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第一部 四季姫覚醒の巻

第十章 封印解除 1

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 心の準備を整えた榎たちに、奏は「三日、待ってほしい」と頼んできた。
 榎たちの選んだ道を、伝師の長に伝えるのだと言っていた。月麿の処遇も含め、長に奏の意見を正確に伝え、適切な指示を仰ぐには、そのくらいの時間が必要らしい。
 榎たちは了解した。三日間。決戦のときに備えて、思い思いに日々を過ごそうと決めた。
 とはいっても、榎は落ち着かなかった。剣道部の練習には参加するものの、気持ちは全然鎮まらず、集中できていなかった。
 決戦を翌日に控えた、三日目の夕方。部活の帰りに、楸の家をこっそり覗いた。留守みたいだ。
 佐々木家の広い庭は、先日までと打って変わって、静まりかえっていた。今まで、妖怪たちが思い思いに、賑やかに過ごしていた面影など、微塵もなかった。
 妖怪たちがいなくなるだけで、こんなにも寂しい家になるのか。
 だだっ広い、家の敷地を眺めて、榎の心は哀愁に染まった。
 その後。図書館に立ち寄ってみると、大きな本棚の一角に、楸を発見した。
 楸は分厚い本を開いて見つめていた。真剣そうにページを覗いているが、その視線は焦点があっていない気がした。
 どこかボーっとして、心ここにあらず、といった感じだ。
 榎の接近に気付いて、楸は我に返り、本を閉じた。本は、妖怪に関するものだった。
「まさか、榎はんと図書館でお会いするとは、思いませんでしたな」
 少し皮肉を込めて、楸は笑う。榎も場違いだとは実感している。尤もだと、笑い返した。
「楸はいつも、図書館で妖怪について調べていたんだよね」
「もう、調べる必要もないんですけどな。何やら癖で」
 恥ずかしそうに返してくる。その表情には、飄々としたものに混じって、どこか寂しそうな影も感じた。
 楸は今まで、どんな気持ちで妖怪たちと接してきたのだろう。袂(たもと)を分かった今、心の中で何を思っているのだろう。
「楸はずっと、秋姫の正体を隠すために、妖怪が好きな演技をしていたのか? それとも、本当に、妖怪たちと……」
 ――仲良くなりたかったのか?
 思わず、尋ねた。全て言い切る前に、楸の曖昧な返答に阻まれた。
「私にも、はっきりと分からんのどす。始まりは、興味本位でした。妖怪にしても、目覚めた私の力にしても、詳しく知りたかっただけで。でも、今思えば、どうやったんでしょうな」
 楸は、途方に暮れた表情で、自問自答していた。
 本当は、楸は何も望んでいなかったのかもしれない。妖怪とも、陰陽師とも係わらず、平穏な世界で、静かに暮らしていたかっただけかもしれない。
 榎が夏姫に覚醒しなければ。覚醒しても、戦いに身を投じなければ。
 楸を巻き込まずに済んだのだろうか。楸の穏便な生活も、脅かされなかったのだろうか。
「楸は、秋姫なんかになりたくなかった? 名乗り出て、後悔している?」
 思わず、尋ねていた。
 楸は榎を真っ直ぐ見つめて、強い瞳で微笑んだ。
「後悔なんて、まっぴらですから、名乗り出たんどす。私が名乗り出んかったせいで、皆さんを危険に晒したら、一生、苦しんでおりました」
「でも、あたしたちが戦っていたせいで、楸まで……」
「榎はんは、迷惑でしか? 私が、急に秋姫として現れて」
 不意を突く質問だった。榎は慌てて首を横に振った。楸は穏やかに微笑んだ。
「なら、この話は終わりにしましょう。あなたがそんな弱気になっておったら、誰が四季姫を引っ張っていくんどすか。――私は、あなたが夏姫はんやったから、表に出ていく決心ができたんどす。あなたたちが四季姫やったから、一緒に戦っていけると思ったんどす。仲間として、力になりたいです。その気持ちだけ、どうか受け取ってください」
 楸の白い細い手が、榎の手を握る。榎も、強く握り返した。
 やっと、四人揃ったのだから。覚醒した本当の目的を、果たせるのだから。
 迷ってなど、いられない。楸の決意を、無駄にはしない。絶対に。
 楸に「ありがとう」と伝え、榎は図書館を後にした。

 * * *

 四季川を遡り、市街地の外れに向かった。
 途中に通る、柊の家を覗いた。
 柊は胴衣に身を包み、庭で薙刀を振るっていた。
 汗だくになりながら、それでも一心不乱に、何度も何度も、型を定めて素振りを繰り返していた。
「精が出るな、柊」
 声を掛けると、柊は薙刀を軽々と回し、地面に突き刺した。
 一息ついて、タオルで汗を拭いながら、歩み寄ってくる。
「三日っちゅうんは、微妙な期間やな。中途半端に長うて、気持ちが揺らぎそうになる」
 白神石の封印を解き、中に封じられている悪鬼と戦うためのモチベーションを保ち続ける行為に、柊は少し難航している様子だった。
 万全の体制で挑みたいから、途中で気を抜けば、本番に支障が出る。
 柊の考えは、榎にもよく分かった。榎も、同じ気持ちだ。
「最初は、ゲーム感覚でやっとったのにな。いつの間にやら、随分と脱線した気がするわ。本気の、命懸けの戦いになるなんてな」
 夕焼け空を見上げて、柊は遠い目をした。
 確かに、柊が覚醒した時は、かなりお遊び気分だった。でも、妖怪との戦いを重ねて行くうちに、だんだんと柊の姿勢も変化していった。
 今では、戦力としても、ムードメーカーとしても、四季姫の中で一番、戦いの場を支えてくれる頼もしい存在となっていた。
 その柊の雰囲気がピリピリしているのだから、相当な緊張に襲われているのだと分かる。
「やっぱり、柊でも怖いか?」
 尋ねると、柊は流し目で榎に視線を向けて、一息ついた。
「この世の中で、一番怖いもんが何か知っとるか? 榎」
「お化けか?」
「毎回、似た連中を倒しとるやろうが」
「分かった、テストの結果だ。いや、親の雷か……」
「そら、自分だけや」
 榎の恐れるものとは、違うらしい。分からないと、榎は首を横に振った。柊は再び空を仰いで、遠い目をした。
「生きるにしても、死ぬにしても、自分自身に道を選ぶ決定権がないことや。何(なん)にも決められずに、生かされとるだけなんて、死んどるんと変わらん。思ったとおりに動けずに、ただ周囲に流されていくだけ。そんな生活が、うちには一番、恐ろしいんや」
 難しい話だった。漠然としか理解できず、榎は戸惑っていた。
 だが、柊はお構いなく、話を続ける。
「その点、今のうちらは、決められるんや。選択肢は限られとるかもしれんけど、四季姫として、自分の道を選んでいける。みんなで決めたんやろう? ただ生きるために逃げるんやのうて、死ぬ気で戦うって。自分自身の意思と足で、戦場に立てるんや。何を怖がる必要があるねん?」
 柊は笑う。瞳に、強い光が宿っていた。柊の覚悟。強気な気持ちが、榎の心を揺さぶった。
 柊は、恐れてなんかいない。死への恐怖も全て受け入れて、四季姫の歩む道に満足している。
「できる、できへんは、この際あと回しや。今はとにかく、うちらの力で切り開いていける道を、歩きたい。せやから、三日後を楽しみにしとるんやで、うちは」
 榎も、柊に笑い掛けた。その堂々とした姿勢は、見習わなければならない。
「自分も、気ぃ抜かんと気張っときや。本番で役に立たんかったら、リーダー降格やで」
「いわれなくても、分かっているさ」
 掌を打ち合わせ、榎は師走家を後にした。

 * * *

 如月家に帰ってきた榎は、足音と気配を殺して、ゆっくりと階段を上った。
 榎の隣の部屋――椿の部屋から、なんともいえないオーラが漂っている。
 物音一つしないのに、不思議とざわついた感覚が伝わってきた。
 榎はそーっと、椿の部屋の戸を少し開いて、中を覗いた。
 椿は扉に背を向けて、机に座っていた。瞑想でもしているのだろうか。
 手には、しっかりと白光勾玉を握り締めていた。
 今回の封印解除。椿が一番、気合を入れている。
 鬼閻と共に石の中に封印されている、朝月夜を助けるため。
 椿は誰よりも朝月夜の身を心配して、何とか助けようと尽力してきた。
 どんなピンチに陥ったときよりも、真剣な姿を見せてくる。
 椿の心境の変化を側で見続けていた榎は、複雑な気持ちに囚われていた。
 榎にとって椿は、初めて会った時から、妹みたいな存在だ。
 年齢よりも少し幼さがあり、寂しがり屋で甘えん坊で、少し、いや、かなり夢見がちな女の子だった。
 憧れるくらい、女の子らしい、女の子だった。
 でも、春姫として一緒に戦い始めてから、椿は少しずつ変わった。
 闘う勇気を身につけて、どんどん、成長していった。
 今もまた、一つの目的を果たすために、誰よりも一生懸命になっている。
 白神石の、朝月夜の存在を知ってからの椿は、普段とどこか違うと感じる時が多かった。
 そんな椿の変化を、榎はずっと、微妙な感覚で見守ってきた。
「えのちゃん。お帰りなさい、遅かったね」
 榎の微かな気配に気付いたか、椿が振り返って、笑いかけて来た。榎は「ただいま」と返事をして、少しばつが悪かったが、部屋の中に入った。
「椿はさ、朝月夜の状態をずっと知っていたんだよね? 封印の中で、苦しんでいるって」
 榎の質問に、椿は控えめに頷いた。
「責めるつもりはないけど、どうして、もっと早く、あたしたちにも相談してくれなかったのかなって、ずっと気になっていて……」
「ごめんなさい」
「いや、謝らなくてもいいんだけれどさ。あたしは、いちおう夏姫として、椿やみんなから頼りにしてもらっているんだと、思っていたんだ。だから、椿がずっと朝月夜を助けたいって思っていたと知ったときに、何も話してもらえなかった理由は、やっぱりあたしが頼りなかったからなのかなって、思っただけで……」
 榎の意見を聞いた椿は、ふるふると首を横に振った。
「椿、たぶん、一人で頑張らなきゃいけないって、勘違いしていたの。いつも、朝月夜さまの声は、椿にしか聞こえていなかったから。姿も、椿だけが見えたから。きっと、椿が一人でやらなきゃいけないんだって思っていたの」
 椿は椿なりに、朝月夜を解放する責任を感じていたのだろう。椿の決意がはっきりと伝わってきただけに、何も言い返せなかった。
「でも、白神石の封印は、椿一人じゃ解けないものね。一人で何もかも頑張ろうなんて、無茶だよね。もっと早く、えのちゃんたちに相談すればよかったわ。話していれば、もっと早く、朝月夜さまを助けてあげられたかも知れない」
 榎が指摘しなくたって、椿はちゃんと分かっていた。だから榎も、椿にこれ以上、とやかくいうつもりはなかった。
「もっと前に、ああしておけばよかった、って後悔するのは、成長しているからなんだよ。今からでも遅くない。次のチャンスに、頑張ればいいんだ。決して、手遅れではないから」
 榎の言葉を聞き、椿は食い入る目つきで、榎を見つめてきた。榎の考えた台詞ではないだけに、あまりに真剣に聞かれると、恥ずかしくなってくる。
「了生さんの、受け売りなんだけれどね」
 情けなく笑いながら、言い訳がましく説明しておいた。
「椿にとって、朝月夜は絶対に助け出したい、大切な存在なんだね」
 椿は頬をほんのりと染めて、俯いた。
「……椿の助けを必要としてくれたから。どうしても、期待に応えたいの」
 椿の表情は、嬉しそうだった。朝月夜を助け出し、お礼を言われた時の状況を、想像しているのかもしれない。
「その気持ち、よく分かるよ」
 榎も、椿の今の姿を榎自身の気持ちと重ね合わせた。榎だって、必要としてくれる人の役に立てれば、嬉しい。
「えのちゃんにも、命を懸けて守りたいくらい、大切な人がいるのね」
 椿が榎の顔を覗き込んでくる。少し気恥ずかしかったが、榎は素直に肯定した。
「いるよ。かけがえのない、大切な人だ」
「じゃあ、その人のためにも、頑張って敵を倒さなくちゃ。えのちゃんが傷付けば、その人も悲しむわ」
 椿の強気な声が、榎の心に響いてくる。
「えのちゃんが頼りないなんて、誰も思っていないよ。えのちゃんがいたから、椿は頑張ってこられたの。えのちゃんが頑張っているから、椿も頑張ろうと思えるの」
 椿は榎に、優しく笑い返した。
「明日も、一緒に頑張ろうね。えのちゃん」
 榎は大きく頷いた。

 * * *
 決戦の日の、朝。
 待ち合わせ場所の庵に行く前に、榎は四季が丘病院へやってきた。
 願掛け、というわけでもないが、戦いの前に一目、綴の姿を見ておきたかった。
 病室へ行こうとすると、顔見知りの看護師さんから、声を掛けられた。
「ごめんねぇ、伝師くん、昨日から少し、具合が悪うて。今日は面会できへんのよ」
 突然の話に、榎は愕然とする。
「具合が悪いって、大丈夫なんですか?」
 何かできるわけでもないが、綴が苦しむ姿を想像すると、いても立ってもいられない。
 心配する榎を宥め、看護師さんは穏やかに説明してくれた。
「酷いもんやないのよ。すぐに良くなるわ。この春くらいから、ずっと元気そうにしてたんやけどね。また今度、来てあげてね」
 綴の病状に詳しい人が言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。
 心配は尽きないが、榎には何もしてあげられない。
「お大事にと、伝えてください」
 榎は会釈して、病院を去った。
 外に出て、決意を固める。
 次に会うときには、絶対にいい報告をしよう。
 何もかも終わらせて、楽しいお話をたくさん持って、綴に会いに来よう。
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