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第二部 四季姫進化の巻

第十四章 春姫進化 13

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 十三
 悪鬼の元へ急ぐ椿たちだったが、山の中を複雑に走る、迷路みたいに入り組んだ道に苦しめられていた。
 進んでも進んでも、壁さながらに聳え立つ巨木や蔦に阻まれ、方向転換を余儀なくされる。右へ左へ、後ろへ前へと道の続くままに進んでいると、方向感覚がなくなって、どこに進んでいるのか分からなくなる。
「腹の立つ山やな! いつになったら抜けられるねん!」
 柊の苛立った声は間違いなく、彷徨っている椿たち全員の気持ちを代弁していた。
 どこに向かっているのか分からなくても、先に進めている感覚が続くなら、まだ頑張れる。
 だが、先行きに不安を覚えはじめた頃に限って目の前の道は閉ざされ、行き止まりに進路を阻まれた。
「駄目だ、正しい道が全然、分からないよ。完璧に迷子だ」
 榎が、途方にくれた声をあげる。もう、何度目の袋小路だろう。
 道の分からない迷路を攻略するには、片方の壁にずっと手を触れたままで進めばいい。壁を伝っていけば、同じ道を無駄に往復せず、確実に出口に辿り着ける。
 楸はその方法を実践して、ずっと左手で木々の壁を伝いながら進んでいた。だが、確実であっても最短距離を進めない方法だから、先を急ぐ椿たちにとっては、非常にもどかしかった。
「こんな調子では、なんぼ時間があっても足りまへんな……。八咫はん! 上空から見て、如何どすか!? 出口までの道、分かりますか?」
 夕暮れが迫った空を見上げると、八咫烏の八咫が飛んでいる。椿たちを見下ろす形で、鳶(とび)みたいに気流に乗って、ぐるぐる回りながら滑空していた。
 椿たちに正しい道を教えるために空に向かった八咫だったが、道案内をするでもなく、困り果てた様子だ。
「この迷い路、皆が進む度に、どんどん姿を変えておる。四季姫たちが正しい道を進もうとすると、草木が動いてい道を塞いでしまうのだ。意志を持っているのであろうか」
 八咫の報告に、全員が脱力する。
 正攻法の通用しない、魔の迷路。
 悪鬼の住む山なのだから、思い通りに行かなくても頷ける。だが、歪んだ自然の造形物に翻弄されて、ほとほと疲れ切った。
「そんなん、いくら進んでも出口に辿り着けんやないか」
「手詰まりどすか。こないな場所で、足止めを食らっておる場合ではありまへんのに」
 焦りがさらに、もどかしさを助長させる。
 今頃、悪鬼の元に赴いた朝が、一人で戦っている。宵も、後を追い掛けて向かったはずだ。
 朝なら心配ない、と思いたかったが、八咫が感じとった朝の気配は、あまり思わしくなかった。
「朝月夜さまと宵月夜さまの気配が、弱まっておる! 急がねば……」
 さらに、八咫が追い撃ちをかけてくる。騒ぎ方が、尋常ではない。
 朝が、危険に晒されている―?。
 椿は袋小路の一番奥に歩み寄り、元の形状に戻った笛を構えた。
「みんな、少し後ろに下がって。椿が何とかしてみるわ」
 皆に距離をとらせ、椿は集中力を高めた。全身から神通力を絞りだし、笛に送った。
 前と同じ方法を用いれば、植物たちは音に呼応して、道を開くかもしれない。
 しばらく演奏していると、思ったとおり、蔦や針葉樹の葉が風もないのにざわつきはじめた。
「木の葉や蔦が、笛の音にあわせて動いておるどす」
「すごいな、春姫の術は、妖怪以外にも作用するのか」
 楸と榎が感嘆の声をあげる。
 だが、みんなが関心するほど、うまくいっていない。先刻に力を酷使したせいだろう、椿の体力は、早くも尽きかけていた。長時間の迷路の移動も堪えたらしく、手が震えて、うまく笛の穴を指で塞げない。行きも切れ切れで、美しい音色には程遠い。
 できれば、朝を助けるときまで力を温存しておきたかったが、そんな余裕は最早、ない。
 椿は体内に残った力を振り絞って、必死で音色を植物に聞かせ続けた。
 やがて、目の前の木々の壁が、動きはじめた。椿の側から離れて、遠くに距離をとるように左右に反り返りはじめた。
「おおっ、道が開いたで!」
 柊の高揚した声が響く。目の前に、今まで見えなかった、全く新しい道ができあがった。
「八咫はん。この道の先は、悪鬼のところに通じておりますか?」
 楸が再度、八咫に確認する。八咫は少し唸って、複雑な返事を落としてきた。
「いや、別の噴き溜まりに通じておる。微かに、妖怪の気配はするが……」
 椿たちにも、道の先から漂ってくる妖気が感じ取れた。
「お父ちゃんの気配だ、間違いねえ!」
 大人しく後をついてきていた梓が、震える声を張り上げた。次に、ふと気づいた様子で、脇に避けた複雑に絡む蔦の蔓を握り締めた。
「この植物、山に自生しているものじゃないよ。……お父ちゃんが操っている植物だ! 悪鬼に命じられて、この迷路を作らされていたんだ 」
 梓の使う技は、父親から伝授されたものだという。自由自在に動く植物なんて、そうそうあるとも思えない。
 間違いないと、梓は確信した。
「お父ちゃん、植物を通じて、椿ちゃんの力を感じ取ったんだ。だから、助けを求めるために道を開けたんだよ!」
「じゃあ、この道の先に、隠し村の村長がいるんだな?」
「その村長はんが植物を操っておるなら、助ければ、この迷路から抜け出せます!」
 みんなは頷きあい、道の先に向かって勢いよく走り出した。椿もよろめきながら、頑張って後を追い掛けた。
 通路の先は、この山の中でよく見かける吹き溜まりの一角だった。
 落ち葉が敷き詰められた広場の中心で、見窄みすぼらしい襤褸ぼろを纏った中年男が、胡座を組んで必死に念じていた。男の手足、首には、茨を編んで作った枷が嵌められて、頭上に伸びている大木の枝に結び付けられていた。刺が男の肌に食い込み、血が滲んでいる。
「お父ちゃんだ!やっと会えた!」
 梓が、泣きながら男に飛びつく。男は瞑想から我に返り、表情を歪めて身体を震わせた。
「梓! お前が、オラを助けに来てくれたのか……?」
 懐かしげな瞳を潤ませて、男は梓の肩を掴んだ。この男が梓の父親―?隠れ村の村長で、間違いなさそうだ。
「四季姫さんたちに、助けてくれって、お願いしたんだ。もう大丈夫だよ」
 梓の説明を受け、村長は呆然と、四季姫の姿を順番に視界に捉えていった。
「お前、一人で人間のところに行ったのか。悪鬼に脅されて……。怖かっただろう、村を一度も出た経験のないお前を、辛い目に遭わせただ」
「ううん、村の外は、怖い場所じゃなかったよ。親切な人が、たくさんいた」
「再開を喜んでいるところを悪いんだけれど、話は後だ。先に、村長を解放する」
 榎が割り込み、剣を構えた。村長の動きを封じている枷を外そうと刃で切り付けるが、茨の蔓は傷一つ付かなかった。
「硬いな! 何だ、この蔓は……」
「悪鬼の力が込められているんだ。ちっとやそっとじゃあ、壊せねえ」
 枷一つ外すにも、悪鬼を上回る力が必要らしい。榎は苛立って、舌打ちしていた。
「ほな、うちにもやらせてぇな」
 隣から、飄々と柊が割り込む。軽く薙刀を翳して振り下ろすと、茨の枷はあっさりと真っ二つに切れた。
 榎は、あんぐりと口を開けていた。柊はお構いなく、サクサクと残りの枷も切り落としていった。
「なんや、楽勝やないか」
 つまらなさそうに肩を竦める柊に、榎の怒声が飛んだ。
「何でだよ! どうしてあたしにできなくて、柊にできるんだ!?」
「実力の差やな」
 怒りに震える榎を、柊は鼻で笑ってあしらった。
「柊はんが悪鬼と戦えるくらい、力を付けておる証拠どすな」
「楸も、同じくらい強うなっとるんと違うか?」
 禁術を会得した二人と、会得していない椿と榎には、確実に大きな力の差が存在していた。今までにも兆候はあったが、厳しい現実を突き付けられた瞬間だった。
「まあ、柊はんがおれば、悪鬼とも対等に戦えるかもしれまへん。睨み合うとらんと、早う行きまひょ」
 柊に恨めしい視線を飛ばし続ける榎を宥めて、楸は話を進めた。
 榎も気を取り直して、真剣な表情で村長に向き直った。
「村長。帰る前に、お願いがある。あたしたちを、鬼のところに案内してほしい」
 村長は榎をまじまじと見つめ、少し哀れみを込めた瞳を潤ませた。
「あんたたちが、四季姫なのか。まだ、子供でねえか。悪鬼なんかに狙われて、可哀相に」
 声を震わせて、目尻を擦っている。己の娘と、差ほど変わらない歳の四季姫たちが背負った運命を、歎いているのだろう。梓が言っていたとおり、本当に戦いに向かない、心の優しい妖怪みたいだ。
「同情されとる暇はないんや。急いでんか」
「時間がないの。一刻も早く、行かなくちゃならいの」
 だが、いつまでの村長のペースに付き合っている暇はない。柊と椿は村長を急かした。
 村長は頷き、強い決意を瞳に宿した。
「お前さんたちは、オラたちの命の恩人だ。できる限りの協力はさせてもらうだ」
 村長が手を頭上に翳すと、今まで木々に絡まって道を阻み、迷惑な迷路を作り上げていた蔦が、一気に解けはじめた。蔓がするすると短くなり、村長の掌に収まっていった。
「植物が、小さくなっていく……」
 呆然と見つめているうちに、蔓は完全に村長の手に吸い込まれた。その掌には、小さな小豆が一粒。
「やっぱり、お豆さんなのね」
 梓の力といい、妖怪は特殊で不思議な力を持っている。感心している四季姫たちに向かって、村長は並びの悪い黄ばんだ歯を見せて、ニカリと笑った。格好つけているつもりだろうが、あまり様になっていない。
「オラは妖怪〝小豆洗い〟。家は代々続く小豆農家だ。オラたちが手塩にかけて育てた小豆には、強い力が宿る。オラたちの一族だけが自在に使える、自然の力だ」
 村長――小豆洗いは気合いを込めて、小豆を握り締めた。
「悪鬼の指示があるまで、力を使って侵入者を阻んでおけと命じられていたが、もう従う義理もないだ。この力、村を守るために、戦いに使わせてもらうだよ」
「ありがとう! 頼もしいよ」
 迷路さえなくなれば、恐れるものはない。
 眼前に、二本の杉の巨木に挟まれた、幅の広い通路が姿を表した。道の奥から、おどろおどろしい空気が、風に乗って流れてくる。
「悪鬼の気配が、急に感じられるようになりましたな」
 楸が警戒して、息を呑む。
 この道の先に、間違いなく悪鬼がいる。強い障気が、流れ出てきていた。
「朝と宵の気配も、微かにしとる。やばいで、はよ行かな!」
 今にも消えかかりそうな、朝と宵の命の灯。
 椿も感じ取り、足を竦ませた。
 道の先に、どんな光景が待っているか。想像するだけでも、恐ろしかった。
 だが、立ち止まっている時間はない。
 椿たちは悪鬼の元に向けて、一気に走り出した。
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