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第一部 四季姫覚醒の巻

第十章 封印解除 3

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「いと高き 夏の日差しの 力以て 天へ伸びゆく 清き百合花」

「病む現 淡き光に 散る桜 彼方の心 癒さんことを」

「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」

「紅葉降る 暮れの夕焼け 燃ゆる空 富める山々 儚く満る」

 四人の和歌が、周囲に流れる。
 山を囲む木々に反響し、空間を震わせた。
 桜の花弁(はなびら)。
 真っ白な夏霞。
 燃え盛る紅葉。
 降りしきる雪。
 季節感を無視した、あらゆる物が乱れ散る。
 視界を遮る、激しい嵐が鎮まったとき。
『四季姫、見参!』
 翻(ひるがえ)る十二単の着物が、世界を彩った。
「まさか、こんな光景が見られるとはのう……」
 揃い踏みの四季姫の姿を垣間見て、了海は震える手を合唱させていた。
 四季姫の復活は、燕下家の人々にとって、阻止するべき運命だった。榎たちが伝師の復讐劇に巻き込まないためにと、ずっと影から見守り続けてくれていた。
 了海たちの真の目的と、榎たちの行動は決して噛み合わなかった。不本意だったかもしれない。
 でも、二人は最後まで、四季姫たちの戦いを見届けてくれた。
 燕下家の人々の気持ちを無駄にしないためにも、頑張って良い結果を出さなくてはいけない。
「四季姫よ。所定の位置に立ち、武器を構えよ。封印解除の呪文は、お主らの魂に刻み込まれておる。念じれば、浮かんでこよう」
 変身した榎たちに、月麿から指示が飛ぶ。いわれるままに四人は陣を囲み、各々の武器を両手に持ち、胸の前に翳(かざ)した。足元の陣が、ぼんやりと光を放ちだす。
「宵月夜。白神石を、陣の中心へ!」
 続いて、月麿は宵月夜に向けて指示を送った。
 宵月夜が月麿の手から取り戻し、この三日間、大事に守り通してきた白神石。
 元々、封印解除には懐疑的ではなかっただけに、石を手放す決意が固まっていない様子だ。
「心配そうな顔せんでも、大丈夫どす。あなたのお兄さんは、無事に助かりますさかい」
 楸が小さな声で、囁いた。宵月夜は黒い瞳を滲ませて、唇を噛み締める。
「朝月夜――朝は、姫様たちの力になれるならと、自らの意思で、封印石に身を投じた」
 震える声で、宵月夜は心の内を語りはじめた。
「俺は、朝の意思を尊重してきた。だから、あいつは一生、白神石の封印と共にあるべきなんだと、言い聞かせてきた。でも、もし朝が解放されるなら――」
 宵月夜の気持ちは、榎たちと同じだ。
 朝月夜に、助かってもらいたいと思っている。助けたいと思っている。
「あなたも、白光勾玉を持っているのでしょう? ちゃんと、耳を傾けてみた? お兄さんの声、聞いてあげようとした? 朝月夜さまが今、何を思って、どんな気持ちを抱いているか、ちゃんと考えて」
 椿が語りかけた。首からぶら下げた、白光勾玉が激しく光を放っていた。
「迷わないで。必ず助かるって、信じてあげて」
 強い決意を秘めた、穏やかな笑顔。
 榎たちも一緒に、宵月夜に笑いかけた。
 怖がらなくていい。諦めなくていい。
 必ず、成功させるから。
 榎たちの強い想いは、宵月夜に届いた。
 宵月夜は瞳に涙の幕を張り、強い光を宿していた。陣の中央に白神石を置き、すぐに離れた。月麿も後退り、陣から距離をとる。
「封印を解いた直後ならば、鬼閻の力が弱まっていると考えられる。最短勝負で挑めば、勝機は充分ある」
 月麿が去り際に、榎の耳元で説明をした。
 恩人から受ける、最後の助言だった。
「陰陽月麿さま」
 陣から遠ざかっていこうとする月麿に、榎は丁寧に声を返した。
「ずっと助けてくれて、ありがとうございました」
 月麿の足音が止まった。
 色々な出来事があった。使命や修行の名の元に言い包められ、よく分からないままに振り回された。裏切られもした。
 でも、月麿から教わった多くの経験が、今の榎の糧となっている。
 間違いなく、月麿は榎の師であり、恩人だった。
 今までの感謝の気持ちを、抜かりなく伝えた。
「礼ならば、何もかも終わった後で、いくらでも聞いてやるでおじゃる! ……死ぬな、絶対に!!」
 涙と洟水を垂れ流しながら、月麿は声を張り上げた。
「最後まで、見ていてください」
 榎は、四季姫たちは、笑顔で応えた。
 準備は整った。目を閉じて、意識を集中させる。
 初めて覚醒した時。
 頭の中に、不思議な言葉が浮かんだ。
 その時には、バラバラの文字列が、無造作に並んでいるだけだった。
 四季姫一人では、解読できなかった言葉の断片だったと、今なら分かる。
 四人揃った今、隙間だらけだった記憶の中の文字列が、徐々に補填されていく。
 みんなの記憶に刻まれていた別の単語が、どんどん頭の中に入ってくる。
 やがて、埋まった。一つの、長い呪文に姿を変えた。
 この文章が、かつての四季姫たちが命を懸けて、平安の京を守った、封印を解く言葉。
 四季姫が、伝師一族が歩んできた黒歴史を清算させるための、扉を開く鍵。
 榎は、頭に浮かんだ封印の呪文を唱えた。
 合図をしたわけでもないのに、椿、柊、楸の発した言葉と綺麗に重なる。
 手にした武器が、まばゆい光を帯びはじめた。
『――我ら、四(し)の門を潜(くぐ)り抜け、かの地に住まう老師を希(こいねが)ふ者なり。我らの行く先に道を示されよ、光の旅路に、我らは従いけり。苦渋を嘆かれるな、闇を怯えるな。道は必ず、全てを照らす光となろう。我らが、光となろう。
 老師よ、照らし出せ、繋ぎとめらし、あはれな亡霊を今、解き放とうぞ』
 祝詞と並行して、陣から放たれる光が激しさを増し、白神石が強烈な輝きを放ちはじめた。
『全ての扉は開かれる。我らが、外れし錠となろう。――封印解除!』
 剣を握る手に、力が篭る。激しく、左右に震え始めた。
 しっかりと押さえ付けておかないと、吹き飛んでしまいそうだ。
 各々の武器から凄まじい力が発せられ、鋭い光の刃となって、白神石に向かって突き刺さった。
 四つの光が、石を貫く。
 直後。白神石の表面にひびが入り、粉々に砕け散った。
 どす黒い霧が中から吹き出てきた。竜巻に似た、渦を巻く強風が沸き起こる。全身を、悪寒に襲われた。
 気配とともに、霧の奥から聞こえる、悍(おぞ)ましいうめき声。やがて霞みは消え去り、中から異形の化け物が、姿を現した。
 その姿は、ほとんど骨と皮だった。衣服は身につけず、カラカラに干からびていた。
 まるで、包帯に巻かれていないミイラだった。
 頭には、お情け程度の頭髪が垂れていたが、ほとんど坊主だ。その両側頭部から、二本の角が伸びていた。
 顔付きは、以前、四季山で見た悪鬼や、重傷を負った萩の見せたものによく似ていた。眼球のない、底
のなさそうな二つの目の穴。吸い込まれそうなくらい、恐ろしい闇が中でうごめいていた。口は開きっぱなしで、鋭い牙と涎が飛び出てきた。
 声を出せないらしい。口の周囲は、痙攣していた。
「こいつが、鬼閻ちゅう化け物(もん)か!」
「今までに見てきた悪鬼とは、全く違いますな。小柄やけど、物凄い邪気を放っておるどす」
 柊と楸が、武器を構える。攻撃に転じるまでに、心構えが必要だ。しばらく硬直状態が続いた。
「見て、鬼閻の胸元に……!」
 椿が気付いて、悪鬼の体の中心を指差す。鬼閻の浮き出た肋の下が抉れて、腹部に大穴が空いていた。その穴から、上半身を突き出している者がいた。
 その姿は、見るからに人間だった。ただの人間ではない。背中から、真っ白な羽を生やした少年だった。皮しかない鬼閻の腹部に、物理的にありえない形で、胴から下が食い込んでいる。
「兄貴!」
 宵月夜の声が、背後から飛んでくる。
 根元で結われた、長い真っ白な髪と、白い着物から伸びる腕を、だらりと項垂れさせている。宵月夜によく似た、綺麗な顔の少年だ。
「あいつやな、鳥人間2号は!」
 柊が声を張り上げる。
 間違いない。鬼閻に取り込まれそうになっている、あの少年こそが、朝月夜だ。
 微かに開いた目は虚(うつろ)で、今にも気を失いそうに見えた。早く救い出さなければ、力尽きてしまう。
「待ってろ。今すぐ助けるからな!」
 榎は反射的に、剣を構えて鬼閻に向かって突き刺した。
 朝月夜のすぐ脇を抉る。腹部の穴を広げて、朝月夜を引っ張り出す作戦だ。
 柊も榎に続いて、反対側の脇腹に、薙刀の切っ先をぶっ刺した。鬼閻が動く素振りを見せなかった点が幸いし、うまく実行に移せた。
 穴が少し広がった。その隙を突いて、椿と楸が朝月夜を引っ張り出す。
 朝月夜が体から離れて行くに連れて、今まで何の反応も見せなかった鬼閻が、激しく痙攣を始めた。
 朝月夜は、特殊な力を用いて鬼閻の動きを封じ込めていた。その干渉がなくなったために、鬼閻の力も戻りつつあるらしい。
 だが、急に暴れたりはしないはずだ。力が戻るまで、時間はある。朝月夜の体を全て抜き出すとともに、榎と柊は、素早く武器を引いて下がった。
 椿と楸が二人掛かりで、朝月夜を陣の外へと連れていく。宵月夜が二人から、朝月夜の体を受けとった。
「朝、しっかりしろ!」
「お願い、死なないで!」
 宵月夜と椿が、必死で声をかける。
 朝月夜の瞼が、微かに動いた。
 呆然とした表情で、宵月夜を見つめていた。
「俺が分かるか、朝!」
「――宵、なのか?」
 力ない声だったが、確かに応えた。榎が白光勾玉を通して聞いた、あの少年の声だった。
「どうして、お前が目の前に……」
 朝月夜は困惑していた。白神石の中にいては、まともな時間感覚なんて得られない。外の状況だって、おそらく分からなかっただろう。なぜ封印の外にいるのか、理解に苦しんでいた。
「安心しろ。お前は、白神石の中から助け出されたんだ。四季姫たちが、助けてくれたんだ」
「お前、失礼だぞ。四季姫様たちを、呼び捨てにするなんて」
 朝月夜は力ない声で、宵月夜を窘めた。とても律儀な性格なのだろう。穏やかな話し口調から、性格が伝わってきた。
「それに、四季姫様が僕を助けるなんて、無理だ。すべての力を使って、封印を施してくださったのだから」
「いや、違うんだ。こいつらは四季姫だけど、姫様たちじゃない。今も昔とは違ってだな」
 朝月夜と宵月夜の話が、噛み合っていない。宵月夜は慌てて状況を説明しようとするが、頭がうまく働いていないのか、まともに話せていない。
 再開を果した兄の姿を前にして、すっかり冷静さを欠いていた。
 要領を得ない朝月夜は不思議そうに宵月夜を見ていたが、ふいに、視線を椿に移した。
 椿は着物の裾で口元を覆い、恥ずかしそうに俯きがちになった。朝月夜の瞳が、輝きを増した。
「あなたは、春姫……様?」
 朝月夜が、驚きを込めて呟く。椿に、前世の春姫の面影を見出だしたのだろうか。疑惑的な表情の中に、断定し、確信した色が浮かんでいた。
 朝月夜の声に反応し、椿は微笑んで、頷いた。
「そうよ。あなたの知っている、春姫ではないけれど」
 椿の声を聞き、朝月夜は瞳を輝かせていた。何かを椿に告げようと、口を開いた。
 だが、長々と外野で話し込んでいる時間は、なさそうだった。
「椿、戦闘態勢をとるぞ! 宵月夜は朝月夜を連れて離れろ!」
 水を差して悪いと思う余裕もない。榎はすかさず、大声で指示を出した。
「悪鬼さん、動き出したで!」
 柊の言葉通り、鬼閻の動きが、徐々に活発になってきていた。
 体中からどす黒い煙を吹き出しながら、腕を、足を動かしはじめる。カラカラに乾いていた、ミイラみたいだった体が、だんだんと水気を吸い込み、膨らんできた。
 体内の肉が、血が、復活をはじめている。
 かつて、平安京で猛威を振るっていた時の力を、取り戻しつつあった。
 宵月夜は了生の手を借りて、朝月夜を離れた場所へ避難させる。了海が張ってくれている結界の中ならば、戦いが始まっても安全だ。
 奏と語も、月麿が防御して庇(かば)っている。
 全力で暴れても、周囲に被害はなさそうだ。
 榎たちは目で合図を送り、各々の武器を構えた。
 椿が笛の音を奏で、榎たちの体に護りの力を纏わせる。
 続いて、楸が梓弓の弦を引いた。
「皆さん。一分だけ時間をください。鬼閻の弱点を探るどす!」
「分かった、時間を稼ぐぞ!」
「おっしゃあ、任しとき!」
 楸の指示に、榎たちはすかさず鬼閻に狙いを定める。
 まだ、鬼閻の動きは鈍い。時々、腕慣らしといわんばかりに拳を振りかざして来るが、すぐに察知して、剣と薙刀で弾き返した。
 楸が弱点さえ見つけてくれれば、その場所を叩くだけだ。あっさりと片付きそうで、安心しつつも、物足りなかった。
「せやけど、ラスボス相手に、弱点探るなんて、普通はできへん気がするけどな……」
 柊が、不安そうに呟いた。
「楸ならできる! 大丈夫だ!」
 根拠はないが、榎は自信満々に返した。
「――〝千里の的〟!」
 楸が術を唱える。光の輪が、鬼閻の頭に狙いを定めて、激しく回転を始めた。
 全身をくまなく探り、やがて輪は消えた。標的の分析が終わった合図だ。榎たちは、楸からの指示を待った。
 だが、楸は慌てた様子で、声を荒げた。
「皆さん、逃げてください!」
「どうしたんだ、楸!」
「この悪鬼、弱点がどこにもないどす!」
「マジでか!」
 切羽詰まった楸の言葉に、榎も驚愕の声をあげる。
「やっぱ、一筋縄ではいかんか……!」
 榎たちは、素早く身を引いた。
 直後、鬼閻が再び、腕を振りかざした。
 地面に軽く触れただけなのに、その一帯が大きくひび割れ、抉(えぐ)れた。
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