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第一部 四季姫覚醒の巻

第五章 冬姫覚醒 11

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十一
 ひらり。
 季節はもう初夏になろうとしているのに、上空から柔らかな牡丹雪が降り注いできた。
 吐く息が白い。周囲の空気が、一気に冷え込んだ気がした。十二単を纏う榎たちは平気だったが、防壁の中では、周が体を震わせて空を仰いでいた。薄着では寒いと思われる。
 青白い光と雪が反応して、さらに冷気が広がる。やがて、旋風みたいに渦を巻いた風が光を取り囲み、雪が吹雪となって周囲に降り乱れた。
「風乱れ 降り頻る雪 地に積もる 君と包めや 白き壁かな」
 光の中から聞こえてくる詩。風と光が治まると共に、中の様子が見え始めた。
 薄い青色を基調とした十二単を身に纏った柊が、その場所に立っていた。頭には落ち着いた配色の、冬牡丹の髪飾りがついている。
 手には、長い鉄の柄と、大仰な鉈の刃がついた、大きな薙刀を軽々と握り、構えていた。
「――冬姫、見参や!」
「何だとぉー!? 柊が、冬姫……?」
 華麗にポーズを決める柊を垣間見て、榎は驚きの声を上げるしかなかった。
 まさか、よりにもよって、柊が三人目の仲間だなんて。榎の中で色々な気持ちが重なり合って、すぐには収拾がつきそうになかった。
「ほれ、見いや。榎にできるんや、うちにもできるに決まっとる!」
 動揺している榎を見て、柊はお得意の馬鹿にした笑みを浮かべた。冬姫に変身して、さらに図々しさが増した気がする。
「すごいどす。四季姫はんが、三人も揃うたどす!」
 奇跡的な瞬間、と言わんばかりに、周が感動して拍手していた。
 同様には、素直に喜べない榎だった。
「榎! 驚いとらんと、さっさとこの刀、倒してまうで! ぼさっとしとったら、うちが一人で終わらせてまうぞ!」
 柊は機嫌のいい声を張り上げて、挑発してきた。我に返った榎は、慌てて剣を構える。
「させるかよ、あたしの獲物だ! 〝竹水の斬撃〟!」
 不意をつき、榎は妖刀めがけて技を繰り出した。体を乗っ取られている虚無僧はただの人だから、傷つけるわけにはいかない。狙いはあくまで、刀一点だ。
 だが、妖刀は榎の技を軽くかわしてきた。相手は卓越した戦闘能力を有している。榎の攻撃範囲を即座に見切って、ダメージを受けない一歩手前の場所に、常に立ち居を置いていた。
「間合いを計って、あたしの剣を避けていやがる……!」
 榎は苛立ち、舌を打った。
「剣は間合いがみじこうて、不便やなぁ」
 隣で見ていた柊が、呆れた口調で肩を竦めた。長い薙刀を振りかざし、妖刀めがけて攻撃を繰り出す。
 薙刀はリーチが長い。攻撃の範囲外に逃れようとすると、剣を相手にしているときよりも遠くへ退かなければならない。
 妖刀は薙刀の攻撃範囲を完全に見切れなかったらしい。より懐まで突っ込んでくる鉈の刃を、刀で防ぎながら、辛うじて体勢を保っていた。
「ほれ、もっと遠くに逃げへんと、薙刀の餌食になりまっせ!」
 柊はさらに一歩踏み出し、妖刀を弾き飛ばした。
 柄が長い武器は、一振りに掛かる時間が長い。小回りが苦手で、手元の隙が多いが、遠心力が生み出す攻撃力は、剣の一振りとは比べ物にならない。
 虚無僧を間合いの外へ弾き飛ばした柊は、軽く肩の力を抜いて直立した。
 目を閉じて、体中から凍てつく気を発して、薙刀へと送り込んでいた。
「骨まで固めて、砕いたる! 〝氷柱つららの舞〟!」
 薙刀の刃に、青白い力がまとわり付く。柊が勢い良く薙刀を振り回すと、刃先から強烈な冷気がほとばしった。
 薙刀は地面に突き刺さった。途端に地面が凍り初め、周囲をあっという間に凍らせた。
 地面から尖った氷が無数に飛び出し、氷の圏内にいるもの全てに、襲い掛かる。
 榎も例外なく襲われ、慌てて飛び退いて逃げた。着物の袖が、凍りつく。寒さのせいで、体が上手く動かない。
「寒い! お前の技、怖いぞ! あたしまで巻き込むつもりか!」
「間合いの中に入っとるからやろうが! ちゃんと避けんと、氷漬けになるでぇ!」
 本当に、冷気に触れたものは、なにもかもカチコチに凍っていた。石も草木も、何もかもが、閉ざされた氷の世界に囚われた。
 逃げ遅れた虚無僧も、巻き込まれていた。足が凍りつき、動きを封じられていた。妖刀の本体にも大量の霜が張り付き、手もかじかんで動かない様子だった。
 完全に、虚無僧と妖刀は沈黙した。あとは刀を引き剥がして、倒せばいい。
 悔しいが、今回は完全に柊の一人勝ちだ。榎には、戦いに入り込む隙もなかった。
 諦めて退こうとしたとき。柊が薙刀を地面から抜き、肩に担いでその場から身を引いた。
「坊さんの足も、刀の動きも止まったで。譲ったるから、とどめ刺し」
 榎は唖然として、柊を見た。何を言われているのか、認識するまで時間が掛かった。
「何だよ、余裕の顔して。お前が倒せばいいだろう? それとも、あたしを馬鹿にしているのか?」
 ようやく理解すると共に腹が立ち、榎は声を荒げた。世話をしてやって、いいところは持って行けなんて、柊らしくない。不愉快だった。
 柊は榎の側で立ち止まり、無表情で見つめてきた。
「この勝ちは、うち一人では果たせんかったもんや。榎や椿が必死で戦う姿を見たから、うちも本気が出せた。榎が戦いの幕を開いたんや、最後も、きっちりと締めんかい」
 戦いの場において勝利したとき、もっとも大きな功績として称えられる者は、敵の総大将の首を取ったものだ。
 今の戦いならば、その功績とは、妖刀に止めを刺す行為だといえる。柊が初めて覚醒して、一人の力で妖怪を倒した。その武勇伝を持っていれば、それだけで榎を打ち負かせる格好の材料になるはずだ。
 なのに、柊は榎に一番の武勲を譲った。柊は榎の上に立つよりも、上の立場を譲る行動に出た。
 柊に、邪な虚栄心がない証拠だ。
 榎は複雑な気持ちで、柊を見ていた。
「なーんて、偉そうな口叩いとるけどな。適当に暴れとったら手が痺れて、上手く動かへんねん。これ以上、薙刀振り回すの、無理やわ」
 気付けば、いつもの飄々とした笑顔に戻っていた。柊は軽く榎の肩を叩き、後ろへと歩いて行く。
「あと、任せたで。夏姫」
 すれ違いざま、柊が囁いた。
 妙に、榎の心が締め付けられた。子供みたいに喚いて、反発していた榎自身の態度が、馬鹿みたいに思えてくる。
 張り合っていた物の意味と相手を取り違えていた気がして、急に、今までの勢いが恥ずかしくなった。
 戦い、乗り越えるべきものは、榎自身の、弱い心。
 やっと気付いた。柊は敵ではない。榎自身が壁を乗り越えるための、追いかけるべき目標だ。
「ありがとう、冬姫」
 榎も自然と、囁いていた。
 無意識に、体が動く。剣を構えて、凍りついた妖刀めがけて、力を蓄える。不思議と、以前よりも体を流れるエネルギーを潤滑に誘導できた。
 この気持ちが、素直になる、という感覚なのだろうか。
 何となく、気持ちが晴れやかだった。
「食らえ、〝真空断戯〟!」
 真空派の刃が、氷を切り裂いて目の前の空間を走る。妖刀の黒い刀身に直撃し、刃が真っ二つに折れた。
 断末魔の悲鳴を残して、妖刀は消滅した。
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