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第一部 四季姫覚醒の巻

第八章 秋姫対峙 6

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 病院を後にした榎は、萩を探すために、炎天下の四季が丘町内を歩き回っていた。
 非効率な方法だが、髪飾りの通信は向こうから完全に遮断されていて、使い物にならない。自らの足で探すしか、手立てがなかった。
 たった一人で探索なんて、途方もない話だ。だが、榎は悲観していなかった。
 直感だが、赴くままに歩いていれば、萩に逢える気がした。根拠はなくても、確信してよい勘だと思っていた。
 四季川の側を伸びる堤防沿いの道路を歩いていると、脇に猫が倒れていた。車に轢かれたのだろうか、横たわって動く気配はなかった。
 なのに、榎が近付くと、猫は急に起き上がって、河原へ向かって坂を下っていった。てっきり、死んでいたものだと思っていたから、驚いた。
 だが、猫が倒れていた場所には、かなりの出血の跡があり、猫が無事な状態だとは思えなかった。榎は焦って、猫の行方を目で追った。
 猫は体を左右にふらつかせながら、必死で歩いて行く。その進行方向の先には、河原の石に座り込む、萩がいた。
 堤防に背を向ける萩は、榎の姿に気付いていない。榎は息を殺して、できるだけ自然に接近し、萩の様子を窺った。
 猫は脇目も振らず、おぼつかない足取りで萩の下へと歩いて行く。萩の飼い猫なのだろうか。
 萩は、側にやってきた猫の喉を撫でた。すると、急に猫は体を震わせて、再び地面に倒れる。
 やっぱり、重症なのではないのか。榎は猫の様子に目を凝らした。
 萩が猫に対して、どういった感情を抱いて接しているかは、分からない。だが、さらに危害を加えようとするなら、止めに入らなければ。
 萩は、倒れこんだ猫の頭上で、人差し指と中指を揃えて立て、軽く動かし始めた。まるで空中に、何か図形を描いているみたいだ。
 しばらくすると、猫は再び、起き上がった。
 だが、さっきまでとは様子が違う。猫の体からは、死が感じ取れた。
 どす黒い、妙な気配が湧き上がり、猫を黒い靄(もや)みたいなものが包み込んでいた。
 どこかで感じた気配。榎は、何度も遭遇している。
 妖怪が発する、普通の生物とは異なる気配だった。
 ただの猫が、この瞬間に、妖怪に変貌した。
 萩が、何かしたのか。その結果、妖怪になったのか――。
 猫は恐ろしいほど毛を逆立てて、萩を威嚇していた。今にも襲い掛かりそうな体勢だ。
 萩は敵意を剥き出しにした猫を見て、嬉しそうに笑っていた。
「よぅし、いい子だな。ただでは死なせてやらないぞ。現世を彷徨い、あらゆる恨み辛みを集め続けろ。存分に力を溜めて、アタシを呪え。殺す気でかかってこい。アタシを満足させられたなら、楽にしてやる」
 萩は猫に語りかけた。猫は威嚇を続けながらも、怯えた様子で後ずさり、萩の下から逃げていった。
「……あの猫に、何をしたんだ」
 奇妙な光景を目の当たりにした榎は、自然と萩に近寄って、尋ねていた。
 榎を視界に捉えた萩は、昨日より機嫌がいい。呆然とする榎に、鼻を鳴らした。
「屍(しかばね)の怨霊化(おんりょうか)だ。陰陽師が悪霊や妖怪を服従させ、使役する儀式の応用。通常ならば、偶然に発生した怨念や超常現象を取り込んで力に変えるわけだが、目ぼしいものが見つからないから、人工的に作り出した」
 人工的に、妖怪を作り出す――。
 本来、妖怪は動物や人間が人智を超えた力を手に入れて派生するものだ。
 その工程を人為的に起こして、妖怪を生み出す。陰陽師なら、そんな技術も持ち合わせているのかもしれないが。
「どうして、妖怪を作るんだ。陰陽師の力は、妖怪を倒して、人々の平和を守るためのものだろう?」
 萩の行動理由が分からない。なぜわざわざ、妖怪を作ってまで増やす必要がある。困惑する榎を、萩は目を細めて馬鹿にしていた。
「最近は、それなりに強い妖怪も狩りつくして、退屈しているからな。狩る妖怪がいないなら、こっちで作っちまえばいい。人的要因で命を落とした生物は恨みに塗(まみ)れているからな、強い妖怪を作り出すための、格好の原料になるんだ。周囲の怨念を吸収して、より短時間で強くなってくれる」
 妖怪退治を楽しむために、狩るための妖怪をわざわざ作るなんて。
 榎には理解しがたい所業だった。同時に、怒りが込み上げてきた。
 妖怪の中には、生前の未練を恨みとして遺した悪霊が変貌したものも存在する。だが、全ての恨みを持つ生命が、望んで妖怪の道に落ちるわけではない。
 さっきの猫の姿を見ていても、体を妖気に纏われた瞬間から、とても苦しそうに感じた。車に轢かれた恨みもあっただろうが、怨霊になってまで人間を憎み続けようなんて、きっと思っていなかったはずだ。
 この先、あの猫は萩への怒りを溜め込みながら、化け猫として現世を彷徨い続けなければならない。
 そんな運命、残酷すぎる。
「身勝手な理由で、動物を妖怪に変えるなんて、許されると思っているのか!? 辛い目に遭って死んだのに、その後もまだ苦しめるなんて! 陰陽師として、最低のやり口だ」
 榎が怒鳴りつけると、萩は普段の不機嫌な調子に変貌した。
「お前の意見なんて、どうでもいいんだよ。まだ、懲りていないらしいな。目障りだって言ってんのが、分からねえのか!」
「分からないよ! だから分かるまで、何度だって、ぶつかってやるんだ! あたしはそういう性格だ、覚えておけ!」
 もう、絶対に躊躇わない。油断も見せない。
 今までは、理解できないながらに、萩の考えも受け入れようと頑張ってきたが、そんな甘っちょろい方法が通じる相手ではないと、よく分かった。
 陰陽師として優れていようが、萩の考えや行いは、絶対に間違っている。正すために、榎は何度でもぶつかる覚悟を決めていた。
 先日までとは違う榎の態度に、萩の表情が歪みはじめた。
「開き直ってんじゃねえよ! もっと、痛い目に遭わせてやらないといけないらしいな」
 怒りを露にした萩は、立ち上がって榎のTシャツの胸倉を掴んだ。
 榎も負けじと、萩のセーラー服のタイを掴んだ。身長も体格も、はるかに榎のほうが勝っている。生身の戦力を考えると、榎のほうが確実に上のはずだ。
「妖怪を相手にすれば百戦錬磨かもしれないけれど、あたしは妖怪よりもしつこいぞ。お前と同じ、四季姫なんだからな!」
 榎の挑発が、萩を更に苛立たせた。
 容赦ない萩の拳が、榎の顎を突き上げる。白い細腕からは想像もできない力だ。榎は首を反らせて背後に仰け反ったが、なんとか体勢を保った。
 榎も負けじと、拳を振るう。手を抜いたつもりはなかったが、打線を読まれていた。榎の手は萩の手に受け止められた。そのまま、すかさず腕を掴まれ、足を払われて投げ倒された。
 川原に背中を叩きつけられた榎は、急いで起き上がろうとする。萩は間髪いれずに、上から榎に飛び掛る。手には、大きな石を握り締めていた。
 石を榎の頭めがけて、振りかざしてくる。榎は間一髪、体をよじって石をかわした。
 致命傷を避けても、萩の空いた反対の手は、榎を逃がさない。すかさず顔面を殴りつけてきた。
 頬骨に痛みが響く。唇が切れたらしい。口の中に血の味が広がった。
 榎が急所をガードすると、次は足を狙ってきた。じわじわと、榎の動きを封じてくるつもりだ。
 足を踏み抜かれる痛みに耐えていると、急に萩が榎の側から離れた。
 素早く体を起こすと、萩は川原の砂利の上に倒れこんでいた。横たわる体勢は、誰かに押し飛ばされた様相だった。
 反対隣に視線を向けると、息を荒げた椿が立っていた。椿が、榎を助けてくれた。
「これ以上、えのちゃんに手を出したら許さないわ! 絶対に……!」
 椿は声を震わせて、目に涙を溜めながら、必死で萩に食って掛かった。
 ずっと、萩を怖がっていたのに。今だって、絶対に近寄りたくないはずだ。
 そんな中、椿は榎を助けるために、駆けつけてくれた。
「弱い奴が、しゃしゃり出てきやがって! 目障りだ!」
 渾身の力を使い切った感じで、椿は身動きがとれなくなっていた。椿の様子なんてお構いなく、起き上がった萩は標的を椿に替えて、飛び掛ろうとした。
「やめろ、椿に手を出すな!」
 榎は椿を庇おうと立ち上がったが、間に合わない。椿が目を閉じて、歯を食いしばる。
 直後、萩が慌てた様子で勢いを殺し、背後へ飛んだ。
 萩の目前の地面に、矢が突き刺さった。
「また、矢だ……」
 昨日、榎を蝮から助けてくれた矢と、同じものだった。榎は急いで周囲を見渡すが、人の姿はなかった。
「誰だ! ふざけた真似しやがって……!」
 萩は矢の存在に苛立ち、周囲を威嚇しながら怒鳴り声をあげる。だが、何の反応もなかった。
「お前らの他にも、アタシに喧嘩を売る奴がいるみたいだな。……なかなか、いい腕をしている。狩り甲斐がありそうだ」
 的確な、何者かの射的が、萩の興味を掻(か)っ攫(さら)っていった。萩は榎や椿への攻撃をやめて、立ち上がる。弓を射てきた相手を、探すつもりか。
 榎たちなど眼中にもなく、萩は苛立った様子で、川原を去っていった。
 呼び止めたかったが、痛めつけられた体は、いうことを利かない。脱力して座り込んでいる椿も側にいるし、深追いは危険だ。
 やっと、萩と正面から向き合えそうだったのに。まだ、確信の持てる答に辿りつけなかった。
 椿と二人、呆然と川原で座り込んでいると、砂利を踏み抜く音が近付いてきた。
「いつまで、砂利の上に座りこんどるねん。痛いし、暑いやろ」
 聞き慣れた関西弁に頭を上げると、柊が呆れた顔で見下ろしていた。
「柊……は、弓なんてやらないよな?」
 思わず、尋ねる。榎を助けてくれそうな、武術に長けた人間が、他に思いつかなかった。たぶん違うと思うが。
「何の話や? うちは、昔っから薙刀一筋や」
 案の定、柊は眉を吊り上げて、訝しげな顔をした。助っ人柊の説は、当然の如く消え去った。
「榎、手ぇ抜いとったやろ。なんであんなに受身で挑むねん。うちが相手やったら、もっと本気で突っ掛かってくるくせに」
 色々と考え込んでいる榎に向かって、柊が不満を吐いてくる。
「手を抜いたつもりはないけれど、ただの喧嘩じゃ、意味がないと思った。萩の拳から、何か読み取れる、内面的なものを掴みたかったんだ」
 榎の目論見を果たすには、気合と時間が足りなかったが。
 話を聞いて、柊はさらに呆れていた。
「どこまでも、お人好しやのう。……立たれへんのやろ? 手ぇ貸し。椿は右側な」
 疲労して立てなくなっていた榎の左上を掴み、肩に回した。椿も気持ちを落ち着けて立ち上がり、榎に肩を貸してくれた。
「お前も、何だかんだ言って、お人好しだよな」
 榎が茶化すと、柊が不愉快そうに鼻を鳴らした。頬に微かに、照れが見える。
 柊も大概、素直ではない性格だ。
「じゃかあしいわ。黙って歩き」
 柊と椿に連れられて、榎はゆっくりと歩き出した。
 二人とも、榎に愛想を尽かして、とっくに見限っていると思っていたのに。
 まだ、手を差し伸べてくれる。心配してくれる。助けてくれる。
 榎は仲間の存在に、今まで以上の感謝を抱いた。
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