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第一部 四季姫覚醒の巻

第五章 冬姫覚醒 10

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 虚無僧の異様な動きと、ただならぬ気配に、榎は警戒して竹刀を構えた。
「何だこいつ、動きが変だぞ!?」
「刀を握った腕だけが、動いとる。……気持ち悪っ!」
 柊も虚無僧の異質さを把握し、防衛の体勢をとった。
 榎たちを前にして、虚無僧は体をゆらゆらと左右に動かし、直立するためにバランスを取っていた。音楽室に置いてある、メトロノームみたいな規則的な動きだ。
 さっきまでとは、明らかに様子が違う。虚無僧の動きを観察していると、榎は妙な事実に気付いた。
 籠を被った虚無僧の首は、がくりと項垂れている。足元はおぼつかないし、刀を握っていない反対の腕は、だらりと重力に圧されるがままに、下へ落ちていた。
 この男、気を失っている。気絶しているのに、動いている。
 いや、何かに動かされているみたいだ。
「宿主は意識をなくしたが……構わぬ。我だけでも充分、この体、動かせる!」
 刀を握った腕は、ぶれずにしっかりと構えられていた。妙にぬらぬらとした刃が、まっすぐに榎たちに狙いを定めている。
 虚無僧の足が、ゆらりと動いた。直後、この凄い速さで切り付けてきた。
 真剣を、竹刀や木製の薙刀では防ぎきれない。紙一重で、榎と柊は両側へ飛び退いて攻撃をかわした。少し避けきれず、榎の胴衣の裾が切れた。かなり鋭利な刀だ。
「どないなっとるんや。急に、めっちゃ強うなりよったで!」
 柊の動揺する声。柊の胴衣の端も、一部に切れ込みが入っていた。
 操り人形みたいにぎこちなく、虚無僧は動く。しっかりした動きだったら、今頃、榎と柊は一刀両断の下に斬り捨てられていただろう。
 榎は、虚無僧の手に握られた黒い刀を見つめた。刀身から、妙な妖気が立ち上っている気がして、少し後ずさった。
「この感じ……。逃げろ、柊! こいつは人間じゃないぞ!」
 柊に忠告し、榎は虚無僧から距離をとった。
「人間やないて……。ほんなら、何やねん!?」
 困惑した顔で、柊は榎と虚無僧を交互に見ていた。動揺しつつも、異様な気配は感じ取っているらしく、すかさず退避しはじめた。
「我は妖刀ようとう。古来より数多の強者たちの生き血を啜り、力を求めし者に取り付いて、今まで生き抜いてきた。我を侮辱せし者、許すまじ。この場で斬り捨ててくれる。肉を切り、血を流し、我が身を潤す糧となるがいい」
 再び体勢を整えた虚無僧が、低い声で語った。
 正確には、虚無僧が話しているわけではない。声は明らかに、手元の刀から発せられていた。
「妖刀――妖怪か!?」
 間違いなかった。妖怪の中には、単純に存在するものだけではなく、物や人間に取り憑いて影響を及ぼしてくる者も存在する。榎自身、貧乏神に取り憑かれていた経験があるから、その恐ろしさは良く分かっていた。
 刀の姿をした妖怪は、この虚無僧の体を乗っ取って、周囲に多くの危害を加えている。今までに対峙してきた妖怪よりも、恐ろしさと残酷さが際立っている気がした。
「なんと。状況が変わってきたどすな」
 周が楽しそうに声を上げた。
「えのちゃん。変身して、戦いましょう!」
 桜の花の形をした髪飾りを握り締め、椿が榎の側に駆け寄ってくる。榎は強く頷き、懐から百合の髪飾りを取り出した。
 榎と椿は変身し、夏姫と春姫になった。
 その一部始終を目撃していた柊が、唖然とした顔で立ち尽くしている姿が見えた。
 だが、事情を話している暇はない。榎が剣を構えて妖刀を牽制している間に、椿が笛を吹いた。
「さっちゃんたちは、椿が守るわ。〝守護の旋律〟!」
 河原に、ぼんやりとした光を放つ防壁が出現した。
「委員長、柊を連れて防壁の中へ!」
 榎の指示に、周は頷いて、まだ呆然としている柊の腕を掴んで引っ張った。
「柊はん、この場は、あの二人に任せておくどす。普通の人間では、側におっても足手まといになるだけどすから」
「普通の人間って……。榎と椿は、何やっちゅうねん!?」
 周の物言いも理解できないらしく、柊は錯乱して、声を張り上げていた。
「詳しい説明は、後でするどす。今は引きましょう」
 パニックに陥っている柊を宥めながら、周は防壁の中へと入った。
 これでようやく、周囲の人間に危害を与えずに、存分に戦える。
 榎は闘志をたぎらせ、妖刀を睨みつけた。
「独特な気の流れを感じる。主、ただの小娘ではないな」
 妖刀が、榎に興味を示した。ゆらりと虚無僧の体を動かし、榎に切っ先を向けてくる。
「お前を倒す人間――陰陽師だ」
 榎が名乗ると、妖刀は低い声で笑い出す。手に握られた妖刀の本体である刀が、小刻みに震えていた。
「面白い。強き者の血を吸いたいと、我の刀身が疼いておる。いざ、尋常に、勝負!」
 素早い動作で、妖刀が踊りかかってきた。不規則で奇妙な動きは先が読めず、榎はひたすら、飛んでくる切っ先を剣で弾いた。刃がぶつかり合うたびに火花が散る。激しい振動が伝わってきて、手が痺れた。何とも強烈な剣戟だ。
「強い……! 今までに戦ってきた妖怪とは、格が違う!」
 妖刀は、今までの下等妖怪みたいに、宵月夜の召集を受けて榎たちを狙っていたわけではない。妖怪たちが属しているグループには入らず、個人で人間を襲っている。そんな感じだ。
 以前、月麿から聞いた。妖怪は強ければ強いものほど、群れでの行動を嫌い、個々に縄張りを形成して自由気儘に生活をしていると。宵月夜みたいに、弱い妖怪を統制して囲い込む行為のほうが、珍しいと言う。
 つまり、この妖刀はかなりの力を持ち、独立して存在している、中級以上の妖怪というわけだ。いくら榎たちが実践を積んで強くなったとはいえ、一筋縄では勝てなさそうな相手だった。
「温いわ! もっと我を楽しませよ! お前の血を吸わせよ! 我はまだまだ、強くなれるぞ!」
 剣戟を防いでばかりの榎とは裏腹に、妖刀は激しい猛攻を繰り出してくる。目の前に強そうな人間が現れて、気持ちが昂ぶっているらしい。
 相手に強い、と認識してもらえる分には嬉しいが、現実はやはり、実力不足が否めない。
 椿も背後から、笛を奏でて援護してくれているが、妖刀に直接ダメージを与えるには至らない。それだけ、妖刀が強いというわけだ。
 もう少し、高い攻撃力を持って連携を取れれば、あるいは押し返せるかもしれないのに。
 榎一人では、妖刀の隙を作り出せなかった。
 苛立っていると、何かが妖刀の刃を、榎の剣から弾いた。妖刀は一旦、背後へ飛びずさり、体勢を整える。
 榎も防戦一方の状態から開放され、呼吸を整えた。
「なんや、榎。立派なおべべ着て格好つけとる割には、圧されとるやないか」
 隣に、柊が立っていた。言うまでもなく、柊が榎を助けてくれた。
 四季姫でもなく、武器だって木作りの薙刀一本なのに、ものすごい覇気が感じられた。
「癪だけど、助かった」
 柊のお陰で仕切り直しができた。その点は事実なのだから、素直に礼を言う。柊は薙刀を構えて、妖刀を睨みつけた。
「ようわからへんけど、この坊主はただの人間と違うんやろう? 感じるわ、近くにおったら、さぶいぼが立ってきよる」
 柊は相変わらず笑みを崩さないが、背中を身震いさせていた。
「敵はお坊さんとは違うよ。たぶん、意識を乗っ取られて、操られているんだ。本体は、手に握っている刀だ」
「ほんなら、あのボロい刀をぶっ壊したらええんやな!?」
 榎の説明を聞くと共に、柊は妖刀に飛び掛っていった。
「ひいちゃん、無理よ! 木の薙刀で本物の刀になんて、勝てないわ!」
 椿が呼び止める。明らかに無謀だ。
 妖刀は、向かってくる柊を切り捨てんと、素早く刃先を動かした。頬の薄皮を斬られながらも、柊は攻撃をかわして、薙刀を振りかざす。
 だが、木で作られた練習用の武器では、歯が立たない。妖刀に受け止められ、長い柄が真っ二つに切れた。
 妖刀はすかさず、柊の心臓めがけて突きを繰り出す。榎は素早く間に割り込み、剣で刀を弾いた。
「こいつは、あたしが倒す! 柊は、委員長の側に逃げろ!」
 武器をなくした柊を庇い、榎は大声を張り上げた。いくら気に入らない相手とはいえ、巻き添えにはさせられない。
 少なくとも、柊はお遊びではなく、榎たちと同じ気持ちを持って、妖刀に立ち向かっているのだから。
「アホぬかせ! 榎にできて、うちにできへんもんなんて、あらへん! うちはな、無理と言われるほど燃えるんや! やったろうやないか!」
 使い物にならなくなった薙刀の柄を握り締め、柊は榎に怒鳴りつけた。
 直後。青白い光が、柊の体を包み込んだ。
「この光って、まさか……!?」
 榎は光の眩しさに、目を細めた。妖刀もただならぬ気配を感じてか、動きを止めて身構えた。
 ――ひやり。
 十二単の隙間から、冷気が入り込んできた。あまりの寒さに、榎は思わず、鳥肌を立てて身震いした。
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