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第一部 四季姫覚醒の巻

第三章 春姫覚醒 2

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「――えのちゃん、えのちゃんってば!」
 突然、体を大きく左右に揺すられ、榎は意識を取り戻した。
 目を開き、隣を見ると、困った表情を浮かべた榎のいとこ――如月椿の顔が、視界に飛び込んできた。
「ふあっ! 何? どうしたの、椿?」
「どうしたの――は椿の台詞! えのちゃん、ご飯を食べながら、寝ちゃ駄目でしょ!」
 怒られて、榎はようやく、如月家の人たちと、ちゃぶ台を囲んで夕食を摂っている最中だと気付いた。
 榎は箸と茶碗を持ったまま、いつの間にか眠っていたらしい。
「ごめん。お腹が膨らんできたら、気が抜けちゃって」
「榎さん、部活も遅うまで頑張ってはるみたいやけど、根つめたらあきまへんで? もうすぐ中間テストやし、もっと疲れるで?」
 椿の母――桜が、心配そうに声をかけてきた。
 確かに、榎は毎日の生活に疲れきっていた。学校に行って授業を受け、部活をこなし、放課後や夜は妖怪退治。正直、多忙すぎて体を休める時間が、ほとんど取れていなかった。
「はい、大丈夫です。ご心配をかけて、すみません」
 周囲を不安にさせまいと謝るが、謝罪の言葉からして、うまくろれつが回らず、気力が抜けていた。桜や椿が心配しても無理のない、体たらくだ。
「一つのものに全力投球するところは、義兄さん譲りやなぁ。悪いこっちゃない、短い青春や、楽しまな!」
 椿の父――木蓮もくれんだけは一人、榎の生き様を豪快に笑い飛ばした。
 食事が終わり、おぼつかない足取りで、榎は階段を登った。
「ねえ、えのちゃん。いつも部活で、遅くまで学校に残っているのよね? 練習が終わる時間が遅いから、椿と一緒に帰れないのよね?」
 前を歩いていた椿が、ふいに振り返って、尋ねてきた。
 榎はこっくりと、頷いた。
「うん、部活なんだ。毎日、練習がハードでさ」
 夏姫に変身して、妖怪と日々戦っている件は、椿には内緒にしてある。いつも放課後、部活が終わると一緒に帰ろう、と誘いに来てくれる椿に、嘘を吐いて断り、こっそりと妖怪退治に出向いていた。
 初めて如月家にやってきた日みたいに、椿が妖怪の悪事に巻き込まれてはいけないと、榎なりに配慮しての気遣いだった。
 そもそも、普通の人に妖怪は見えないのだし、話したところで信じてもらえないと思っていた。なので、最初から話すつもりはなかった。
 ところが、榎の意図とは裏腹に、椿は榎と一緒に家に帰れない日々に不満を感じているらしく、時々、突っ掛かって来る時があった。その都度、言い訳を考えて乗り切ってきたが、今日の椿は、いつもよりもしつこかった。
「今日も放課後、剣道の練習をしていたの?」
「そうだよ、練習していたんだ」
 即答すると、椿は目を細めて、榎をじっと見つめた。
「椿ね、前に部活が終わってから、体育館に覗きに行ったんだけれど、卓球部の人から、剣道部の練習、とっくに終わったって、言われたの」
 椿の鋭い一言に、榎は一瞬、ひるんだ。
「ああ、あのね、普段の練習は、早く終わるんだけれど、新入生は特別稽古っていうのを、別の場所でつけてもらっているんだ。体育館は、使っていないんだよ」
 慌てて、嘘をついた。榎的にはうまくつけたと思っていたが、椿はなんとも胡散臭そうな表情を向けてきていた。
「へぇ、別の場所で。……一昨日の夜中、えのちゃん、どこかに行っていたわよね?」
 またしても痛いところを突かれ、榎は驚いて階段から滑り落ちそうになった。
 確かに一昨日の夜は、こっそり家を抜けだして、明け方近くまで妖怪退治に繰りだしていた。
「行ってないよ!? 夜中なんて、熟睡しているよ」
 必死で、首を大きく横に振った。椿は榎の否定に対して、同じく首を横に振って見せた。
「嘘よ。椿、夜中に物音で目が覚めて、えのちゃんのお部屋を覗いたの。布団はもぬけの殻で、えのちゃん、いなかった」
「とと、 トイレに行っていた時かな?」
「一時間、待っていたけれど、帰ってこなかったわ」
「何で待ってるの!? いや、その、お腹壊しちゃってて、ずっとトイレに篭ってたんだよ。本当だって」
「ふうぅ~ん。 トイレでねぇ?」
 全く信用していない表情で、椿は榎をじっと睨みつけていた。榎は体中から嫌な汗を吹き出しながら、必死で椿の視線を耐え抜いた。
 榎から何も聞き出せないと諦めた椿は、ようやく榎を解放して、機嫌悪そうに、自室へと入って行った。緊張の糸が切れた榎は、床にへたりこんだ。
「まずいなぁ、椿が感付きそうになってる……」
 明日からどうやって、椿の目を誤魔化そうか。榎の心労が、また一つ追加された。
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