 この祭壇と、伝師一族の新たなる繁栄を祈る儀式には欠かせない姿だ。
 四季姫は今、転生してきた最も重要な役割を果たすために、この場にいる。
 そう意識するだけで、身も心も引き締まった。
「四季姫は、四つの季節と、都を守護する四体の聖獣を司り、力を与えられる陰陽師である。本来ならば、祭壇のそれらの季節と相重なった位置に立ち、祈りを捧げなければならないところだが、今は少し、その立ち位置に狂いが生じておる。そこで麿は、現在の四季姫の力を円滑に地脈と同化させるために、陣を組み直した」
 月麿がくどくどと説明しながら、陣の中をトコトコと歩き回る。手に持っていた杖で地面を叩くと、最初から描かれていた陣の上に、光の曲線が浮かび上がってきた。
「何だか、グニャグニャしているな」
「線も複雑で、見ていると眩暈がしそう」
 月麿が上書きした陣は、とても難解な絵柄をしていた。幾何学的な図形とも違い、まとまりがなく、なんだか落ち着かない。
 滅茶苦茶な落書きにさえ思えてくる。でも、この陣が、今の四季姫の本来の力を象徴するものだ。
 何となく、相応しい気もした。榎の心の中も、きっとこの陣みたいな感じだ。
「この陣ならば、そなたたちが守護を受けた四神と、各々が司る季節の調和を、うまく果たせるでおじゃる」
 月麿は合図を送り、榎たちを陣の中に手招きした。
 陣の外周の四箇所に、それぞれ春、夏、秋、冬と蚯蚓がのたくった達筆で描かれている。
「この、季節の字が書いてある場所に、それぞれ立てばええんやな?」
 柊が、北側にある冬の字の上に立った。同時に、文字が青白い光を放ち、足元から冷気の霧が立ち込め始める。
「足元から、強い力を感じるどす」
 続いて、楸も秋の文字の上に立った。橙色の光に包まれると同時に風が巻き起こり、周囲にないはずの赤く染まった紅葉の葉が降り頻った。
 続いて椿、榎も定位置の文字の上に立つ。春の陣からは綺麗な桜が舞い散り、夏の陣からは冷たい時雨が降り注ぎ、笹の葉が回転しながら落ちてきた。
 やがて力が安定したのか、足元に散らばった葉や花は、幻影みたいに姿を消した。
 同時に、足の裏が熱く感じ、異様な力が血管を伝って体内に染み込み、登ってくる感じがした。
「急に地脈の力を取り込めば、体に大きな負担がかかる。四人とも、呼吸を合わせよ。ゆっくりと、静かに、地脈の流れを掴んでゆくのじゃ」
 榎は深呼吸した。やがて、力の流れは穏やかに体に溶け込み、違和感がなくなってきた。
「そう、よい感じだ。流れも力の加減も、申し分ない」
 月麿の言葉通り、力が体の中を滞りなく巡っていると感じ取れた。指先や頭のてっぺん、細部に渡って生命力に漲っている。
「肩の力を抜いても良いぞ。下準備は整った。これで、いつでも地脈の扉を開けようぞ」
 榎はゆっくりと、遠くを見つめた。
 どこを見渡しても、杉の木の杭に囲まれて、外の景色は何も見えない。頭上も、更に背の高い笹の葉や杉の葉が、祭壇に向かって頭をもたげ、空を覆い隠して薄暗かった。
 何だか、榎自身、どこにいるのか分からない錯覚に陥った。この場所が本当に慣れ親しんだ日本なのか、今まで暮らしてきた平成の時代なのか。もしくは本当に、現実なのか。
 時間も空間をも凌駕する、不思議な場所に立っているのだと自覚すればするほど、夢や幻の世界に立っているのではないかと思えてきた。
 それほどに、人の匂いや気配を感じない。
 呆然と、夢幻の世界をたゆとうていた榎だったが、扉が開く音で、一気に現実に引き戻された。
「ちょうど良いところに。新たなる長の到着じゃ」
 榎の心臓が一気に高鳴る。
 扉の向こうから、車椅子を繰りながらやってくる人影。
 黒い着物に身を包んだ、伝師 綴の姿が榎の視界に入った。
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