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第二部 四季姫進化の巻
第十六章 伝記顛覆 3
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三
榎が如月家の部屋に戻って来ると同時に、携帯の着信音が鳴り響いた。
通知を見ると、奏からだった。
電源ボタンを押して通話を始めると、耳元に想定もしていなかった声が響いた。
『――榎ちゃん?』
「綴……さん?」
無意識に、肩が釣り上がった。全身に緊張が走り、声が少し上擦った。
『いきなり、ごめんね。すぐに君と連絡がとりたくて、奏の携帯を借りたんだ』
榎の動揺が、電話越しに伝わったらしい。綴は少し申し訳なさそうに謝ってきた。
榎は気を取り直し、冷静を装った。
「どうしたんですか? 急ぎの、用事ですか?」
尋ねると、嬉しそうな声が返ってきた。
『完成したんだ。君を主人公に書いた、四季姫の物語が』
榎はしばらく、返事ができなかった。予想もしていなかった報告に、頭の整理が落ち着かなかった。
綴と萩の繋がりばかりが過ぎっていた頭の中に、飛び込んできた綴の報告は、重くなっていた榎の気分を一気に明るくした。
「本当ですか! 何て言えばいいのかな……おめでとう、ございます?」
榎が主役の物語なんて、完成しても別にたいした物ではない気がした。でも、綴が心血を注いで書いてくれた作品だ。その努力と根気は素晴らしいと思うし、称賛に値する。
複雑な気持ちだったが、お祝いを述べた。
綴も嬉しそうだった。
『ありがとう。完成したら、榎ちゃんに一番に見せるって、約束したよね。渡したいから、明日、病院に来てもらえるかな』
「明日、ですか」
『もちろん、学校が終わってからで構わないよ。それとも、用事があるのかな? 明日、どうしても渡しておきたいんだけれど』
「いえ、大丈夫です! 明日、必ず行きます!」
『良かった。絶対に、来てね。きっと、とても驚くと思うから』
通話は淡々と進み、綴は要点だけを簡潔に告げて、通話を切った。
榎はしばらく、呆然と立ち尽くして考えをまとめていた。
電話口では、綴に響から聞いた話の真相について、何も言えなかった。
でも、明日会えるなら都合がいい。話もさり気なく切りだせるし。
でも、まずは、四季姫の物語を書き上げてくれた綴を労わなければ。
気持ちが少し、軽くなった。
* * *
翌日の放課後。
学活を終えた榎は、手早く帰り支度を整えて、病院に直行しようと席を立った。
「えのちゃん。また、病院に行くの?」
その矢先、椿に呼び止められた。榎の落ち着かない様子を見て、どこに行こうとしているのか悟ったのだろう。
椿は、とても青褪めて、下手をすれば泣きそうな顔だった。ただ事ではないと感じ取り、榎は椿としっかり、向き合った。
少し躊躇いながら、椿は小さな口を開いて震える声を搾り出した。
「ずっと言おうかどうか、迷っていたんだけれど。えのちゃんは、綴さんには、近付かないほうがいいと思うの」
はっきりと言われても、あまり驚かなかった。何だか、言われそうな気がしていた。
「どうして?」
それでも、理由までは、はっきり分からない。落ち着いた声音で、榎は尋ねた。
「前の剣道の試合の時に、初めて綴さんの姿を見た時、何だか嫌な気配がしたの。――前にも感じた、近寄りたくない、関わりたくない気配だったわ」
「……それって、萩と一緒にいた時と、同じ?」
促すと、椿は少し驚いていたが、頷いた。
「綴さんが、どんな人なのか、椿には分からないわ。えのちゃんが、とっても大切にしている人だって、理解もしているの。でも、あの人の側にいたら、きっと、えのちゃんはまた、苦しい思いをする気がする。だから、行かないで欲しい」
椿は勘が鋭い。萩を見たときにも、悪鬼が持つ強い邪気を敏感に感じ取って警戒心を顕わにしていた。
今回も、初めて綴を見て、萩と同じ臭いを感じ取ったのだろう。
「えのちゃんは、自分自身が傷ついても、ボロボロになっても、諦めようとしないから。ずっとずっと、背負っていこうとするから。椿は、えのちゃんが一人で苦しい思いをするなんて、もう嫌だよ」
消え入りそうな震える声で、椿は必死で、榎を止めようとしてくれた。
椿の言う通りかもしれない。結果まで深く考えてはいなかったが、直接綴から、萩についての真相を問いただせば、聞きたくもない話を綴の口から聞かされる羽目になるかもしれない。
話を聞いた結果、今までと同じ関係ではいられなくなるかもしれない。
強く意識していなかったが、そんな不安も榎の中では確実に息づいていた。
「ありがとう。椿の勘はよく当たるし、心配してくれる気持ちも、すごく嬉しい」
榎は、本気で榎を思ってくれる椿に、心から感謝した。
だがもう、榎の心は決まっているし、変えるつもりもない。
「あたしは馬鹿だから、前に突っ込んでいくしか、できないんだ。悲しい目に遭って傷つくよりも、何もできないまま、分からないまま全てが終わってしまうほうが、あたしには辛いんだ」
榎の返事を予想していたのか、止められないと分かっていたのか、椿はそれ以上、食い下がろうとはしなかった。
納得した様子でもなかったが、黙って頷いて、榎の意見を尊重してくれた。
榎はもう一度、お礼を述べて、一人で学校を後にした。
榎が如月家の部屋に戻って来ると同時に、携帯の着信音が鳴り響いた。
通知を見ると、奏からだった。
電源ボタンを押して通話を始めると、耳元に想定もしていなかった声が響いた。
『――榎ちゃん?』
「綴……さん?」
無意識に、肩が釣り上がった。全身に緊張が走り、声が少し上擦った。
『いきなり、ごめんね。すぐに君と連絡がとりたくて、奏の携帯を借りたんだ』
榎の動揺が、電話越しに伝わったらしい。綴は少し申し訳なさそうに謝ってきた。
榎は気を取り直し、冷静を装った。
「どうしたんですか? 急ぎの、用事ですか?」
尋ねると、嬉しそうな声が返ってきた。
『完成したんだ。君を主人公に書いた、四季姫の物語が』
榎はしばらく、返事ができなかった。予想もしていなかった報告に、頭の整理が落ち着かなかった。
綴と萩の繋がりばかりが過ぎっていた頭の中に、飛び込んできた綴の報告は、重くなっていた榎の気分を一気に明るくした。
「本当ですか! 何て言えばいいのかな……おめでとう、ございます?」
榎が主役の物語なんて、完成しても別にたいした物ではない気がした。でも、綴が心血を注いで書いてくれた作品だ。その努力と根気は素晴らしいと思うし、称賛に値する。
複雑な気持ちだったが、お祝いを述べた。
綴も嬉しそうだった。
『ありがとう。完成したら、榎ちゃんに一番に見せるって、約束したよね。渡したいから、明日、病院に来てもらえるかな』
「明日、ですか」
『もちろん、学校が終わってからで構わないよ。それとも、用事があるのかな? 明日、どうしても渡しておきたいんだけれど』
「いえ、大丈夫です! 明日、必ず行きます!」
『良かった。絶対に、来てね。きっと、とても驚くと思うから』
通話は淡々と進み、綴は要点だけを簡潔に告げて、通話を切った。
榎はしばらく、呆然と立ち尽くして考えをまとめていた。
電話口では、綴に響から聞いた話の真相について、何も言えなかった。
でも、明日会えるなら都合がいい。話もさり気なく切りだせるし。
でも、まずは、四季姫の物語を書き上げてくれた綴を労わなければ。
気持ちが少し、軽くなった。
* * *
翌日の放課後。
学活を終えた榎は、手早く帰り支度を整えて、病院に直行しようと席を立った。
「えのちゃん。また、病院に行くの?」
その矢先、椿に呼び止められた。榎の落ち着かない様子を見て、どこに行こうとしているのか悟ったのだろう。
椿は、とても青褪めて、下手をすれば泣きそうな顔だった。ただ事ではないと感じ取り、榎は椿としっかり、向き合った。
少し躊躇いながら、椿は小さな口を開いて震える声を搾り出した。
「ずっと言おうかどうか、迷っていたんだけれど。えのちゃんは、綴さんには、近付かないほうがいいと思うの」
はっきりと言われても、あまり驚かなかった。何だか、言われそうな気がしていた。
「どうして?」
それでも、理由までは、はっきり分からない。落ち着いた声音で、榎は尋ねた。
「前の剣道の試合の時に、初めて綴さんの姿を見た時、何だか嫌な気配がしたの。――前にも感じた、近寄りたくない、関わりたくない気配だったわ」
「……それって、萩と一緒にいた時と、同じ?」
促すと、椿は少し驚いていたが、頷いた。
「綴さんが、どんな人なのか、椿には分からないわ。えのちゃんが、とっても大切にしている人だって、理解もしているの。でも、あの人の側にいたら、きっと、えのちゃんはまた、苦しい思いをする気がする。だから、行かないで欲しい」
椿は勘が鋭い。萩を見たときにも、悪鬼が持つ強い邪気を敏感に感じ取って警戒心を顕わにしていた。
今回も、初めて綴を見て、萩と同じ臭いを感じ取ったのだろう。
「えのちゃんは、自分自身が傷ついても、ボロボロになっても、諦めようとしないから。ずっとずっと、背負っていこうとするから。椿は、えのちゃんが一人で苦しい思いをするなんて、もう嫌だよ」
消え入りそうな震える声で、椿は必死で、榎を止めようとしてくれた。
椿の言う通りかもしれない。結果まで深く考えてはいなかったが、直接綴から、萩についての真相を問いただせば、聞きたくもない話を綴の口から聞かされる羽目になるかもしれない。
話を聞いた結果、今までと同じ関係ではいられなくなるかもしれない。
強く意識していなかったが、そんな不安も榎の中では確実に息づいていた。
「ありがとう。椿の勘はよく当たるし、心配してくれる気持ちも、すごく嬉しい」
榎は、本気で榎を思ってくれる椿に、心から感謝した。
だがもう、榎の心は決まっているし、変えるつもりもない。
「あたしは馬鹿だから、前に突っ込んでいくしか、できないんだ。悲しい目に遭って傷つくよりも、何もできないまま、分からないまま全てが終わってしまうほうが、あたしには辛いんだ」
榎の返事を予想していたのか、止められないと分かっていたのか、椿はそれ以上、食い下がろうとはしなかった。
納得した様子でもなかったが、黙って頷いて、榎の意見を尊重してくれた。
榎はもう一度、お礼を述べて、一人で学校を後にした。
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