上 下
99 / 336
第一部 四季姫覚醒の巻

七章 Interval~黒夜の涙~

しおりを挟む
 宵月夜が目を覚ますと、畳の間で布団に横たわっていた。
 開け放たれた障子の外は、夜の景色だ。空には半月が浮かんでいた。
 頭が朦朧とする。記憶が、どこからか飛んでいた。
 夢の中で、何か恐ろしいものに襲われ、逃げ惑っていた気がする。だが、上手く思い出せない。
 思い出そうとすると、体が竦む。記憶をよみがえらせてはならないと、全身が警鐘を鳴らしていた。
 だが、ふいに、気を失う直前の出来事が、脳裏に浮かび上がった。
 おぞましい力を見せ付けてきた、秋姫。
 宵月夜は、秋姫の鎌を受け――。
 あまりの恐怖に、宵月夜は飛び起きた。腹部に、チクチクと刺さる痛みが走る。
 秋姫にやられた、傷口だ。もっと酷かったのだろうが、今では止血をされ、傷口も半分ほど、塞がりかかっている。
「宵月夜さま、起きたー」
「宵月夜さまー。まだ寝てなきゃだめー」
 寝床の周りに、妖怪たちが集まってきた。見知った、小さな下等妖怪たち。
 宵月夜を心配して、集まってきてくれた。みんなの姿を視界に捉え、宵月夜は安心した。
 何匹かの妖怪は、秋姫の鎌の犠牲となった。恐ろしいほどの威力だった。
 だが、生き残った妖怪たちがたくさんいるのだから、全滅は免れたらしい。宵月夜にとって、一番の救いだ。
「……みんな、無事か? 怪我している奴は、いないか?」
 尋ねると、小さな妖怪たちは、顔を見合わせた。悲しげに慌てふためき、身振り手振りで説明をしてきた。
「傷を負った仲間、みんな死んだ。傷付いて生き残った妖怪、宵月夜さまと、八咫さまだけ」
「一瞬だったー。凄い力が飛んできて、みんな、切り刻まれたー」
「宵月夜さま、怖いよー。死ぬ? みんな死ぬの?」
 怯える妖怪たちを見ながら、宵月夜は漠然と考える。
 たしかに、多くの妖怪たちは、秋姫に亡き者とされた。
 だが、八咫は?
 宵月夜の目の前で、負傷などしただろうか?
 覚えていない。
 いや、違う。忘れていただけだ。
 思い出した。思い出して、しまった。
 八咫は、俺がこの手で――。
 全身から、汗が噴き出す。宵月夜は体を震わせて、周囲を見渡した。
 宵月夜のすぐ隣で、布団に包まれ、横たわる八咫の姿があった。体には晒(さらし)が巻かれ、微動だにしない。
 いつも賑やかで、お喋りな八咫が。今は、言葉を話す余力さえ失っている。
 宵月夜がやった。宵月夜が、大切な腹心の家来を、傷つけた。
「八咫ぁ。すまない、俺のせいで……」
 声を掛けても、返事すらない。倒れ伏す哀れな烏に、震える手を伸ばす。宵月夜の目から、涙が零れた。口からは、嗚咽が漏れる。
「八咫はんは、大丈夫どす。じきに、目を覚まして元気になります」
 静かな声が、側から流れてきた。顔を上げると、側には、一人の人間が立っていた。
 周(あまね)という名の少女。妖怪たちの天敵――四季姫と親しくしながらも、なぜか妖怪に興味を抱き、親しげに接してくる、変な人間だ。
「宵月夜はんのほうが、重症どす。どうか、安静にしていて下さい」
 周は宵月夜の枕元に座る。桶に運んできた水を脇に置き、手拭を濡らして絞る。
 宵月夜は、慌てて顔を逸らした。悲観に暮れる泣き顔を、見られたくなかった。
 だが、抵抗は空しく、頭を掴まれて首を回される。
 周は、涙と汗に濡れた宵月夜の顔を、優しく拭った。
 呆然としながら、宵月夜は周の身形を見つめていた。
 白っぽい薄い衣服は、血で汚れていた。ちらりと見えた背中は、まるで切り裂かれたみたいに破け、傷付いた皮膚が覗いていた。
「この傷痕……俺が、つけた……?」
 肌に残る、爪の痕。宵月夜の記憶が、更に鮮明になった。
 深い傷を受け、無意識のうちに、力を暴走させた。宵月夜の体に流れる、望まぬ、呪われた血が疼いて、止められなかった。
 八咫を傷つけ、我を忘れた宵月夜を、周が引き戻してくれた。――命懸けで。
「私は、春姫はんに癒してもらいましたから。少し痕が残りましたけど、命に別状はありまへんから」
 周は、控え目に笑っている。なぜ、普段と変わらない態度で接することができるのか。
 目の前にいる妖怪は、命を奪おうとした存在なのに。
 意味が分からない。宵月夜は、苛立ちを隠せなかった。
「どうして、俺が暴走していると分かって、飛び込んできた!? お前は何を考えているのか、さっぱり分からない奴だが、命を粗末にする人間ではないはずだ!」
 周の言動は、理解に苦しむものが多い。だが、常に常識的で、節度をわきまえている。
 周は、賢い女だ。だから、身の危険を冒す愚かな真似を、するはずがないと思っていたのに。
「私にも、分かりまへん、体が勝手に動いたもんですから」
 宵月夜が怒鳴っても、臆しもせず、周は冷静に、首を振った。
「ただ、漠然と思ったんやと思います。あのまま宵月夜はんを放って置いたら、絶対に後悔する、と。あんな状態は、どうしても許せんかったんどす」
 本能的な行動だと言いたいのか。周らしくない。
「秋姫はんに、酷く心を掻き乱されましたんや。あの態度、考え方――。何や、物凄い、苛立ってしもうて。どうすればええんか、何も分からんくなった。頭が真っ白になって、気付いたら、宵月夜はんに、飛びついておりました。絶対に、あの女だけには、あんたは殺させはせん、と」
 遠い目で月を眺めながら心境を語る周の全身から、静かな怒りが迸(ほとばし)っていた。
 周はいつも、妖怪たちに優しくしてくれる。
 だがそれは、無償の親切ではなく、何か打算があっての行動だ。
 宵月夜も、妖怪たちも知っていた。周は語らないが、別に隠しもしなかったし、堂々としていた。
 何か企んでいるのかもしれない。そう思って、最初は警戒していた。
 だが、恐れを感じる以上に、とても居心地がよかった。
 周は、妖怪を人間と対等に扱ってくれる。決して差別をしないし、特別扱いもしない。同じ目線で、同じ場所に生きていると感じた。
 だから気がつくと、宵月夜も妖怪たちも、周の親切に甘んじていた。
 普段から、何事にも動じず、平静を装ってきた周が、今、初めて宵月夜の前で、激しい怒りを見せている。
 妖怪たちのために、秋姫に対して怒っているのだと分かった。
 宵月夜は無性に、心をかき乱されていた。
「冷静になって考えてみると、許せんかったんやと思います。あの、理不尽な虐殺が。陰陽師が妖怪を倒す行為は、当然の道理やとは、理解しております。せやから、止める権利なんて、私にはなかった。せやのに、ちゃんと、割り切れてへんかった。私の中には、許せる悪も、許せん正義も潜んでおるみたいどす。優柔不断どすなぁ。私自身、嫌になるどす……」
 周は、肩を震わせていた。
 俯く顔を覗きこむと、泣いていた。
 人間が泣こうが喚こうが、宵月夜には関係ない。
 なのに、どうして胸が締め付けられるのか。
 罪悪感に襲われる。
 この少女が泣く姿だけは、見たくなかった。
 気付くと、宵月夜は震える周の手を握っていた。
「泣くな。これ以上、お前を傷つけない。誰にも、お前を傷つけさせない。――お前は、俺が守るから」
 一番、傷つけてきた張本人が、何を言っているのか。
 馬鹿馬鹿しいと思った。いえる義理など、ないと思った。
 でも、伝えずにはいられなかった。心の奥からとめどなく湧き上がってくる、本心を。
 心の底で熱く煮えたぎっている愛おしさを、内に留めてはおけなかった。
 周は唖然として、動きを止めていた。しばらくすると、そっと、手を握り返してくれた。温かい手だった。
 人間なんて、大嫌いだ。
 だが、この人間だけは、嫌いになれない。
 昔にも、同じ気持ちを抱いた時があった気がする。でも、忘れた。
 今、心から守りたいと思う〝人〟は。
 たった一人だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

FRIENDS

緒方宗谷
青春
身体障がい者の女子高生 成瀬菜緒が、命を燃やし、一生懸命に生きて、青春を手にするまでの物語。 書籍化を目指しています。(出版申請の制度を利用して) 初版の印税は全て、障がい者を支援するNPO法人に寄付します。 スコアも廃止にならない限り最終話公開日までの分を寄付しますので、 ぜひお気に入り登録をして読んでください。 90万文字を超える長編なので、気長にお付き合いください。 よろしくお願いします。 ※この物語はフィクションです。 実在の人物、団体、イベント、地域などとは一切関係ありません。

俺のコンビニは何かが間違っている。

lukewarm
青春
1話読むのに約1分! サクッと読めて、クスッと笑える! 個性的すぎるキャラが繰り広げる、4コマ系日常コンビニコメディー!!!

はなぞら日記

三ツ木 紘
青春
「僕が東雲さんは星野志乃かどうか調べてくるよ」 花山は東雲の正体を調べる事を弟と約束する。 そして写真部に訪れるもう一つの人影。 夏の花火大会。 秋の体育祭と文化祭。 訪れる変化の時……。 学生生活のイベントが詰まった青春の一ページを乗り越える彼ら彼女らの青春ストーリー。 『日記』シリーズ第二作!

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

雪と桜のその間

楠富 つかさ
青春
 地方都市、空の宮市に位置する中高一貫の女子校『星花女子学園』で繰り広げられる恋模様。 主人公、佐伯雪絵は美術部の部長を務める高校3年生。恋をするにはもう遅い、そんなことを考えつつ来る文化祭や受験に向けて日々を過ごしていた。そんな彼女に、思いを寄せる後輩の姿が……?  真面目な先輩と無邪気な後輩が織りなす美術部ガールズラブストーリー、開幕です! 第12回恋愛小説大賞にエントリーしました。

小説女優《ノベルアクトレス》~あたしは小説を演じて、小悪魔先パイに分からされちゃう???~

夕姫
青春
『この気持ちは小説《嘘》じゃないから。だから……ずっと一緒にいてほしい……』 思春期女子が共感できるところが1つはある。涙なくしては語れない至極のモヤキュン青春百合小説誕生!どうぞ御堪能ください✨ ※プロローグは前置きで本編は2話から始まります。 【あらすじ】 様々なジャンルの中で唯一「恋愛物」が嫌いな主人公 新堂凛花(しんどうりんか)。 彼女は恋愛物以外ならなんでも好き。小説の中の恋愛はあり得ないと常々思っている。 名門花咲学園に入学した凛花は、必ず部活に入らなくては行けない決まりを知り、見たことも聞いたこともないような部活の「小説同好会」に興味を持つ。 そしてその小説同好会に行くと黒髪で美人な見た目の二年生の先パイ 小鳥遊結愛(たかなしゆあ)がいた。 彼女は凛花を快く迎えいれてくれたが、凛花が恋愛物の小説が嫌いと知ると態度が一変。 そう、ここは小説同好会ではなく小説演劇同好会だったのだ。恋愛経験も乏しく男性経験もない、恋愛物を嫌っている主人公の凛花は【小説女優】として小鳥遊結愛先パイに恋愛物の素晴らしさを身を持って分からされていくことになるのだが……。 この物語は女子高生の日常を描いた、恋に勉強に色んな悩みに葛藤しながら、時に真面目に、切なくて、そして小説を演じながら自分の気持ちに気づき恋を知り成長していく。少しエッチな青春ストーリー。

女子高生が、納屋から発掘したR32に乗る話

エクシモ爺
青春
高校3年生になった舞華は、念願の免許を取って車通学の許可も取得するが、母から一言「車は、お兄ちゃんが置いていったやつ使いなさい」と言われて愕然とする。 納屋の奥で埃を被っていた、レッドパールのR32型スカイラインGTS-tタイプMと、クルマ知識まったくゼロの舞華が織りなすハートフル(?)なカーライフストーリー。 ・エアフロってどんなお風呂?  ・本に書いてある方法じゃ、プラグ交換できないんですけどー。 ・このHICASってランプなに~? マジクソハンドル重いんですけどー。 など、R32あるあるによって、ずぶの素人が、悪い道へと染められるのであった。

4本になったバトン、代わりに僕が約束へ繋げる。

太陽
青春
「あの夏、僕はスポーツを見て初めて感動した。」 それは、友達の涼介(りょうすけ)、颯(はやて)、豪(ごう)、健太(けんた)4人の中学生最後の大会で全国優勝を果たしたリレー。陸上競技だった。 高校で離れてしまう4人は僕の目の前でそれぞれの高校で陸上競技部に入り、高校陸上競技大会の4×100mリレーの全国大会の舞台で相手校としてまた会う約束をした。 しかし、あることがきっかけでその約束を果たすのは難しい状況に陥ってしまい、色々な困難が4人や周りを襲う… 僕に感動をくれた4人と大切な約束。 それを果たすため、高校生活を陸上競技に捧げた青年達に、心動かされる。美しく、儚い。感動青春小説!

処理中です...