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第二部 四季姫進化の巻

第十六章 伝記顛覆 4

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 四
 四季ヶ丘病院の、綴の病室。
「失礼します……」
 足を踏み入れた途端、榎は驚いて体を固まらせた。
 病室は、綺麗に片付けられていた。カーテンは取り外され、ベッドの布団もシーツも取り払われて、マットだけになっていた。
 窓から光が差し込み、やけに白さが際立つ空間。ベッドの側には、普段着に着替えた綴が、車椅子に乗って座っていた。
「ようこそ、水無月榎さん」
 綴は笑顔で、榎を迎えた。だが、その口調といい表情といい、どこかよそよそしく、壁や距離を感じる雰囲気だった。
「綴さん、その格好は? どうして部屋が、片付いているんですか?」
「昨日、言っただろう? とても驚くからって」
 不思議に尋ねる榎に、綴は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる。
「今日で、病院を退院するんだ。十八歳の誕生日に合わせて、別荘地での療養に切り替わる。以前から、決まっていたんだよ。最後に、君に色々と伝えておかなくちゃと思って、来てもらったんだ。とてもお世話になったからね」
 だから昨日、急に連絡をしてきたのか。今日という日に、やたらと拘っていた理由が、ようやく分かった。
 綴は病院を出ていく。つまり、榎がこの病室を訪れる理由もなくなるわけで、今まで通り、毎週、綴に会う機会は失われる。
 理解するとともに、寂しさが襲ってきた。急に言われても、驚きと困惑で心の整理ができなかった。
 どうして、もっと早く教えてくれなかったのだろう。
 少し不満もあったが、綴を責めても何の意味もない。初めから退院が決まっていて、その話が榎に伝えられなかったのなら、榎の存在は綴や伝師一族にとって、そこまで特別な存在ではなかったというだけの話だ。高望みは、してはいけない。
 むしろ、最後の日であっても、榎に知らせてお別れを言う時間を作ってくれたのだから、感謝しなくては。
「あたしこそ、綴さんにはお世話になりっぱなしで。短い間でしたけれど、とても楽しかったです。ありがとうございました」
 榎は心からの感謝を、綴に伝えた。
 本当は、もっとたくさん、お礼を言いたかった。でも胸がいっぱいで、うまく言葉に出せなかった。
 だが、綴は榎の精一杯の気持ちを、軽い息で吐き捨てた。
「そうかい。僕は全然、楽しくなかったよ。君のお陰で、随分と予定を狂わされた。前に話したかな? 僕は、物語がスムーズに進まないと、嫌なんだ。非常に不愉快になる」
 綴の表情から、笑顔が消える。目を細めて睨みつけてくる綴から、榎は目も話せずに固まった。
「君たち四季姫が現れたせいで、僕の人生は幾度となく目茶苦茶になりかけた。君たちの使命を妨害するために、どれだけ骨を折ったか」
 黙々と語る綴の口調は、怒りや苛立ちに満ちていた。忌ま忌ましい敵でも見る目つきで、榎に冷たい視線を飛ばしてくる。
 段々、頭が働きはじめると同時に、榎は綴に恐怖を覚えはじめた。
「どういう、意味ですか……? 四季姫が、どうして綴さんに迷惑を……?」
 なんとか、震える声で疑問を呟く。教えてもらわなければ、何も理由が分からない。分からないのに、罪悪感だけが襲ってきた。
「現世に蘇った四季姫を、伝師の長は千年前の長――紬姫の意志通り、鬼閻に食わせて亡き者にしようとしていた。結果的には失敗して、復讐の話はさも当たり前に消滅したが、なぜ長は、千年も前の恨みや辛みを現代まで引き継ぎ、実行に移そうとしてきたか分かるかい?」
「それだけ、紬姫の影響力が大きかったからじゃ……」
「違う。紬姫個人の感情なんて、どうでも良かった。現在の伝師一族にとって重要な点は、現世に覚醒した四季姫の力が、〝一族の繁栄のために利用できるかどうか〟だったんだ」
 綴は軽く息を吐き、遠くを見つめた。
 まだ、話の筋がよく分からない。榎は黙って、綴の話に耳を傾けた。
「代々、伝師の長は、悪鬼の血によって得た陰陽師の力を使って、裏から一族の繁栄を支えてきたんだ。その力が強大であればあるほど、伝師は潤った。歴史の表に姿を現し、より大きな恩恵に預かれた。でも、世代が変わるに従って悪鬼の血がもたらす力は弱まり、千年経った現在では、すっかり衰えてしまった」
 話が進むとともに、綴の眼光は鋭くなった。強く歯を食いしばり、呼吸も徐々に荒々しくなった。
「このままでは、伝師の力はいずれ枯渇して消滅する。そこで、現代に復活するとされる四季姫を、新たな長の地位に据えて、伝師を再興させようと考えたんだ。弱い力しか持たない、次期当主である僕を差し置いてね!」
 綴は、車椅子の手摺りを拳で叩いた。弱々しい打撃だったが、その剣幕のすさまじさに、榎は体を震わせた。
「僕は、伝師の陰陽師の力を受け継いでいる。力を受け継いだ影響で、自由に動かせない弱い体になってしまった。それでも、ゆくゆくは長となり、一族の頂点に君臨する絶対的な支配者の道が約束されていた。長になるために生まれてきたという自負と名誉があったから、こんな不自由な体でも、耐えて生きてこられた。――なのに、お前たちが、僕の居場所を奪おうとしたんだ!」
 綴の口調は、ますます激しくなる。耳をつんざく怒声は、榎の鼓膜だけでなく、頭の中まで突き破りそうな勢いだった。
 眩暈がした。足の力が抜けて、膝が崩れそうになる。
「伝師一族は別に、四季姫の存在を必要としていたわけではない。四季姫の魂に宿るとされる、強力な陰陽師の力さえあれば良かった。だから覚醒したときに、その力を奪えばいい。そのために、かつての紬姫の遺言を利用して、鬼閻に四季姫を魂ごと食わせ、力を得た鬼閻を捕獲して利用するという方法がうってつけだった。もし、四季姫が鬼閻を打ち取るほどの力を持っていたとしたら、尚更、好都合だ。たかが小娘が四人。うまく丸め込んで、伝師の頂点に据えれば問題ない。君たちが強くなればなるほど、伝師一族の思惑は現実になっていった」
 鬼閻との一連の戦いは、単に千年前の紬姫の恨みだけが引き起こしたものではなかったのか。現代の伝師一族もまた、すべてを知った上で、別の理由で四季姫を利用しようとしていた。
 伝師の人たちが、月麿を保護し、四季姫の戦いに色々と手を貸してくれる理由の中には、そういった下心のある考えが潜んでいたというわけか。
「そうなると、僕はどうなる? 当然、お払い箱になるだろう。僕は万が一、四季姫が覚醒しなかった時や、力が弱すぎて使い物にならなかった時に一族の頂点に据えるための、予備の存在でしかなかったんだよ。体もろくに動かせない、普通の人間以下である僕には、伝師の柱として居場所を確保するしか、生きる道がないんだ。その唯一の居場所を奪おうとする四季姫の存在がどれだけ疎(うと)ましかったか。――僕は、全ての元凶である四季姫について、君を通して色々と調べた。やがて、四人揃わなければ強大な力は得られないと気付き、妨害しようと思い至った」
 綴の妨害。その話を聞いた瞬間、榎の脳裡に、あの悪鬼の少女が浮かび上がった。
「じゃあ、綴さんは、四季姫の覚醒を妨害するために、偽物の秋姫を――萩を送り込んだのですか?」
 榎の問いが確信を突いたらしい。綴は否定せず、つまらなさそうに鼻で笑った。
「全て聞いたんだろう? 夢で見たよ、君が鬼蛇―?傘崎響の元に向かう姿を。どうせ君は、奴の話を鵜呑みにはせず、僕に直接問い質しに来るだろうと分かっていたから、今日、何もかも話して終わりにしようと決めたんだ。全てを知られるのなら、いつまでも善人の演技をしていても、意味がないからね」
 投げやりな口調で吐き捨てた後、綴ははっきりと、榎が聞きたかった疑問の答を述べた。
「神無月萩は、僕の創作フィクションだ。僕が秋姫としてあの女の人格を設定し、「四季姫をぶち壊せ」と命令した」
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