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第三部 四季姫革命の巻

第二十九章 姫君帰還 3

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「みんな、今度は絶対に、手ぇ放すなや!」
 地脈の激しい流れに抗いながら、柊が声を張り上げる。
 行きは何とか無事に時を渡れたが、それも偶然に過ぎない。今度こそ、逸(はぐ)れたら一生、元の時代に戻れなくなるかもしれない。全員で無事に帰るためにも、繋いだ手だけはしっかり握っておかなければ。
 だが、残酷にも強烈な地脈の流れによって握力が奪われ、握った手同士の摩擦が減り、徐々にすり抜けそうになる。
「このままじゃ、また散り散りになる……」
 どのくらい、流れに揉まれているのか分からないが、みんなの力もそろそろ限界だ。
「見えたわ! あそこが出口よ!」
 椿の声で、榎は顔を上げた。少し先の、地脈の支流と分岐している辺りに、小さな穴が見えた。その穴は段々と大きくなり、丸く取り囲んでいる複雑な紋様も、はっきりと見えるようになった。
 間違いない、あの穴が現代に通じる出口だ。
「もうちょっとどす。何とか、持ち堪えてください!」
 あと僅かだというのに、また強い流れによる衝撃が加わり、みんなの体のバランスが崩れかかる。
 穴まで届くか届かないか。瀬戸際だ。
 万が一のことを考えると、ここで堪えるよりも、助かるために行動を起こしたほうがいい。
 榎は手を放して、素早く剣を構えた。
「みんな、あたしが後ろから押し飛ばす! あの穴に突っ込むんだ!」
「待って、えのちゃん! そんなことしたら……」
「いっくぞおおおおおお!!」
 榎は剣の風圧でみんなの体をひとまとめに集め、剣の腹で思いっきり、打ち飛ばした。
 吹っ飛ばされ、一番出口に近い場所に到達した柊が、片手で門の端を掴み、反対の手でみんなを一気に、穴の外に送り出す。続いて榎の剣の鍔を薙刀を伸ばして引っ掛け、引っ張ってくれた。
 だが勢いが足りず、柊が穴の外に出た直後に、榎はバランスを崩した。すかさず門の際に剣を突き刺して、何とかしがみついた。
 何とか剣に重心を預けて、門まで手を伸ばそうとするが、地脈の流れの強さと握力の低下で、思うように体が動かせない。
「えのちゃん、駄目ぇ!」
「榎はん、早う手を伸ばしてください!」
「しっかり伸ばさんかい! 一人だけ戻ってこんかったら、一生許さんで!」
 みんなが門から再び首を突っ込み、手を差し伸べてくる。榎は何とかその手に掴まれて、引っ張り戻された。
 しかし、もう一歩のところで、支えにしていた剣が抜け、一気に体勢を崩す。みんなの手も衝撃で離れ、榎は瞬間的に、宙に放り出される。手を伸ばしても、僅かに出入口に届かない。
 もう、駄目なのか。
 瞬間的に、榎の頭の中に色々な感情が、浮かんでは消えた。
 仮に現代に戻れて、歴史が正しく流れるようになっていたとしても。
 榎は本当に、あの時代の続きに戻りたいと思っていたのだろうか。
 伝師の未来を守れたのだから、綴の存在はこの世界からは消えない。
 でも、命は?
 あそこまで衰弱していた状態で、無事でいるのだろうか。
 もし、現代に戻れても、綴の命が保たなかったら。
 それに、仮に保てていたとしても、どんな顔をして綴に会えばいい?
 そもそも、綴はまた、榎に会ってくれるのだろうか?
 色々な意図を込めた綴の言葉を、榎はたくさん、耳にしてきた。けれど結局、どの言葉が真実だったのか、未だに分からない。
 元気でいて欲しい。ずっと健康で、平和に生きてくれるなら、それでいい。
 でも、綴の幸せのために榎の存在が弊害になるのなら、榎は戻らないほうがいいんじゃないだろうか。
 そんな考えが、次々と頭を過っていく。
 怖いのだと気付いた。現代に戻った時に、綴の側に榎の居場所がなかったら。
 戻ってきたことを、後悔する羽目になったら――。
 そんな考えを持つ榎自身を、馬鹿だと思った。
 綴さえ無事ならと、必死で言い聞かせていたけれど、結局は自身が傷つくことを怖がって、恐れてばかりいる。
 そんな自分に、嫌気がさした。
 みんなは無事に現代に返せた。榎以外に犠牲になる人がいなければ、それで満足できる。
 もう、戻れなくてもいいか――。
 榎の意識が、ゆっくりと閉じかけた時。
 勢いよく、穴の奥から白く細い腕が伸びてきた。
 冷たい。だが、強い握力が、榎の手首を、がっしりと掴んで離さない。
 なんとか意識を保ち、おぼろげに顔を上げると、目の前に真っ白の髪の青年の顔があった。
 綴だ。
 榎の意識が、一気に現実に引き戻される。
 綴の姿はすぐに、滲んで見えなくなった。榎の瞳からとめどなく涙が溢れてきて、視界を遮った。
 綴がどんな表情をしているか、どんな状態なのかも分からない。
 ただ、その力強い手の感触だけがありのままに伝わってきて、榎の気力を持ち直させた。
 綴の腕の上から、幾本もの別の腕が伸びてきて、次々と榎の腕を掴んだ。
 奏や、椿、柊、楸の腕だ。
 必死に引っ張って、榎を地脈の流れから引き摺り出してくれた。
 勢いよく、地脈から飛び出した榎は、綴の上に覆い被さって倒れた。
 早く退かないと、綴の負担になる。慌てて体を起こそうとしたが、腕が痺れてうまく立たない。
 焦る榎の頭を、綴の手が、優しく撫でてくれた。
 その途端、榎の体から力が抜ける。
 何もかも、どうでも良くなりそうな感覚だった。ずっとこうして、じっとしていたい。
 榎は残った力を振り絞って、綴の着物を握りしめ、縋りついた。
「ありがとう、無事に帰ってきてくれて。――おかえり、榎ちゃん」
 優しい声が、耳元で響く。
 懐かしい、綴の声だ。いつもと変わらない、穏やかで、安心できる声。
「ただいま……」
 嗚咽混じりに、なんとか言葉を吐いた。
 それ上の言葉は出てこなかったし、出す必要もなかった。ただひたすらに、綴の胸の中に顔を埋めていた。綴もそれを拒まず、優しく抱きしめ続けてくれた。
 周囲からは、妖怪たちの歓喜の声が響き渡る。喜ぶ声、泣く声、叫ぶ声。
 様々な雑音が、綴の体温が、榎の混乱した頭を、正常に戻していく。
 ようやく、帰ってこられたのだと、実感が湧いてきた。
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