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第二部 四季姫進化の巻
十六章Interval~最後の手段~
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「……寒い。体が、凍りそうだ」
寝袋にすっぽり体を埋め、神無月 萩は震えていた。
恐ろしいほど、手足が冷たい。感覚は、既にないだろう。
顔は青白く、血の巡りが、かなり悪くなっている。
悪鬼の体を流れる邪気に満ちた血は、妖怪を食らう行為によって生成され、悪鬼の糧となる。
萩は妖怪を食わない。だから、血かなり、薄く少なくなっているはずだ。
この状況が続けば、やがて体もろくに動かせなくなる。
傘崎 響は、途方に暮れていた。
どうすればいいか分からず、震える萩の側に座り込むしかできなかった。
「大丈夫、側にいるから、お休みなさい」
優しく声を掛け、頭を撫でる。萩は虚ろな目を、響に向けてきた。
冷たい手をいくら掴んで擦っても、体温は戻らない。
「私では、君に温もりを与えてさえ、あげられないのだね」
情けなく思う。ただ、側にいるだけで何もできない。
役立たずな響の手を、萩は必死で握り返してくる。必死で、力を込め続けていた。
やがて、その気力も尽きたらしく、萩は手の力を抜いて深い眠りに就いた。
今はまだ、命を繋ぐ鼓動が、弱々しくも動き続けている。
だが、この心臓が止まる瞬間も、すぐに訪れるだろう。
「可哀想な娘だ。中身に詰め込まれたものが悪かったせいで、酷く器が不安定になってしまった」
今更、過去の誤りを責めたところで何の意味もないが、せめて人間だと思い込みさえしなければ、萩が苦しむ必要などなかったのに。
なぜ、この娘がこの世に生み出された時、側にいられなかったのか。
不可能だったと分かっていても、悔やまずにはいられなかった。
「本当に、萩を悪鬼に戻してやる方法は、ないのだろうか」
萩を悪鬼にするためには、一度萩の記憶を消去して、最初の状態に戻さなければならないと、人格を刷り込んだ張本人―?伝師 綴は言った。
だが、萩は人格を持たない虚無の状況を心底、恐れ、拒んでいる。
強引に、萩を苦しめる荒療治はしたくない。
何か方法はないのか。何か、他に――。
綴は食えない男だ。別の方法を知っているのに、隠している可能性もある。
それでも、強引に口を割らせようとしても、響の手腕では無理だ。
北風が旅人の上着を脱がせられなかったみたいに、響の強引な方法では、綴は絶対に、真相を離さない。
可能性があるとすれば、太陽。
そう、太陽の如き熱い心を持つ少女なら、あるいは。
「夏姫さんは、真実に辿り着いたんでしょうかねぇ」
榎が綴に真相を聞きに行くと言った時、少し期待を抱いた。
榎なら、綴の心の隙間に、状況を一転させる楔でも打ち込めるのではないだろうか。
「せっかく、命を懸けて魔物の住処へ飛び込むのですから、それなりの成果を上げてもらいたいものですが」
あまり、高望みはしないほうがいいだろう。榎は榎自身の目で全てを見定めて、真実を知りたいと言っていた。
だがその動機はあまりにも盲目的で、綴を疑いたくない気持ちを肯定したい意図が強い。
綴が少しでも嘘を吐いて言い包めれば、榎は深く追及もせずに信じ込んでしまう確率が高い。そうなれば、榎の疑いは再び、響に向く。
やはり、もう、諦めるしかないのだろうか。
響は、真っ青になった萩の顔に、優しく手を触れた。
「君がこの先、どんな道を歩もうとも、最期まで、一緒にいるからね。一人にはしないよ、絶対に」
せめて、終わりを見届けたい。
周囲を覆っていた静寂が、突如吹き荒れた風によって掻き消された。
その風が連れてきた、濃い邪気を感じ取った響は、萩の手を放してテントの外に出た。
テントの周りは、人の形をした黒い影―?深淵の悪鬼に囲まれていた。
「久しいな、裏切り者よ」
悪鬼の一体が、響に声を掛けた。
「ああ、お久しぶり。もう呪いが解けたのか」
以前、四季姫たちを助けるために悪鬼たちを動けなくしてから、初めての再会だ。
もっと怒っているのかと思っていたが、意外にも悪鬼たちの雰囲気は穏やかだった。
だが、こうやって総出で響の元にやってきた点からして、良い感情を抱いていないとは容易に理解できた。
「ぞろぞろ集まって、まずは私に仕返しか?」
響は殺気を飛ばした。気紛れに、同族の者たちに反旗を翻してしまった負い目は僅かにあるものの、響自身の行動を悔いてはいない。今、この場所で断罪される気も、毛頭ない。
響が本気を出せば、目の前の悪鬼共など敵ではない。今度こそ、完全に消滅させてやるくらいは可能だ。
悪鬼たちも、たとえ総勢で飛びかかったとしても響には敵わないと、理解しているはずだが。悪鬼たちが想像以上の馬鹿か、怒りで我を忘れていれば、話は別だ。油断はならない。
「その中で眠っている悪鬼の小娘、助けたくはないか?」
響の考えとは裏腹に、悪鬼たちは妙に冷静に、駆け引きを持ちかけてきた。
思っていた以上に、連中は響の周囲の出来事を、調べ尽くしている。
その上で唯一、響の弱点となり得そうな萩の存在まで見つけ出し、ピンポイントで狙ってきた。
「その小娘の助け方、教えてやっても良いぞ」
悪鬼たちの突然の提案。
響は警戒した。だが、心は悪鬼の誘惑に負けかかっていた。
返事をしてはいけない。分かっていながらも、口が動く。
「貴様らが、何を知っているというのだ」
「この山の遥か奥に、地脈が集まりし聖地がある。今は伝師に占領されていて、結界が張られているが、もうじき長の代替わりの儀式が始まる。隙を狙えば中に忍び込めよう」
地脈の妙な流れ方には、響も以前から気付いていた。だが、地脈の力は強大過ぎて、下手に触れると響の身も危ない。だから、地上に悪影響を及ぼさない限りは放置していた。
「地脈の力は、あらゆる生命力を増幅させる。その小娘の尽きかけた命も、うまくやれば、持ち直すやもしれぬ」
「儀式には、四季姫たちも参列する。その時ならば、奴らも無防備だ。一気に復讐を終わらせる。鬼蛇よ、その小娘を救う手助けをする代わりに、四季姫狩りに力を貸せ」
なるほど、同士である鬼蛇の悪行は水に流す代わりに、本来の鬼閻の仇を共に討てというわけか。
今度こそ、悪鬼たちも本気なのだろう。
最後の決着をつけるために、集めるだけの戦力を集めておきたいわけだ。
さらに、萩の存在を目の前にちらつかせておけば、響は決して裏切らないと、そこまで計算したのだろう。
弱みを握られて、利用されている感は否めないが、悪い話ではない。
健全な悪鬼にとって、地脈の力は強大すぎて身に余るが、完全に弱りきった萩に与えれば、悪鬼の力を取り戻すきっかけになるかもしれない。
新しい活路を、見出した。
「……いいだろう。交渉成立だ」
「約束、二度と違うでないぞ。次に裏切れば、命が戻る前に、その娘の首を消し飛ばしてくれる」
決行の日に再び訪れる、と言い残して、悪鬼たちは去っていった。
「さて、少し足がかりができて良かったけれど……。小父さんとの約束、どうしよう」
いざ、あまり深慮せずに話を進めてしまったものの、少し冷静になると、別の問題が浮上してくる。
怒りの形相で響を締め上げる、榎の父―?水無月 樫男の姿を想像するだけで、口の端が引き攣った。
榎が四季姫として、妖怪や悪鬼たちとの戦いに身を投じていると分かっているから、愛娘が危険な目に遭う可能性だって、分かった上で覚悟はしているだろう。
だが、その危険を引き起こす元凶に響が加担していると知ったら、今度こそ擦り潰されてもおかしくない。
響とて、己の身は可愛い。危険な橋は渡りたくないが、今回は状況が状況だ。
それに、悪鬼たちにも四季姫狩りを手伝うとは言ったものの、確実に倒すと約束したわけでもない。
適当に参加して、隙があれば四季姫たちを逃がすチャンスもあるだろう。その時に一番ベストな策を講じればいいだけだ。
「まあ、死んだら運が悪かったってことで。四季姫さんたちには勘弁してもらおう」
もう、後には引けないのだから。
響の考えは、緩く纏まった。
寝袋にすっぽり体を埋め、神無月 萩は震えていた。
恐ろしいほど、手足が冷たい。感覚は、既にないだろう。
顔は青白く、血の巡りが、かなり悪くなっている。
悪鬼の体を流れる邪気に満ちた血は、妖怪を食らう行為によって生成され、悪鬼の糧となる。
萩は妖怪を食わない。だから、血かなり、薄く少なくなっているはずだ。
この状況が続けば、やがて体もろくに動かせなくなる。
傘崎 響は、途方に暮れていた。
どうすればいいか分からず、震える萩の側に座り込むしかできなかった。
「大丈夫、側にいるから、お休みなさい」
優しく声を掛け、頭を撫でる。萩は虚ろな目を、響に向けてきた。
冷たい手をいくら掴んで擦っても、体温は戻らない。
「私では、君に温もりを与えてさえ、あげられないのだね」
情けなく思う。ただ、側にいるだけで何もできない。
役立たずな響の手を、萩は必死で握り返してくる。必死で、力を込め続けていた。
やがて、その気力も尽きたらしく、萩は手の力を抜いて深い眠りに就いた。
今はまだ、命を繋ぐ鼓動が、弱々しくも動き続けている。
だが、この心臓が止まる瞬間も、すぐに訪れるだろう。
「可哀想な娘だ。中身に詰め込まれたものが悪かったせいで、酷く器が不安定になってしまった」
今更、過去の誤りを責めたところで何の意味もないが、せめて人間だと思い込みさえしなければ、萩が苦しむ必要などなかったのに。
なぜ、この娘がこの世に生み出された時、側にいられなかったのか。
不可能だったと分かっていても、悔やまずにはいられなかった。
「本当に、萩を悪鬼に戻してやる方法は、ないのだろうか」
萩を悪鬼にするためには、一度萩の記憶を消去して、最初の状態に戻さなければならないと、人格を刷り込んだ張本人―?伝師 綴は言った。
だが、萩は人格を持たない虚無の状況を心底、恐れ、拒んでいる。
強引に、萩を苦しめる荒療治はしたくない。
何か方法はないのか。何か、他に――。
綴は食えない男だ。別の方法を知っているのに、隠している可能性もある。
それでも、強引に口を割らせようとしても、響の手腕では無理だ。
北風が旅人の上着を脱がせられなかったみたいに、響の強引な方法では、綴は絶対に、真相を離さない。
可能性があるとすれば、太陽。
そう、太陽の如き熱い心を持つ少女なら、あるいは。
「夏姫さんは、真実に辿り着いたんでしょうかねぇ」
榎が綴に真相を聞きに行くと言った時、少し期待を抱いた。
榎なら、綴の心の隙間に、状況を一転させる楔でも打ち込めるのではないだろうか。
「せっかく、命を懸けて魔物の住処へ飛び込むのですから、それなりの成果を上げてもらいたいものですが」
あまり、高望みはしないほうがいいだろう。榎は榎自身の目で全てを見定めて、真実を知りたいと言っていた。
だがその動機はあまりにも盲目的で、綴を疑いたくない気持ちを肯定したい意図が強い。
綴が少しでも嘘を吐いて言い包めれば、榎は深く追及もせずに信じ込んでしまう確率が高い。そうなれば、榎の疑いは再び、響に向く。
やはり、もう、諦めるしかないのだろうか。
響は、真っ青になった萩の顔に、優しく手を触れた。
「君がこの先、どんな道を歩もうとも、最期まで、一緒にいるからね。一人にはしないよ、絶対に」
せめて、終わりを見届けたい。
周囲を覆っていた静寂が、突如吹き荒れた風によって掻き消された。
その風が連れてきた、濃い邪気を感じ取った響は、萩の手を放してテントの外に出た。
テントの周りは、人の形をした黒い影―?深淵の悪鬼に囲まれていた。
「久しいな、裏切り者よ」
悪鬼の一体が、響に声を掛けた。
「ああ、お久しぶり。もう呪いが解けたのか」
以前、四季姫たちを助けるために悪鬼たちを動けなくしてから、初めての再会だ。
もっと怒っているのかと思っていたが、意外にも悪鬼たちの雰囲気は穏やかだった。
だが、こうやって総出で響の元にやってきた点からして、良い感情を抱いていないとは容易に理解できた。
「ぞろぞろ集まって、まずは私に仕返しか?」
響は殺気を飛ばした。気紛れに、同族の者たちに反旗を翻してしまった負い目は僅かにあるものの、響自身の行動を悔いてはいない。今、この場所で断罪される気も、毛頭ない。
響が本気を出せば、目の前の悪鬼共など敵ではない。今度こそ、完全に消滅させてやるくらいは可能だ。
悪鬼たちも、たとえ総勢で飛びかかったとしても響には敵わないと、理解しているはずだが。悪鬼たちが想像以上の馬鹿か、怒りで我を忘れていれば、話は別だ。油断はならない。
「その中で眠っている悪鬼の小娘、助けたくはないか?」
響の考えとは裏腹に、悪鬼たちは妙に冷静に、駆け引きを持ちかけてきた。
思っていた以上に、連中は響の周囲の出来事を、調べ尽くしている。
その上で唯一、響の弱点となり得そうな萩の存在まで見つけ出し、ピンポイントで狙ってきた。
「その小娘の助け方、教えてやっても良いぞ」
悪鬼たちの突然の提案。
響は警戒した。だが、心は悪鬼の誘惑に負けかかっていた。
返事をしてはいけない。分かっていながらも、口が動く。
「貴様らが、何を知っているというのだ」
「この山の遥か奥に、地脈が集まりし聖地がある。今は伝師に占領されていて、結界が張られているが、もうじき長の代替わりの儀式が始まる。隙を狙えば中に忍び込めよう」
地脈の妙な流れ方には、響も以前から気付いていた。だが、地脈の力は強大過ぎて、下手に触れると響の身も危ない。だから、地上に悪影響を及ぼさない限りは放置していた。
「地脈の力は、あらゆる生命力を増幅させる。その小娘の尽きかけた命も、うまくやれば、持ち直すやもしれぬ」
「儀式には、四季姫たちも参列する。その時ならば、奴らも無防備だ。一気に復讐を終わらせる。鬼蛇よ、その小娘を救う手助けをする代わりに、四季姫狩りに力を貸せ」
なるほど、同士である鬼蛇の悪行は水に流す代わりに、本来の鬼閻の仇を共に討てというわけか。
今度こそ、悪鬼たちも本気なのだろう。
最後の決着をつけるために、集めるだけの戦力を集めておきたいわけだ。
さらに、萩の存在を目の前にちらつかせておけば、響は決して裏切らないと、そこまで計算したのだろう。
弱みを握られて、利用されている感は否めないが、悪い話ではない。
健全な悪鬼にとって、地脈の力は強大すぎて身に余るが、完全に弱りきった萩に与えれば、悪鬼の力を取り戻すきっかけになるかもしれない。
新しい活路を、見出した。
「……いいだろう。交渉成立だ」
「約束、二度と違うでないぞ。次に裏切れば、命が戻る前に、その娘の首を消し飛ばしてくれる」
決行の日に再び訪れる、と言い残して、悪鬼たちは去っていった。
「さて、少し足がかりができて良かったけれど……。小父さんとの約束、どうしよう」
いざ、あまり深慮せずに話を進めてしまったものの、少し冷静になると、別の問題が浮上してくる。
怒りの形相で響を締め上げる、榎の父―?水無月 樫男の姿を想像するだけで、口の端が引き攣った。
榎が四季姫として、妖怪や悪鬼たちとの戦いに身を投じていると分かっているから、愛娘が危険な目に遭う可能性だって、分かった上で覚悟はしているだろう。
だが、その危険を引き起こす元凶に響が加担していると知ったら、今度こそ擦り潰されてもおかしくない。
響とて、己の身は可愛い。危険な橋は渡りたくないが、今回は状況が状況だ。
それに、悪鬼たちにも四季姫狩りを手伝うとは言ったものの、確実に倒すと約束したわけでもない。
適当に参加して、隙があれば四季姫たちを逃がすチャンスもあるだろう。その時に一番ベストな策を講じればいいだけだ。
「まあ、死んだら運が悪かったってことで。四季姫さんたちには勘弁してもらおう」
もう、後には引けないのだから。
響の考えは、緩く纏まった。
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