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第二部 四季姫進化の巻

第十六章 伝記顛覆 10

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 十
「四季姫の力を、吸い取る……?」
 伝師 護の突飛な提案に、榎たちは呆気に取られた。
「陰陽師の力を吸い取ると、椿たちはどうなっちゃうの? まさか、死んじゃうとか?」
 想像がつかず、不安に駆られるが、護はすぐに、榎たちの動揺を払拭した。
「もちろん、君たちに負担を掛けるつもりは、いっさいない。力を吸い取ったからといって、生命の危険はないし、何のデメリットもない。むしろ、覚醒する前の、平穏な生活を取り戻せる。妖怪や悪鬼との戦いとは無縁の、普通の生活だ」
「普通の生活に、戻れる……」
 妖怪たちとの干渉がない、ごく当たり前の生活。
 疲れ切った榎の心には、とても魅力的に響いた。
「君たちの命を狙っているとされる悪鬼の存在も、確認できている。連中は、君たちから譲り受けた四季姫の力を駆使して、我々が必ず殲滅すると約束しよう。君たちの身の安全も保障でき、伝師一族の繁栄も保障される。互いに悪くない話だと思うが」
「でも、あたしたちの力を使えば、、綴さんの役目がなくなってしまいます。あたしは、綴さんの居場所を奪いたくない」
 榎は、護の提案に興味を示しつつも、誘惑に乗りそうになる感情に、ブレーキをかけた。
 ただ、力を渡したとしても、結局は綴に迷惑をかける結果になるのではないかと、不安が残った。
「ですが、綴はん一人では、地脈を抑えきれる確証もなく、お体にも負担がかかるのでしょう?」
 楸の意見も、間違いではない。綴の身の安全を考えるなら、四季姫の力を地脈を得るために活用するべきだ。
 綴の心と体。どちらを優先させればいいのか。榎には、判断が付きかねた。
「君たちは、思い違いをしている。千年前に遺された伝承通り、四季姫がこの時代に蘇るのならば、その力を伝師一族のために最大限活用したいとは、以前から考えていたし、綴にも説明して聞かせた。だが、その考えを綴が誤解して受け止めたらしい。後継者の地位を四季姫に奪われるのだと勘違いして、四季姫を逆恨みしたのだ。我々が、大事な後継者である綴を、お払い箱にするはずがない」
 護の説得力ある言葉に、榎の心にも、段々と火が灯り始めた。
「じゃあ、綴さんが用済みになる、なんて話は」
「何の根拠もない、綴の妄想だ。あの子は幼い頃から想像力が豊かで、理想と現実の区別がつかない時が稀にあった。今回は、その癖が悪い方向に向かってしまったらしい」
 護は少し呆れた調子で、息子の欠点を語って聞かせた。
「我々は、綴の補助として、四季姫の持つ力を望んでいる。ぜひ、君たちの持つ力で、綴の長としての使命を助けてやって欲しい」
 つまり、四季姫の力は、綴が無事に長の役目を全うするための、支え。
 その力の使い方なら、綴の心も体も、無事に救える。
 榎の中で、期待が一気に膨らんだ。
「けど、何で今更なんや? 四季姫の力を使いたかったんやったら、もっと早く、うちらに声を掛けて、確保しといたら良かったんと違うんか? 悪鬼に食わせようとしたり、あんたの息子がうちらをだまくらかして遊んどったんかて、止めるタイミングはいくらでもあったと思うけどな」
 柊が、不愉快そうな表情を浮かべて、護を睨み付けた。
「悪鬼と呼ばれる存在や、先祖の因縁については何も知らず、君たちを危険な目に遭わせてしまい、申し訳ないと思っている。こちらとしては、四季姫の伝承が真実であるかどうかの信憑性が乏しいので、詳しく調査をしたかった。君たちの力が地脈を支えるために足るものかどうか、見定める時間も欲しかった。また、本当に綴一人では長としての役目を果たせないのかどうかも、明確な答が出ていなかったために、結論が遅れてしまった」
 護は、柊の不満のこもった疑問に、一つ一つ丁寧に応えた。
「つまり、うちらの力が伝師の繁栄のために利用できん程度のもんやったら、関わる気もなかったっちゅうわけやな」
 柊の嫌味にも動じず、護は素直に肯定した。
「その通りだ。だが、今の君たちは飛躍的な進化を遂げ、今の伝師を遥かに凌駕する力を手に入れた。現代の世の中には必要とされない、君たちの手には余る力だ。扱いを間違えれば危険を伴う力でもある。君たちの今後のためにも、どうか、手放す決断をして欲しい」
 護の言葉に、榎はどんどん惹かれていっていた。
 四季姫の力が、綴にとって邪魔な存在ではなく、助けになれる力なのなら、喜んで差し出したい。
 だが、榎は良くても、他の三人はどうだろう。
「四季姫の力は、すべて揃っていなければならないのですか?」
 少し躊躇いつつ、榎は訊ねた。
「四季姫の力は、四人で完璧な均衡を保っておる。一つでも欠ければ、真の力は発揮できぬし、暴走の引き金にもなりかねん」
 護に代わって、月麿が返答した。
 やっぱり、全員揃っている必要があるのか。
 榎は考え込み、俯いた。
「榎、どないしたんや……」
 柊の声を遮り、榎は顔を上げて三人を見た。
「みんな、あたしからもお願いする。四季姫の力を、綴さんのために、渡してください……」
 深く、頭を下げた。
 三人の無言の視線が、脳天に突き刺さった。
「理由はどうあれ、四季姫の存在が、綴さんを苦しめた。少なくとも、綴さんは辛い思いをした。誤解が解けるかは分からないけれど、少しでも綴さんの力になれるなら、何でもやりたい。あたしの償いに皆を巻き込むなんて、お門違いかもしれないけれど」
 夏姫一人の力で解決できない問題。今回はどうしても、みんなの同意が必要だ。
 反対されるかもしれない。でも、一人でも欠ければ、綴に償いができない。
 榎は必死で、頭を下げ続けた。
 直後、柊が大きく息を吐いた。
「そんなに畏まらんでも、ええやろ。うちらは今までずっと、リーダーの意志に従ってついてきたんやから」
「別に、えのちゃんが悪いと思う必要なんて、ないのよ。椿たち、四人そろって四季姫なんだから」
「終わりはみんな一緒で、ええと思いますよ」
 榎は顔を上げた。みんな、榎に向かって笑いかけてくれている。
 四人の気持ちに、相違はなかった。力を引き渡す覚悟を、固めてくれた。
 榎は必死で涙をこらえ、何度も何度も頷いた。
「話は決まったな」
 成り行きを見守っていた護も、満足そうだ。
「皆さん、お父さまも、ありがとうございます。全て、わたくしが話を纏めなければならなかったのに」
 奏も話の流れを把握しながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お前が一人で気負う必要はない。この件は、伝師一族全ての問題なのだから」
 護は奏に視線を向け、初めて見る優しい目を見せた。
「理解してくれてありがとう。本当に、感謝している」
「一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
 再度、榎たちに頭を下げてきた護に、楸が意見を述べた。
「地脈の力は、伝師一族を繁栄させるために欠かせん、特別な力なんやと思います。ですが、あなたの奥さんや息子さんを命の危険に晒してまで、手に入れ続けなあかんものですか? 今や伝師は、世界が認める大企業どす。あとは人知を超えた力に頼らずとも、皆さんのお力で発展させていけるのではないですか? 無理に陰陽師の一族の名前や名誉にこだわらんでも、充分に幸せは得られると思うんですが」
 楸の的確な指摘に、護は一瞬、目を細めた。
「私も、同意見です。だが、妻と息子が望んだ道だ。私には、阻む権利がない」
 伝師一族として、護は特殊な力を持たない存在だ。全ての決定権は、長である綴や奏の母親と、次期当主となる綴が握っている。だからその二人が地脈の制御を諦めない限り、護がいくら止めても、何も変わらないわけだ。
 力ない返答を聞き、楸もそれ以上何も言えなくなったらしく、黙り込んだ。
「後日、儀式の日程連絡と招待状を送ります。指示に従って、伝師の隠れ家までご足労下さい」
「皆さん。兄のために、ありがとうございます。どうか、最後までよろしくお願い致します」
 話を終えると、伝師親子は再度お礼を述べて、先に店を去っていった。
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