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第二部 四季姫進化の巻

第十四章 春姫進化 12

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 十二
 薄暗い山中に集結した三人の四季姫を、梓が胡散臭そうに睨みつけた。
「あんたたち、今更、何しに来たんだ? 悪鬼と戦う気も、妖怪を助けるつもりも、ないんだろう?」
「戦う気がなかったら、わざわざ山奥まで来るかいな」
 梓を睨み返し、柊が吐き捨てる。
 三人の側には、焦った様子の八咫の姿もあった。朝を助けるために、四季姫に協力を求めたのだろう。
 みんなも、八咫からの報告を聞き、悪鬼と戦う目処が立ったのか。何か、勝機でも見出したのかもしれない。
 睨み合いを続ける梓と柊の間に、榎が割って入った。
「椿はどうしたんだ? 一緒じゃないのか」
 辺りを見渡して、訊ねる。一人で山に乗り込んでいった椿が、梓と一緒にいると思っていたのだろう。
「えのちゃん、椿はここにいるわ! 気付いて!」
 椿は必死で声を張り上げ、何とか気付いてもらおうと頑張った。神通力も送ってみたが、この豆の葉はあらゆる力の透過を許さないらしく、無意味に終わった。
「椿ちゃんは、先に行っちまっただ。あたいが案内する。ついてきて」
 梓は、四季姫たちに嘘を吐いた。この場から離れさせて、椿と完全に分断させるつもりだ。
 榎たちは椿が先に突っ走って行ったと思い込んでいる。きっと、梓の話を信じて、ついて行ってしまうだろう。
 椿は絶望して、地面に膝を付いた。
 妖怪たちであっても、四季姫たちであっても。
 結局、椿を分かってくれる人なんて、この世には誰一人、いない。
 残酷な現実を突き付けられた。
 もう、椿はこの檻の中から逃れられない。全てに何らかの決着がつくまで、外に出られない。
 何もできないまま、役立たずのまま、終わってしまう。
 虚無感しか残らなかった。今まで、必要としてくれる誰かのためにと、一生懸命頑張ってきた努力は、何だったのだろう。
 何のために、仲間と、親友たちと仲違いしてまで走ってきたのだろう。大切な人を傷つけて、失ってまで、前を見続けてきたのだろう。
 結局、進み続けたその先に、椿が心から望むものはなかった。
「……違いますな。椿はんは、この先の道には入っておられまへん」
 落胆して項垂れていると、外から楸の鋭い声が飛んだ。
 椿は、呆然と顔を上げる。
「……どうして分かるんだ?」
 梓が、警戒した口調で訊ねる。声が少し、上擦っていた。
「足跡がないどす。あの山道を四季姫の履いとるくつで走れば、間違いなく落ち葉が踏み荒らされます。私たちは、椿はんの足跡を目印に、ここまで追いかけてきたんどすから」
「椿は走りも遅いから、そないにすぐに足跡が消えるわけもないしな」
 柊も、同意して頷いた。
「足跡は、この場所で、途切れておるどす。椿さんは、近くにおられるんとちゃいますか?」
 楸が突き詰めると、梓は口を噤んで俯いた。
「その娘、隠し村の村長・小豆洗いの娘である。なかなか巧妙な術を使う、侮れぬ小娘だが。春姫も、この娘の術に囚われておるかもしれぬな」
 八咫が、梓についての情報を伝えた。
 榎が梓の目の前に歩み寄った。梓は怯えて後ずさろうとするが、榎は逃がさない。
 今までに目にした記憶がないほど、真剣な表情で梓を見据えていた。
「椿を、どこにやった?」
 低い声だ。梓は体を震わせた。椿も聞いていて、全身に鳥肌が立った。
「隠すと、ためにならんで。うちらが怒る前に、吐いたほうが賢明やで」
 柊が更に追い打ちをかける。少し、殺気でもぶつけたのだろう。梓は観念して、諦めの表情を浮かべた。
「……椿ちゃんは、悪鬼に見つからないように、あたいが匿っている。悪鬼を倒しに行くなら、あんたたちだけで行ってくれ。椿ちゃんを巻き込まないで!」
 それでも、梓は椿を解放しようとはせず、榎たちに必死で訴えた。
 梓の言い分に、柊は眉を顰める。
「巻き込むなて、自分が最初に首突っ込ませたんやろう。何を今更……」
「わかってるだ、あたいが悪かったんだ。あんなに素直で優しい椿ちゃんを、危険な目に遭わせようとしたんだ、謝って済むとは思ってねえ。けど、絶対に悪鬼のところになんか、行ってほしくないんだ! あたいが守るから、椿ちゃんだけは連れていかないでくれ。死なせたくない!」
 声を張り上げ、梓は必死で乞うた。最後には土下座までして、体を震わせながら、頑張っていた。
「違う、違うのよ、梓ちゃん」
 椿は立ち上がって豆の蔓にしがみつき、何度も首を横に振った。
 梓の気持ちは嬉しい。でも、椿は危険から逃げたいわけではない。助けるはずだった相手に、逆に助けられていては、何の意味もない。
 椿の想いを伝えられない現状が、酷くもどかしかった。
 榎たちは、梓の意図を汲んで、そのまま先に進んでしまうだろうか。弱くて役立たずな椿なら、安全な場所で保護されているほうがいいと、判断するのだろうか。
「お願い、ここから出して……!」
 今更、言えた義理でもないが、榎たちに縋るしか、椿にはできなかった。
「悪いけど、そのお願いは聞けない」
 榎はまっすぐに梓を見下ろして、静かに言い放った。
 梓は顔を上げた。表情が泣きそうに、歪んでいる。
「どうしてだ、椿ちゃんは、四季姫の中で一番、弱いんだろう? 悪鬼との戦いになれば、一番に狙われるよ。あんたたちは、椿ちゃんを囮にするつもりなのか!?」
 怒りを露にして、榎を責めたてる。榎はゆっくりと、首を横に振った。
「そんな真似、するわけがない。確かに悪鬼との戦いは危険だけど、椿が誰よりも、悪鬼を倒しに行きたがっているんだから、置いてはいけないよ」
 椿の心臓が、大きく高鳴った。呼吸も忘れて、立ち尽くす。
「どうして分かるんだ、椿ちゃんが何を考えているかなんて!」
「長い付き合いどすから。椿はんが何を思うて行動しとるかなんて、だいたい分かるどす。後先考えへん無茶な言動が多いので、即座に受け入れるんは無理な場合もありますけど。椿はんは、他ならぬあなたのために、悪鬼を倒そうと駆け回っておられました。だから私たちも、椿はんに協力するためにやってきたんどす」
 楸の言葉が、心に突き刺さる。蔓を握る手が震えた。
「あんたたちは、妖怪に力を貸して、助けるのが嫌だから、椿ちゃんの話を拒んだんじゃないのか?」
「違うよ。椿と一緒に戦うためにも、時間が必要だったんだ」
「一緒になって突っ走るだけが、仲間やないやろ。ちゃんと下準備して、動きやすい体勢を整えたらな」
「妖怪はんたちに情報を集めてもろうて、椿はんの考えをベースに動ける段取りを整えたんどす。椿はんがおらんと、先に進めまへん」
 椿の瞳から、涙が溢れだした。
 椿は無力だ。どんなに粋がっていても、一人では何もできない。
 でも、支えてくれる大切な人たちは、すぐ側にいた。
 我儘で身勝手な椿を見限りもせずに、全てを理解して、手を差し伸べてくれる。
 どうして、もっと早く気付けなかったのだろう。
 本当に、一番大切なものを、失うところだった。
「教えてくれ。椿は、どこにいるんだ?」
 榎は再三、梓に詰め寄る。だが、梓は思った以上に頑固で、意地でも口を開こうとしない。
「外からじゃ、椿の居所が分からない……。椿から動かなくちゃ」
 外に出るために、なんとか別の方法を探さなくてはならない。椿は必死で考えた。
 直後、手に持っていた笛が目についた。決して人を傷つける凶器にはなり得ないが、蔓や葉を突き破るくらいなら、できるかもしれない。
 椿は笛を握りめ、豆の葉に何度も突き刺した。少しでも穴が開けば、力が薄れて外に声が届くかもしれない。
 だが、葉っぱには妙に弾力があり、突いても突いても傷一つつかない。
 それでも諦めず、椿は笛を突き刺し続けた。
 しばらく同じ動作を繰り返していると、急に笛が淡い光を放ち始めた。
 光が治まると、椿の手には不思議なものが握られていた。
「笛が、変形した……?」
 質感や色は笛の名残を残しているが、竹筒は半分に割れて、中から鋭い刃物が飛び出していた。刃物は半円状の形をして、笛を中心に円を描いて広がっていた。
 手裏剣、みたいなものだろうか。鋭利なフリスビー、みたいな感じでもある。
 円形をした飛び道具を、円月輪えんげつりんと呼んだはずだ。その形状に、一番近かった。
 椿の現状を変えたい気持ちが、武器を臨む形に変化させたのか。
 直感的に、刃物なら蔓を斬れると思った。椿は少し後ろに下がり、円月輪を勢いよく投げた。
 回転しながら飛んだ円月輪は、見事に豆の蔓と葉を切り裂いた。涼しい風が中に入り込み、外との空間がしっかりと繋がった。
 切れ目のできた葉の部分を思いっきり押し倒し、椿は外に這い出た。勢い余って、地面に倒れ込んだ。
「うわっ、びっくりした! ……椿!?」
 突然現れた椿を見て、榎たちは驚いた声を上げる。
「何や、この蔓は。豆かいな?」
「外からは透明になって、見えへん仕掛けなんどすな。中に閉じ込められた人の気配も音も、遮断されてしまうんどす。高度な術どすな」
「何かを閉じ込める、というより、中に入ったものを守るための術である。中からは、外の様子が分かるようになっておる」
 楸と八咫が、突然現れた豆の蔓や葉を見て、物珍しそうに分析していた。
 椿の側に集まってきた四季姫たちを見上げた。とても、懐かしい顔ぶれに思えた。
 起き上がった椿の瞳から、また涙が零れた。
「椿! どうしたんだ、どこか怪我したのか!?」
 そんな椿を見て、榎がものすごく心配そうな顔で飛びついてきた。顔や体をあちこち触って、状態を確認してくる。
 いつもの、仲間思いで心配性の榎だった。椿への態度に、何の変化もない。
 椿の強張っていた体が、少し解れた。
 大丈夫、と態度で示すと、まだ心配そうにしながらも、少し気持ちを落ち着けていた。
「遅くなってごめん。もっと早く、追いかけたかったんだけれど……」
「椿が一人で飛び出して行ってから、榎が取り乱しまくって、大変やってんで」
 呆れた口調で、柊が説明する。椿はまだまだ涙を溢れさせながら、榎に飛びついた。榎も涙を滲ませ、椿の頭を撫でてくれた。
「話、聞こえとりましたやろ。私たち、椿はんに加勢して、悪鬼たちのところに乗り込むどす」
「泣いとる時間は、勿体ないで。はよ行こうや」
 楸と柊も、椿に微笑みかけてくる。椿の凍り付いていた心が、溶けていく感じがした。
「みんな、椿の考えなんて間違っているって、信用できないって。とっくに、見捨てられていると思っていたのに……」
 嗚咽と戦いながら、椿は必死で、心の中に溜まった気持ちを吐き出した。
「あたしたちも、最初は危険だと思った。でも、椿がまっすぐに立ち向かって行ったから、前向きに考ようって思えた。椿が、あたしたちの気持ちを動かしたんだ。椿の考え方や判断は、間違っていないよ。ちょっと、熱中すると周りが見えなくなるだけでさ」
「椿はんの良いところでもあり、悪いところでもありますな」
「うちらも、行かへんなんて一言もいうてないんやから、もう少し落ち着いて待ってくれても良かってんけどな」
 みんなの、温かい言葉。
 誰も椿を責めない。
 椿の考えを、おかしいと除外しない。
 ちゃんと、考えて考えて、椿のために動いてくれた。
「一人で行かせるなんて、無神経な真似は、したくない。戦うときは、一緒だよ。あたしたちは、四人で四季姫なんだからね」
 四人で、四季姫。
 誰にも、代わりはできない。椿は、みんなと対等に歩いていける、たった一人の春姫だ。
「ごめんなさい……。ありがとう」
 強く優しい仲間に囲まれて、椿はやっと、素直になれた。
「悪鬼退治に行くんやから、餌で釣ってお供を引っ張っていってくれる桃太郎がおらんと、話にならんしな」
「そうそう。やっぱり、いざって時に先陣切って動いてくれる桃太郎は、椿だよな」
 椿を宥めながら、柊や榎は陽気な話を始める。
「全体の戦況を見渡してくれる雉は、楸やな。でもって、忠実で勇敢で可愛いお犬さまが、うちや」
「ちょっと待て。お前のどこが犬なんだよ。全っ然、忠実さなんて持ち合わせていないだろうが」
「消去法やがな。榎がお惚けで食い意地の張ったお猿にピッタシやったから、うちは必然的に犬になっただけや」
「ふざけんな! 誰が食い意地張っているんだよ! あたしのほうが、よっぽど忠犬に相応しいだろうが!」
 場の雰囲気を和ませようと始めたはずの話が、だんだん乱れていく。
 前にも犬と猿がどうこう、と言い合っていたな、と思い出した。相変わらず、罵り合いのレベルは全く進歩していない。
「お二人さんは犬や猿より、熊や猪に喩えたほうがお似合いやと思います」
 呆れながら茶々を入れている楸を見ていると、椿も泣いている場合ではないと思えてきた。
「もう、どっちでもいいでしょう!? こんな山の中にまで来て、喧嘩しないの!」
 涙を拭い、椿は声を上げた。
 まだ震えていたが、いつもの調子に戻れた気がした。
 椿の鶴の一声を受けて、榎も柊も押し黙った。
 やがて、誰からともなく笑いはじめ、最後にはみんなで笑い合っていた。
 こんな雰囲気は、とても久しぶりだ。心が一気に、軽くなった。
「椿ちゃん、あたい……」
 賑やかに騒ぐ四季姫を側で見ていた梓は、身を竦めながら呟いた。
 椿は笑いを抑え、気持ちを切り替えて梓と向き合った。
「梓ちゃんは、椿のためを思って庇ってくれたのよね、ありがとう」
 お礼を伝えた。肩を震わせて泣く梓を、抱きしめた。
「でも、椿は行くわ。約束は、ちゃんと守るから。ちゃんと、見ていてね」
 優しく背中を摩ると、梓はゆっくりと、頷いてくれた。
「よっしゃ、ほんなら、さっさと行こか!」
「時間がない、先を急ごう。必ず、悪鬼を倒すぞ!」
 気合を入れて、椿たちはさらに山の奥に進みだした。
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