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第一部 四季姫覚醒の巻

第一章 夏姫覚醒 9

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 長い石段を登り、再び寺の境内へ戻ってきた榎を、如月家の三人が出迎えてくれた。
「榎さん! 随分、探したのよ。大変、服が……。あの泥棒と戦ったんですか!?」
 椿が一番に駆け寄ってきて、榎の無事を確認してきた。切り裂かれた衣服を見て、悲痛な表情を浮かべた。
 泥棒にやられたものだと、勘違いされている。貧乏神にやられたなんて、説明しようがないから、好都合ではあったが。
「大丈夫、怪我はしていないから。泥棒には逃げられちゃったけど、通帳と印鑑は取り戻したよ」
 泣きそうな椿を宥めて、持ち帰った通帳と印鑑を差し出した。続いて駆け寄ってきた桜が、榎を見て声をあげた。
「まあまあ、あなた一人で? ……榎さん、堪忍やで!」
 突然、桜は謝った。直後、桜の腕が目にもとまらぬ速度で動き、榎の頬に激痛が走った。
 桜に頬を叩かれたのだと気付いた時は、何秒も経ってからだった。
「ママ! どうして榎さんをぶつの!? うちの通帳を取り返してくれたのに」
 抗議する椿を脇に避け、桜は榎の目の前に立った。痺れる頬を押さえ、榎は呆然と桜をみつめた。
 桜は、ものすごい形相で怒っていた。
「榎さん、あんた、まだ子供や。武器を持った大人に飛び掛っていくなんて、子供のする仕事や、あらしまへん。万が一の事態になったら、どないしますんや。あんたを預かる責任のある私らも、お家で、あんたの無事を願うとるご家族の人も、不幸にしてしまうんよ」
 榎の無鉄砲な行動を、叱ってくれているのだと気付いた。
 本当の母親と同じくらい、本気で怒ってくれていた。
 榎は急に罪悪感に襲われ、目尻に涙が溜まった。
「……ごめんなさい、無茶しすぎました」
 素直に謝った。頭を下げると、涙が下へと数滴、落ちていった。
「……分かっとるなら、ええんよ? もっと体を労わりなさいな。堪忍やで、いきなり叩いてしもうて」
 桜も慌てて、再度謝りながら榎の肩に手を置いた。
「まあまあ、ええがな。終わりよければすべてよし。さすが姉さんの子やわ、度胸がすわっとる」
 側で木蓮が大声を上げて笑った。
 木蓮と桜の話によると、榎が追い払ったあと、泥棒は無事に警察に捕まったらしい。悪い奴はみんないなくなった。榎はようやく、肩の荷を下ろせた。
「もう夕方になっちゃったね。榎さん、お昼も食べてないから、お腹すいてるでしょ? 早く中に入って、みんなでご飯にしましょ」
 もう、夕暮れ時だ。椿の勧めで、榎は如月家の人々と、家の中に入った。
 暖かい室内には、ほんのり和風出汁だしの匂いが漂っていた。
「榎さん、先にお風呂に入りなさいな。夕飯の支度まで、まだ時間がかかるさかいな」
「はい、ありがとうございます」
 台所へ向かう桜にいわれ、榎は部屋に着替えを取りに戻って、そのまま浴室へと向かった。
 脱衣所で衣服と下着を脱ぎ捨てた。ふと、ズボンのポケットに硬いものが入っているのに気付き、取り出した。
 百合の花の、髪飾り。
 寺に戻ってきた今になると、なんだか今日の出来事がすべて、夢だった気がした。
 でも、夢ではない。榎は確かに、夏姫として目覚めて、妖怪を倒す力を手に入れた。
「これから、夏姫になって戦うっていったけど、みんなに迷惑をかけちゃうかな……」
 さっきの桜の言葉が、深く胸に突き刺さっていた。榎の身が万が一、危険にさらされれば、悲しむ人たちがいると、実感した。
 家族も、如月家の人たちも。
 榎は、危ない戦いに身を投じるより、普通の学生として生活したほうがいいのかもしれない。
「だけど、麿と約束したしなぁ。いまさら断ったら、怒るかなぁ」
 月麿の怒った姿を想像する。快く開放しては、もらえなさそうだ。
 う一んと唸って悩んでいると、突然、脱衣所と廊下を結ぶ扉が、激しい音を立てて開け放たれた。
「榎すわん! 椿、落ち込んでいる榎さんを励ますために、一世一代の勇気を振り絞って入ります! お背中、流させてください!」
 バスタオルを脇に抱えた椿が、真っ赤な顔をして飛び込んできた。榎は服で体を隠すのも忘れて、素っ裸で、突っ立ったまま椿を見つめた。
「……あれ? 榎さん……って、女の子なの!?」
 榎の姿を見た椿は、体を硬直させていた。
 しばらく無言の時間が過ぎ、椿の顔がさらに赤く染まった。
「ごめんなさ―い! 椿、ずっと榎さんを男の子だと思ってて、一生懸命、猫かぶって、営業スマイルしてましたぁ!!」
 椿の大声を聞いて、榎はなんとなく理解した。椿から感じた苦手意識や、妙な言動やテンションは、椿が榎を、ずっと異性だと思って接していたせいだったらしい。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい―!! 椿は、なんて失礼な態度を……!」
「いや、あの、椿さん……。いいよ、男子と間違えられるなんて、しょっちゅうだし」
 何度も謝ってくる椿を宥めた。椿は脱力して、床に座り込んだ。
「は―、嫌な汗かいた。榎さんも、人が悪いわ。女なら女だって、最初に言ってくれればよかったのに」
「まさか、男か女かで態度が違うとは、想像もしていなくて。ごめんなさい」
 榎が悪いわけではないが、いちおう謝った。
「よく考えてみれば、いとこだからって、年頃の娘がいる家で年頃の男を預かるなんて、パパが許すわけないもんねぇ。ひどいわ、みんなして、椿を騙していたのね!」
 騙していたのではなく、椿が勝手に勘違いしていただけでは。と何気なく思ったが、口には出さなかった。
 ぶつぶつと、しばらく文句を垂れていた椿だったが、やがて喝を込めた声をあげ、勢いよく立ち上がった。
「椿のこと、さん付けしなくてもいいよ! 気軽に椿って呼んで!」
 椿は笑顔で、榎に言った。初めて見る、ごく自然な笑顔だった。
 榎が頷くと、椿は少し考える素振りで、
「あなたは、そうねえ。えのちゃんって、呼んでもいい?」
 楽しげに訊いてきた。
 驚いた榎は、顔が火照った。
「えのちゃん!? いや、なんというか、その……」
「嫌? 別の呼び方がいいかなぁ」
「ううん、いいよ。そんな呼ばれ方、初めてだから、吃驚しただけ」
 再び考えだす椿を制止させ、榎は素直な気持ちを言葉にした。榎の返事に、椿は喜んで笑みを浮かべた。
「よかった、えのちゃんが女の子で。これからも仲良くしてね、えのちゃん!」
 榎の表情も、自然に綻んだ。
「うん、改めて、よろしくね」
 風呂で旅と戦いの疲れを癒したあと、夕食をごちそうになった。
 夕食は鴨鍋だった。癖のある鴨肉は少し苦手だったが、味付けがとても上手で、とても美味しかった。
 突然やってきた榎を、温かく歓迎してくれた如月家の人々。これ以上、不幸な目に遭わずに、楽しく暮らしてほしい。
 榎はずっと、考え直していた。
 月麿に従って妖怪と戦おうと、再び決心を固めた。
 食事を終え、榎は広い和室で床についた。
 京都で始まる、新しい生活。なにが起こるかわからないし、周りに迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、榎にできる全てを精一杯、頑張ろう。
 不安を押し殺して、百合の髪飾りを握り締め、誓った。
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