上 下
32 / 336
第一部 四季姫覚醒の巻

第三章 春姫覚醒 4

しおりを挟む

 今日は金曜日。福祉部の活動がある日だ。
 四季ヶ丘病院のロビーは、風邪の診察で訪れる患者たちで、ごった返していた。薬を処方されても、いっこうに治らないらしいが、みんな医者に縋るしか、安心する方法がないのだろう。
 人込みを避けつつ、榎は単身、綴のいる個室を訪れた。
「お久しぶりです、綴さん」
  榎は丁寧に挨拶をした。ベッドに身を横たえた綴は、榎の姿を見て、嬉しそうに微笑んだ。
 何だか、綴の笑顔が、弱々しく感じられた。榎は少し、心配になった。
「顔色が悪いですけれど、大丈夫ですか?」
 綴は力無く頷いた。全然、平気そうには見えなかった。
「寝不足気味でね。最近、夢見が悪いんだ。寝るのがちょっと、怖い時があるんだよ」
 綴には、不思議な夢を見る力があった。眠っている時に、どこか別の場所で起こっている出来事を夢に見る、特異な能力だった。綴が榎を気にかけてくれて、互いに秘密を共有する仲になったきっかけも、綴が榎の姿を夢に見たためだった。
 今度は、どんな夢を見たのだろうかと、榎は気になった。
「榎ちゃん。……先日は、妹が大変な失礼をしたね。申し訳なかった」
 尋ねてもいいだろうかと考えていると、先に綴が口を開いた。
「奏が、あんな馬鹿な商売をしているとは、まったく知らなくてね。一歩間違えれば詐欺だろうが、何を考えているんだ、あいつは……」
 綴は額に手を当てて、幻滅した顔でうなだれた。
 綴は、夢の中で、妹の奏が妖怪と戦う場面を夢に見たのだと悟った。確かに、奏の姿や行動力には、榎も驚かされた。綴も、榎以上の衝撃を受けたに違いない。
「君に口を挟むだけではなく、戦いの邪魔までするなんて。また後日、よく叱っておくから」
「叱らないであげてください。あたしの早とちりで、巻き込んだんです。なのに奏さんは、あたしを助けてくれました」
 表情を曇らせて、怒りをあわらにする綴を、榎は慌てて宥めた。
「綴さん、夢で断片を見ただけで、流れをちゃんと理解していないでしょう? 全部お話ししますから、奏さんへの誤解を解いてください」
 綴の見る夢は、いつも途切れ途切れで、うまく内容を把握できない場合が多いと、前に聞いた。だから今回も、断片を良くない方向に繋ぎあわせて、悪い連想をしているに違いないと思った。
 奏への誤解を解くために、榎は一から全て、丁寧に綴に説明をした。
 綴はメモをとりながら、榎の話を真剣に聞き、何度も頷いていた。
「君は奏を、四季姫の仲間だと思ったんだね。だから共に戦おうとしたのか」
 納得した様子の綴の言葉に、榎は首肯した。
「はい。残念ながら、違いましたけれど。奏さんは、あたしみたいな力も持っていないのに、果敢に妖怪に挑んで、戦ってくれました。宵月夜を追い払えた勝因は、奏さんなんです。……だから、叱らないであげてください」
 必死で訴える榎を見つめて、綴は優しい顔で微笑んだ。
「榎ちゃんは優しいね。分かった、今回の件は、榎ちゃんに免じて、不問にするよ」
 綴の言葉に、榎は安心した。
「じゃあ、榎ちゃんの仲間探しは、また振り出しに戻ってしまったんだね」
 綴の言葉に、榎は少し落ち込んで、首を縦に振った。
「なかなか大変ですよね。居場所も、四季姫として目覚めているかも分からない仲間を、自力で見つけるなんて」
「榎ちゃんも、少し顔色が悪いね。仲間探しに、苦労をしているのかな」
 心配そうに、綴が労ってくれた。
「目の下に隈ができているし、瞳も落ち込んでいる。かなり疲れているね」
 綴が真剣な形相で、榎の頬に手を懸けた。上半身を起こし、榎に顔を近づけてきた。
 すぐ目の前に、綴の顔が迫ってきた。榎は反射的に、背中を反らせて後ろへ逃げた。心臓が激しく高鳴っていた。
 綴は榎の反応に驚き、慌てた様子で手を引っ込めた。
「ごめんね、急に、驚かせて……」
  困惑した表情で、綴は榎に謝ってきた。
「いいえ、あたしこそ、すいません……」
 榎は姿勢を元に戻し、罪悪感に囚われた。綴は榎を心配してくれていたのに、思わず拒む仕種をとってしまった。びっくりして無意識に体が動いたとはいえ、綴を傷つけただろうかと思った。
 しばらく沈黙が続いた。榎はそーっと、綴に視線を向けた。綴は少し気まずそうな顔をして、俯いていた。
 やがて、軽く咳ばらいをして、榎に向き直った。榎は緊張して、背筋を伸ばした。
「あまり、必死になって探さなくても、案外、近くにいるかもしれないよ。他の四季姫たち」
 無理矢理、話を切り替えて、綴は榎に言ってきた。突飛な話に、榎は一瞬、唖然とした。
「どうして、近くにいると思うんですか?」
 尋ねると、綴は真剣な表情で、まっすぐ前を見ていた。
「いてくれないと、ストーリーが続かない」
「ストーリーが?」
 予想外の返答に、榎は素っ頓狂な声をあげた。驚いている榎を見て、綴は少し恥ずかしそうに笑った。
「僕の勝手な希望。物書きの性分でね、物事がスムーズかつ、合理的に進まないと、嫌なんだ」
 最初は榎も唖然としていたが、綴の笑みを見ていると、何だかとても、気持ちが安らいだ。
 つられて、榎も笑っていた。
「本当に、近くにいてくれるといいですね」
 榎の言葉に、綴は強い態度でうなづいた。
「鍵はこの京都にある、とは考えても良さそうだよね。榎ちゃんだって、京都にやってくるまで、夏姫として目覚めなかったわけだし、妖怪や陰陽師に関連がある土地柄、他の仲間たちも、無意識に京都内に集まっている可能性は高いと思う。かなり、範囲が絞れるかもしれないよ?」
 綴の憶測は、的を射ていると思った。かつて、平安の京が栄えていた場所は京都だし、残りの四季姫も、きっと京都のどこかに住んでいると考えても良さそうだった。京都も広いが、日本全国や、世界中を探す場合と比べれば、かなり望みは大きかった。
「綴さんのいう通りかもしれませんね。ありがとうございます、頑張って探してみます」
 がぜん、やる気が出た。意気込む榎を見て、綴も嬉しそうに微笑んでいた。
 いい具合に、病院を出る時間になった。榎は立ち上がり、綴に頭を下げた。
「変な風邪が流行っているらしいので、綴さんも気をつけてくださいね。さようなら」
しおりを挟む

処理中です...