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第二部 四季姫進化の巻

十三章 Interval~悪鬼たちの復活~

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 暗い暗い、針葉樹の森の中。
 人間の手が及ばない、深淵の者が住まう場所。
 巨大な黒い塊が、気怠そうに蠢いていた。
 黒い塊は、人のていを成した十の存在が溶け合い、絡まり合って存在していた。
 その捩れが、徐々に解れようとしていた。
 一つ、塊から黒い影が剥がれ落ちた。
 べちょりと、泥状になりながら、地面に落ちる。
 落ちた影が、むくりと起き上がった時には、目と口の部分に吸い込まれそうな穴を開けた、人の姿になっていた。
 古来より生き続けてきた、悪鬼の本来の姿だった。
「おお、ようやく体に自由が戻った。もう、窮屈で堅苦しい思いをせずに済む」
 解放された深淵の悪鬼は、自在に体を動かし、喜んだ。
「なぜ、貴様だけ呪いが解けたのだ。我らの解放は、まだか!」
 大きな塊の中から、おぞましい嫉妬の声が響く。あとの九体は、まだ接合したままだ。
「時間差が、あるのだろう。直に少しずつ、剥がれてくる」
「一ヵ月も待ったのだ。あと数日くらい、我慢できよう」
 互いに不満を吐き合い、宥め合い、興奮を鎮めていた。
「さて、我らが自由の身となった暁には、何から始めよう?」
 塊の一部が、切り出した。
 次々と意見が飛ぶ。
「まずは凝り固まった体を慣らさねば」
「四季姫どもに復讐だ!」
「まずは、憎き鬼蛇を始末しろ!」
 だが、みんなバラバラだった。
「一つ一つ、目的をこなしていては、要領が悪いと思わぬか?」
 解放された悪鬼が、意見に口を挟んだ。
 九体の悪鬼たちの塊が一斉に、ギロリと睨みを利かせる。
「ならば貴様には、もっと効率的な方法が提示できるのか」
 挑発されて、解放された悪鬼は不気味な笑い声をあげた。
「自由になったお陰で、外気を強く感じられるようになった。嬉しい気配を感じ取れた」
「嬉しい気配とは?」
「我らが長―?鬼閻の気配だ」
 辺りの空間が、激しく震えだした。
 悪鬼たちの、歓喜の震えが空間まで捻じ曲げようとしていた。
「鬼閻どのは、四季姫たちに倒されたのではなかったのか?」
「九割方、とでも言っておこうか」
「つまり、完全には倒されておらぬと?」
「恐らく、僅かな命の灯を、この世に残しておられる。再び復活せんと、力を蓄えておられる」
 悪鬼たちの納得の声が、響き渡った。
「鬼閻どのに復活を遂げてもらい、憎き四季姫たちも裏切り者の鬼蛇も、まとめて始末してもらってはどうだろう」
「珍しく、良い案だ」
 反対する悪鬼は、いなかった。
「だが、ほんの一割程度の命では……」
「復活までに、何百年かかるか、見当もつかぬな」
「何か、我らにも手伝いはできぬだろうか」
 悪鬼たちは唸り始める。何か良い案はないかと、必死で考えていた。
「鬼閻どのを復活させる手立て探しも大事だが、まずは鬼閻どのの魂の一部がどこにあるか、はっきりさせねば」
 解放された悪鬼の意見に、塊は同意した。
「もちろんだ。叶うなら、手元に置いておきたい。お護りしやすいからな」
「どこにおられるか、分からぬのか」
「大体の場所の検討なら、ついている。??四季姫どもの側だ」
「何だと!? 四季姫どもが、鬼閻どのを捕えて、幽閉しているとでも?」
 悪鬼たちが怒りを露にした。
「分からぬ。だから、確かめる必要がある」
 悪鬼たちの視線は、下手に移った。
 広場の隅で小さくなっていたみすぼらしい妖怪―?小豆洗いは、目をつけられて怯えた。
「使える妖怪は、あと一匹か……」
 悟りの眷属、梵我は倒された。妖狐の首領、赤尾も、偵察に行ったきり、帰ってこなかった。気配が完全に消えたから、四季姫たちにやられたとみえる。
 残る、悪鬼に忠誠を誓う上等妖怪は小豆洗いだけだが、見るからに役に立ちそうにない。
 所詮は、川で小豆を砥ぐしか能のない、つまらない妖怪だ。平和主義な妖怪どもを束ねて隠し村を作ったりしているから、上等妖怪扱いされているに過ぎない。
「堪忍してくんろ! 梵我だけでなく、赤尾の旦那まで倒しちまう相手に、オラが敵うわけねえだ!」
 小豆洗いも実力のなさは熟知しているらしく、必死で許しを乞うてきた。
「里で娘が待ってんだ、死にたくねえ。見逃してけろ!」
 土下座して、何度も何度も頭を下げる小豆洗いを見つめていた悪鬼たちの顔が、急に綻んだ。
「確かに、こんな無能そうな奴では、四季姫に近付くことすら叶わんだろうな……」
「ならば、四季姫たちを油断させられる妖怪を使えばいいのではないか?」
 悪鬼たちの興味が逸れたと分かり、小豆洗いの顔に安堵が浮かんだ。
「見逃してくれるだか? ありがとうだべ! 安心して村に帰れるだ」
「誰が返すといった、馬鹿者が」
 だが、大人しく小豆洗いを解放するほど、悪鬼たちも寛大ではなかった。
 塊から放たれた、真っ黒な長い腕が、小豆洗いに巻き付いて束縛する。
「お前は、人質ならぬ妖怪質だ」
 突然の仕打ちに、小豆洗いは恐怖に悲鳴を上げた。
「質って、オラなんか捕まえたって、誰の得にもならねえだよ!」
「お前みたいな役立たずでも、必要としている存在くらいはいるはずだ。娘が、いるのだろう? 村の妖怪共も、お前を慕っているはずだ」
 小豆洗いは、絶望を表情に浮かべた。鬼たちは役立たずな小豆洗いの代わりに、村の妖怪や大切な娘を四季姫の元にけしかけようと企んでいた。
「お前の娘が四季姫たちの懐に入り込み、四季姫たちをうまく捕らえてくれば、解放してやる。お前が近付いても怪しまれるだけだが、娘ならきっと隙を突けるはず」
「倒されてしまったら、責任はとれんがな」
 娘を捨て駒みたいに扱われると知った小豆洗いは、涙を溢れさせて喚いた。
「やめてけれ! 娘には何の関係もない話だ! あの子は優しい、いい娘なんだ、悪いことさせないでくんろ! 頼むから……」
 だが、願いが聞き届けられるはずもなく。小豆洗いは真っ黒な腕に全身を巻かれ、姿も見えなくなった。
「こいつの娘や隠し村の妖怪は、我が上手く言い包めて動かそう」
 解放された悪鬼が、小豆洗いの暮らす隠れ里に向かって移動を始めた。
「さて、我らには別の仕事がある」
 悪鬼を見届けた後、まだ自由になれない塊たちは、せわしなく蠢き始めた。
「鬼閻どのは、魂の断片をこの世に残した。代償として、体を四季姫に消滅させられた。だから、新しい器を用意せねば」
「器と魂を融合させるためには、儀式が必要だ。我らの体が分離次第、準備を始めねば」
「だが。鬼閻どのの魂を受け止められるほどの器が、この世にあるのか」
「あるではないか。格好の、強く気高き器が」
 運よく、この時代には、鬼閻の力を凌駕するものが存在している。それも、すぐ近くに。
「手に入れる方法も、考えてある。奴の側にいる、かけがえのない弱き者を手中に収めればよい。弱みを握られれば、逆らえんからな」
 悪鬼たちは笑った。ぶよぶよと体を震わせているうちに、一体、また一体と、悪鬼たちの体は分離して、離れていった。
 深淵の者たちが、完全に復活する日は、近い。
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